シグとユズ
第31話
本当は初めてリアルで会ったときからどこかで気づいていたのかもしれない。明るくてポジティブで陽キャなユズ。それが本来の彼女ではないことを。でなければ自分がこんなにもユズに惹かれるわけがなかったのだ。ただ明るく、ただポジティブなだけな人間は苦手だったのだから。
「水希さん、料理上手なんですね」
風呂上がりの時雨は柚希の部屋着をパジャマ代わりにして就寝準備をしていた。
「柚希の方がもっと上手いけどね。でも、まだシグには柚希の手料理は食べさせてあげない」
そんな水希の言葉に時雨は布団を敷いていた手を止めて「思ってたんですけど」と水希を見つめる。
「水希さんってユズのこと大好きですよね」
「は? いきなり何言ってんの」
時雨は「だって」と続けた。
「知砂ちゃんやパピさん、それに多分わたしのこともどんな人なのか確かめようとしてたじゃないですか。もしわたしたちが変な奴とかだったらきっと水希さん、わたしたちとユズの縁を切ろうとしてた気がする」
「え、そうなの?」
柚希が驚いたように目を見開いて水希を見た。しかし水希は無言で柚希を見返し、そして時雨に視線を向けると「あんただって柚希のこと大好きじゃん」と枕を投げてきた。時雨をそれをボフッと顔で受け止める。
「え、わたし……?」
思わぬ言葉に時雨は瞬きを繰り返して水希を見返した。
「じゃなきゃ、赤の他人にここまで執着しないでしょ」
「執着って」
「なに。違うって言うの?」
「そうじゃないですけど――」
考えたこともなかった。ただユズに会いたい。その気持ちだけで今日まで生きてきた。しかしそれは水希が言う通り、ユズへの特別な想いがあるからなのだろうか。
考えていると「なに真剣に考えちゃってんの」と水希が呆れたように言った。
「それに柚希だって――」
水希はそこで言葉を切ると時雨から柚希へと視線を向けた。柚希が首を傾げる。
「まあ、いいや。あとは自分でやってね」
水希はため息を吐きながら部屋を出て行ってしまった。
「……シグはわたしのこと好きなの?」
柚希の呟くような声に時雨は少し考えてから「そうなのかも」と微笑む。
これが恋かと言われたら違うかもしれない。ユズと会っている時に胸が高鳴ったりしたことはない。ただ嬉しくて楽しくて幸せな気持ちが溢れてきていただけ。今もそうだ。目の前に彼女がいる。それだけでこんなにも温かな気持ちでいられる。
「好き、なんだ……」
柚希は少し恥ずかしそうに視線を俯かせてから「シグはユズのことが好きなんだね」と呟いた。
「――聞きたいな。シグとユズのこと」
そう言って彼女は顔を上げる。時雨は「うん」と微笑んだ。
「話すよ。わたしとユズ、柚希のこと」
しかし柚希はただ悲しそうに微笑むだけだ。
彼女の中でユズはどういう存在なのだろう。今ではもう自分ではない別の誰かという認識になってしまったのだろうか。それとも過去の自分として受け入れられたのだろうか。
記憶がないとはどういう感じなのか、時雨にわかるわけもない。それでもユズというアカウントが、柚希という存在が自分にとってどれだけ大きなものなのか知ってほしい。そう思いながら時雨は話し始めた。
時雨がユズのアカウントをフォローした時期は知砂やパピ、ミユたちと比べると随分と遅かったのだろう。最初はたいしたやりとりはしていなかった。
たまに日常のことを呟けばユズがそれに対してリプをくれる。ただそれだけの関係だった。それだけでも時雨にとってユズは特別な存在だった。
幼い頃から集団行動が苦手で極度の人見知り。友達の作り方もわからないまま高校生になってしまった。完全に社会から孤立している。そう思わずにはいられない自分の存在。
親は娘の友人関係に興味を持つことはなかった。いじめられていないのなら問題ない。そんな考え方だったように思う。
何も起きない。何も変わらない。何も感じない。いてもいなくても同じ。ネットでもリアルでも薄すぎる存在。いっそのこと、この世から消えてしまおうかとすら思っていた。ネットの中ですら満足に生きられない。そんな自分に生きる価値なんてない。そう思い始めていたから。
だけど、そんな自分にユズだけは言葉をかけてくれたのだ。それがどんなに嬉しかったか、その気持ちをどう伝えればいいのかもわからない。
毎日送ってくれるユズの言葉は温かくて、何もなかった毎日に柔らかな灯りが点ったような気持ちになったことをよく覚えている。
そんなユズとリアルで会うまで時間はかからなかった。時雨の地元からほど近い農園でコスモス祭りをやっている。そんな話題がきっかけだったように思う。
今まで花畑というものを見たことがない。そう時雨が言うとユズは「じゃ、行こうよ」と気軽に誘ってくれた。まるで昔からの友達を誘うかのように。
初めてSNSで知り合った人と会う。その日、実際にユズと会うまでは緊張しかなかった。
ユズがどんな人なのかわからない。それはもちろん不安でもあったが、それよりも自分がユズにどんな風に見られるのかという不安の方が大きかった。
気の利いた言葉も思い付かず、会話が続かない。つまらない奴という烙印を押されてそのまま関係が終わってしまう。それがリアルの自分であるはず。
それなのにユズはこんな自分と遊びに行ってくれるという。それはSNSでの時雨が気づかぬうちに理想の自分を演じていたのではないか。そう思うと不安で仕方が無かった。会った瞬間にユズを幻滅させてしまう気がしていた。
だが、待ち合わせ場所にやってきたユズは挨拶もそこそこに「行こう! コスモス畑!」と時雨の腕を引っ張ってバスに乗り込んでいた。道中もSNSでのやりとりと変わらない気楽な会話が続いた。
リアルで会ったユズはSNS上の彼女と何も変わらなかった。明るくて会話が上手。容姿は思っていたよりもボーイッシュだったが、とても似合っていて可愛かった。そんな彼女と並んでいるのは気が引ける。
そう言うと彼女は笑いながら「シグもかわいいじゃん。なんか妹みたいな感じ」と褒めてくれたりもした。
農園に着いてからもユズは楽しそうだった。いっぱい笑っていっぱい喋って、お腹が減ったら農園内の売店で売っていた限定バーガーを買い、コスモス畑の中に置かれたベンチに座って食べた。
「これ、めっちゃピクニックじゃない? わー、ピクニックって初めて」
そう子供のように無邪気に喜んでいたユズの笑顔が忘れられない。自分とこんなに楽しそうに過ごしてくれる人がいるなんて思いもしなかった。裏表のない彼女の笑顔を見ていると自然と嬉しくなった。心が暖かくなった。
こんな自分でも生きていていいんだ。そう思えることができた。
たった一度会っただけ。
そんなわずかな時間で彼女とずっと一緒にいられたらどんなに幸せだろう。そんな気持ちにすらなっていた。
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