第3話
再び身体が軽くなったのは、自室に戻ってすぐだった。
「ベリーちゃん、ただいまー」
「きゃあ、マリューちゃん。おかえりー」
手を取り合い、くるくる回りながらはしゃぐ甲高い二人の声は、屋敷中に響き渡っただろう。
ベリーは、ふわふわの長い髪を弾ませ、大きなリボンのついたドレスをヒラヒラさせた。一方のマリューは、素直な長い髪を二つに結わえていた。
マリューが旅に出た時と同じ、グレーのマントにズボンという組み合わせだと気付き、聞いた。
「今日、帰ったの?」
「うん。今回は、父さんが早くに陛下にお会いしなければって」
マリューの父が自分の父に会いに行く理由など、どうでもよかった。
「じゃあ、ゆっくりしていけるのね」
父たちが話をするときは、マリューは屋敷に泊まっていけるのだ。この時ほど嬉しいことはない。
二つ上の姉的存在であり、唯一の友人でもある彼女の訪問は、ベリーにとって何をおいても優先される事項だった。
いつもの通り、まずベリーの部屋でおしゃべりをすることになった。
「はい。ベリーちゃん。お土産」
マリューが手にしているのは、砂漠の石であるという砂漠の薔薇というものだった。前に一度、マリューが嬉しそうに見せてくれたのを思い出したが、ベリーが喜んだ記憶はない。名前通りの薔薇のような形にザラザラした表面。綺麗だとは思う。その時と今回違うのは、箱に入っているというくらい。
「ありがとう」
それでも、友達からのプレゼントだ。嬉しいことに変わりはない。
「あら、大丈夫よ。わかってるから」
「なにが?」
マリューはクスクス笑って、答えた。
「ベリーちゃんがこういうものに興味がないってことよ。大丈夫って言ったのは、それ、石じゃないから」
「どういうこと?」
ベリーはただ悩むしかなかった。
「それね。砂漠の薔薇に見立てた砂糖菓子よ。甘いの好きでしょう? ベリーちゃん」
私は駄目だけど、とニッコリほほ笑んだ。
「……え。これ、お砂糖で出来てるの? すごいわ」
「もちろん食べられるのよ」
「まぁ。すぐ食べるなんて、もったいないわ。ちょっとの間、飾っておいても大丈夫かしら?」
「温かい場所じゃなければ、問題無いと思う」
「ありがとう。マリューちゃん」
心からのお礼だった。
「失礼します」
ゆっくりと部屋に入って来たのは、ベリー付きのメイド、カノンだ。カノンは、アンの妹で、ベリーには激甘だった。
「お茶をお持ちしました。楽しそうですね、姫さま」
「ええ。マリューちゃんに会うの、久しぶりですもの。しかも、見て。こんなに可愛いお土産をもらったのよ。お砂糖で出来てるんですって」
「まぁ、素晴らしい技術ですね」
カノンは、お茶をテーブルに置いて、じっくりと芸術作品をながめた。
「この辺りの国には無いものですね」
「ええ。今回はね。銀の道を抜けて、三つ先の国アルドニアへと足を延ばしたものだから」
「マリューちゃん、そんな遠くに行ってきたの?」
「うん。その国は、水の都でね、砂漠に憧れがあるんですって。だから、こういうものが多く売ってあるの。この前行った国とは逆ね。砂漠の国は、水の都に憧れていたもの」
「マリューちゃんはたくさんの事を知ってるのね」
ベリーはため息をつきつつ、お茶を一気に飲み干した。カノンがそそっとお代りを入れる。
「そういえば、姫さま。お荷物が届いていますよ。お急ぎのものではないのですか?」
「えっ、本当? よかった。間に合ったわ。マリューちゃん、ちょっと待っててね」
ベリーは、走って一階の鑑定室に向かった。お屋敷に届く荷物はすべてこの部屋で検査され、やっと通される。
「姫さま。走らないようにと、いつもご注意申し上げているのは聞いてくれていないのですね」
「アン。やぁあね……もちろん聞いているわ」
カノンが甘やかしている分、アンが厳しいのだ。
「本当に聞いているだけ、なんでしょうね」
「もうっ、そんな嫌味を言わなくたって。わかってますって」
急ぎたい気持ちを抑えて、アンの横を過ぎる。
そして、鑑定室の前で、当たり前のように止められた。
「お姫。入ろうなんて思ってないよなぁ?」
近衛兵のペーターが軽く言う。
「どうせ入れてくれないんでしょ。だから、ペーターが持ってきて。私の荷物が届いてるから。早くっ」
「はいよ。チェックが済んでれば」
髪をボサボサにかき回しながら、部屋に入っていった。と思った瞬間、後ずさりして出て来た。
「姫さん。これかな?」
「おいおい。イリオ、いいとこどりかよ……」
「きゃあ、それよ」
ペーターに圧力をかけて出て来たのは、近衛隊長のイリオだった。ペーターと同期らしいのだが、イリオは幾つか年上に見える。しっかりしているか、おっちょこちょいかの差かもしれない。
「いやいや。姫さんが急いでるだろうと思ってね。チェックも済んだから、持っていっても大丈夫だよ」
ペーターを押しのけて、ベリーに手渡した。小ぶりの箱はしっかりと梱包されていた。
「ありがとう。イリオ」
いつものようにハイタッチをして、自分の部屋にかけ出した。
