第32話

 話し終わって時雨は小さく息を吐く。

 ベッドを背にして隣に座った柚希は「それがこの時なんだね」とスマホに視線を向けていた。そこに表示されているのはYのアカウント。


「コスモス畑でピクニック……」


 スマホの画面を指で撫でながら柚希は薄く微笑む。


「ちょっとだけ覚えてるんだ。コスモスの花とピクニックみたいって喜んでるわたしの声と、あなたの笑顔」

「わたしの……?」


 時雨の言葉に柚希は頷く。


「あなたの笑顔を思い出した時、すごく胸が温かくなったの。だから一番にポストした。もう絶対に忘れたくなくて」


 微笑みながらそう言った彼女はYのアカウントのタイムラインを遡っていく。


「これは知砂と遊んだときのこと、だよね?」

「うん。ゲームセンターでの話は知砂ちゃんだと思う」

「わたし、たぶんこのときが人生初のゲーセンだったんだよね」


 それを聞いて時雨は「あー、だからだったのか」と笑う。


「え、なに?」

「ううん。知砂ちゃんの話を思い出してさ。ユズ、UFOキャッチャーしかやらなかったし、めちゃくちゃ下手だったって。遊んだことがなかったからだったんだね」


 すると柚希は複雑そうな笑みを浮かべた。


「えー、わたしそんな下手なの?」

「取れなくてよくキレてたって言ってたよ。で、最後は知砂ちゃんに取ってもらってたって」


 時雨が笑うと柚希は「大人げないな、ユズは」と苦笑する。そしてため息を吐いてから「知砂にはきっと悪いことしたよね」と目を伏せた。


「……どうして?」

「いきなり行かなくなっちゃったから。DMの返事もしなかった……」


 柚希はそう言うと膝を抱えた。


「あの子のこと思い出そうとすると淋しそうな顔が浮かぶの。きっとわたしが傷つけたから……。怒ってるよね、知砂」


 たしかに知砂は傷ついていた。どうして来なくなったのか、その理由を知りたがっていた。泣きそうな顔をしていた。だけど、と時雨は微笑む。


「知砂ちゃん、怒ってはないと思うよ。むしろ感謝してるんじゃないかな」

「……なんで?」

「友達ができたんだよ。学校で」


 柚希がゆっくり顔を上げた。時雨は笑みを浮かべて「知砂ちゃん、高校生になってね」と続ける。


「環境が変わったからっていうのもあると思う。でも、きっとユズと会う前の知砂ちゃんだったら環境が変わっても友達は作れなかったんじゃないかなって」


 時雨は知砂との会話を思い出しながら膝を抱えた。


「だってユズと出会ってなかったら知砂ちゃんはわたしと一緒に遊ぼうっていう気になんてならなかっただろうし」

「え、一緒に遊んでるんだ? 知砂と」


 意外そうに柚希が目を丸くする。時雨は苦笑しながら頷いた。


「最初はイタズラでもされてるのかと思ったんだけど」

「イタズラ?」

「だってほら、見てよ、これ」


 時雨は初めて知砂から遊びに誘われたときのメッセージを見せる。


『明日、十時。UFOキャッチャーコーナー横のベンチ』


「一方的にこれ送られてきたんだよ。からかわれてるんじゃないかって思ったんだけど、行ってみたらちゃんと待っててくれてさ。ベンチの場所は違ったけど――」

「これ……」


 柚希は呟くとスマホをタップして画面を時雨に見せた。そこにはまったく同じ文面が表示されている。送り主は知砂だ。


「え。これって……?」

「わたしが初めて知砂と遊ぶ約束をしたときの……。わたしのときはちゃんとベンチの場所も合ってたけど」


 不思議そうに柚希はスマホを見つめている。時雨は「そっか」と微笑んだ。


「やっぱり知砂ちゃんはユズと出会えて良かったんだね」


 柚希は眉を寄せた。


「なんでそうなるの?」

「これをわたしに送ったの、多分ユズに会いたかったからなんだよ」


 ユズに会いたくて、だけど会えなくて。それでも友達が欲しくて。きっと最初は試されたのだろう。もしかするとユズの代わりにされていただけだったのかもしれない。


「ユズとは、このメッセージを送ったから仲良くなれた。きっと知砂ちゃんはそう思ったんだよ。このメッセージをきっかけに友達ができた。自分から誘えば相手は応えてくれる。それに気づいたんじゃないかなって」