「俺もお姫とハイタッチがしたかったのに……」
背後で聞えた声から、ペーターがうなだれ、イリオが「はいはい」と頷いているのが予想された。かまっているとキリがないから、当然のように無視するベリーだった。
「マリューちゃん、おまたせ。あぁ、カノンもそこに座ってね。一緒にお祝いしましょう」
「お祝い?」
マリューが首をかしげた。カノンは言われたとおり腰をおろした。
「マリューちゃん。お誕生日おめでとう」
「おめでとうございます」
「……誕生日」
マリューの目は、それ以上どうやっても開かないだろうというくらい大きくなっていた。
「ひょっとして、忘れてた?」
「思いっきり、忘れてた」
ベリーもカノンも、大声で笑った。マリューも少し遅れて加わった。
「これ、プレゼント。マリューちゃん甘いもの食べないから、ケーキよりも絶対こっちのほうがいいと思って。間に合うかわかんなかったんだけど、よかったわ」
ベリーは今手元に届いた箱を、丁寧とはほど遠い開け方をした。そして、中に入っていた、さらに小さな箱をマリューに渡した。
「開けてもいい?」
「もちろん」
マリューは爪で綺麗に包みをひらいた。
「わぁ……ステキ」
うっとりとした声は、いつものマリューではなく、大人びたものだった。
「ノースランドから取り寄せたの。つい最近、発掘されたんですって」
キラキラ光るものではあるが、それは岩石の中に埋まっている紅い石の部分だけで、それ以外、つまり岩石部分は普通の石と変わらないように思える。
「ありがとう。ベリーちゃん。ステキだわ。ノースランドには本当に柘榴石があったのね」
「いつもお土産を貰うだけだから、喜んでもらえてうれしい」
以前、屋敷の図書室でマリューが写真を眺めていたのを、覚えておいてよかったとホッとした。
「それとね。これも」
長細い筒に入ったペンダントを取り出した。
「それに埋まっている石と同じので作ってもらったの」
岩石についている石よりも、キラキラと光を反射するそれは、はるかに綺麗だった。それでも、ドロップ型の紅い石より、岩石のほうがマリューには魅力的なんだろうなぁと密かにため息を漏らす。
「綺麗ね。ありがとう。いつも身につけておくね」
「私も同じ石があるんだけど、形を決めてないのよねぇ」
「姫さまはお急ぎにならなくてもいいのですから、ごゆっくり悩まれればよろしいかと」
「うん」
カノンがポケットから手のひらサイズの袋を二つ出した。
「私からはこれを。姫さまとマリューさまに」
「私にも?」
「はい」
ひとつずつ受け取って、開けてみる。
「うわぁ。綺麗……。こんな大人っぽいの似合うかしら?」
「ありがとう。カノンさん。漆黒の櫛なんて初めて見るね。白蝶貝かしら? この細工」
艶々した表面に覆われた櫛。大きな花の細工は白く、ときに七色に光るものだった。
「はい。さすがマリューさまですね。白蝶貝ですわ。お二方ともお年頃なのですから、髪の手入れにはもう少し気をつけていただきたいと思いまして」
にこにこ嬉しそうにカノンは言う。
「マリューちゃんはともかく、私は誕生日でもないのに」
「同じ日に同じものを、お受け取りになったほうが記憶に残るかと思いましたものですから」
「すばらしいわ。カノンさん。ノースランドの石も、漆黒の櫛も、私、今日頂いたこと忘れないもの。ベリーちゃんも同じものを持ってるんだ、って」
「そうね。ありがとう、カノン。大事にするねっ」
それから、きゃあきゃあと騒がしい時間は食事時まで続いた。ベリーの口は止まらなかったし、マリューも負けじとしゃべっていた。
夕食だって、いつも一人でとる食事は味気ないものだけど、今日は美味しく食べられた。
「話をすることって大事だわ」と、手を動かすより口を動かしていたので、アンに怒られたことは言うまでもない。
巻き添えとなったマリューには、少し悪かったと反省もした。
夜は、ベリーのベッドで仲良く横になる。
「早く寝てくださいね」
カノンがそう言ったが、聞く訳もないし、カノン自身も思っていないだろう。
形だけは寝るふりをして、二人とも声を出した。
「おやすみなさい」
マリューは寝るまで、旅の話を面白おかしく話してくれた。
「あの町はこうだった」「こんなことがあったのよ」「綺麗な衣装が売ってたわ」「美味しそうなお菓子があったんだけど」「それは本当に最悪だったわ」「失礼しちゃうでしょ」
ベリーは、感心したり、感動したり、いくらでも聴く事が出来た。
話疲れ、人肌も心地よく、だけどいつの間にか眠りに落ちているのに。
『姫は、差しのべられた手のために、何が出来ますか?』
レインの言葉が頭の中から離れない。
横を見ると、マリューが寝息を立てている。
「マリューちゃんは、いろんなことを知ってる。私は……」
彼女の穏やかな顔を見て、ほうっと静かに声を漏らした。
答えが出ないままの、同じことの繰り返しで、月が消えかかるまで眠れなかった。
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