 そうか、と時雨は言いながら思う。知砂が変わったのは気づくことができたから。自分で気づいて実戦し、そして新しい環境で友達を作ることができた。

 それに比べて自分はどうだ。何もしないまま、ただユズだけを求めて時間が過ぎるのを待っていただけ。


「シグ? どうしたの?」


 時雨はハッと我に返って首を横に振る。そして笑みを作った。


「きっと知砂ちゃん、ユズにあったら喜ぶと思う。確かめたいことがあるって言ってたし」

「確かめたいこと、か」

「悪いことじゃないよ。きっと」


 すると柚希は微笑んで「そうだね」と頷いた。まだ不安そうだ。それはそうだろう。いくら時雨がそう言ったところで本当の知砂の気持ちがわかるわけでもないのだから。


「あ、こっちのポストはパピさんのことでしょ? 冬の浜辺で散歩って」


 時雨はスマホを見ながら明るい口調で言う。柚希は「そうだと思う」と頷いた。


「なんで寒い時期に海に行ったのかわかんないんだけどね。でもパピと一緒に砂浜を歩いてたのは覚えてる」


 彼女はそう言うと難しい表情で続けた。


「そのとき、パピがすごく辛そうな顔してた。その理由をユズは知ってたのかな」

「どうかな。パピさんはユズには何も言わなかったって言ってたけど」

「そうなの?」

「うん。ちなみにわたしもそこ連れて行かれた。今年の一月、パピさんに」

「え、なんで」

「ユズと行った場所だからかな」

「わたし?」

「そう。もうびっくりしたよ。何も連絡なく駅にパピさんが現れたかと思ったら、そのまま海まで連れて行かれたんだもん。学校、初めてサボっちゃった」

「……それってもしかして」

「ユズがパピさんをあの海へ連れて行ったときのやり方」


 すると柚希は頭を抱えてしまった。時雨は笑いながらさらに続ける。


「砂浜歩いて、近くのカフェでランチしてさ。で、海に入った」

「え! 冬の海に?」

「まあ、大きい波が来て足が濡れたくらいだったんだけど、それでも海水はすごく冷たくて。それで、もう帰ろうって駅に行ったら事故で電車止まってて」


 思い出しながら時雨は笑ってしまう。そんな時雨を柚希は呆れたような表情で見てくる。


「笑い事じゃないでしょ」

「そうなんだけどね。でも、そのおかげでパピさんのことよく知れたっていうか」

「へえ、どんな?」

「育ちがいい」

「なにそれ」


 柚希が笑う。時雨も笑いながら「意外だったんだもん」と続ける。


「バスも終わってたから近くの民宿に泊まったんだけど、そのときのパピさんの対応がすごく大人びてて」

「民宿……」


 ふいに柚希が真面目な表情で呟いた。時雨は頷く。


「ユズと泊まったところなんだって」

「わたしと……?」

「ユズと来たときはパピさんが帰るのダルいって駄々をこねたみたいだけど」


 時雨は笑う。


「パピさん、けっこう甘えん坊だし寂しがりだったんだなって、そのとき初めてわかったんだ」

「そうなんだ。わたしの覚えてるイメージからは想像できないんだけど」


 その言葉に少し寂しくなって時雨は「そうだね」と小さな声で頷いた。


「シグ?」

「パピさん、演じてるんだって言ってた。周りが求める自分を演じてるんだって」

「それ……」

「うん」


 時雨は視線を柚希に向ける。


「一緒だね。ユズと」

「わたしと同じ……」

「だからユズはパピさんが何を言わなくても気づいたんだろうね」


 柚希が不思議そうに時雨を見た。


「パピさん、時々すべてに疲れて何もかもどうでも良くなるときがあるんだって。ユズがパピさんをあの海に連れて行ったのもちょうどそんな時期。パピさんが何を言ったわけじゃないのに、パピさんのポストがいつもと違うからってユズは心配して、それで――」

「寒い海に?」

「うん。どうしてそこを選んだのかわからないけど」

「……きっと、誰もいないからじゃないかな」


 柚希はポツリと呟くように言った。その視線はもう時雨を見てはいない。足の先を見るように目を伏せている。


「わたしだったらそういうところに行きたくなるから」

「ユズも、ユズを演じるのに疲れたときに海に行ってたのかな」


 しかし柚希は「行ってないと思う」と即答した。


「どうして?」

「きっとユズはユズを演じることを楽しんでた気がするから」


 言って柚希は笑う。


「水希がね、言ってたんだ。ユズになってフォロワーと遊びに行くときだけ、わたしは楽しそうだったんだって。わたしもそんな気がしてる。ユズのことを思い出すと楽しい気持ちになるから」

「そっか……」

「うん」


 柚希は柔らかな笑みで頷いたが、すぐにその表情を曇らせた。


「……パピは大丈夫? 無理、してない?」

「大丈夫だよ」


 時雨は微笑む。


「パピさんもね、ユズのおかげで息抜きの仕方に気づいたらしくて」

「息抜き?」

「そう。ユズと二人で過ごした時間がすごく心地良くて、それがあったから楽になれたって。そう言ってた。それで、たまに本当の自分をさらけ出すために誰も知らない場所にフラッと遊びに行くようになったんだよね」

「それもわたしの影響?」

「だと思うなぁ。しかもそれにわたしが付き合わされてる」


 それを聞いて柚希がフフッと笑う。


「友達になれたんだね」

「……本当はユズとも一緒に行きたかったみたいだけどね」


 時雨が言うと柚希は答えず、ただ小さく息を吐いた。

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