第17話
寒いなー、と白い息を吐きながらパピはズンズンと砂浜を歩く。やがて砂浜の終わりまで来ると、彼女は軽い足取りで道路へ続く階段を上がった。そして「あ! 開いてるよ」と嬉しそうな声を上げる。
「たしかに開いてますけど……」
時雨は呟きながらカフェの前に置かれたメニューボードを見つめる。
高校生の小遣いから出すには少し高い価格のものばかり。遊ぶことを前提に来ているならともかく、今日は学校に行くつもりだったのだ。余分なお金など持っているわけもない。
じっとメニューボードを見つめながら考えていると「あ、大丈夫、大丈夫」とパピが軽い口調で言った。
「ここもわたしが出すから好きなもの頼んで」
「え……?」
「ほら、寒いし入ろ」
パピはそう言うとさっさと中に入ってしまった。時雨は首を傾げる。ここまでの交通費も彼女が出してくれたというのに食事まで奢ってくれると言う。その理由がわからない。いったい彼女は時雨に何を期待しているのだろう。
「なにやってんの、シグ。さっさと来る!」
なかなか入らない時雨に苛立ったのか、パピは再び出てくると時雨の腕を掴んで強引に店内に引き込んだ。
ふわりと温かな空気と良い香りに包まれ、時雨は思わずホッと息を吐き出す。店内にはまばらに客の姿がある。平日でも客が来ているあたり、人気のある店なのだろう。しかし時雨たちのように電車を乗り継いで来た者は他にはいないだろうと窓から見える駐車場を眺めながら思う。
「いらっしゃいませ。寒かったでしょう? そちらのテーブル席にどうぞ」
そう言って柔らかく微笑み、テーブルへ手を伸ばしたのは三十代くらいの女性定員だった。
「どもー」
パピに続いて時雨も会釈しながら案内された席に着く。
「ご注文、お決まりになりましたら呼んでくださいね」
水が入ったコップをテーブルに置きながら女性店員は愛想良く言い、そのままカウンターの中に戻っていった。どうやら厨房もカウンター内にあるらしく、男性店員がフライパンを振っている姿が見える。他に店員の姿はないようだ。
「ここさ、旦那さんと奥さんの二人でやってるんだってさ」
時雨がカウンターを見ていたからだろうか、パピはそう言った。
「夏は繁忙期だからバイトも入るみたいだけどね」
「へえ。あ、パピさんも海水浴に来たときにここへ?」
きっと彼女ならそうだろう。そう思って聞いたのだがパピは「ううん、違う」とメニュー表を見ながら少し低い声で言った。
「……パピさん?」
「んー? あ、わたしこれにしよ。オムライスセット」
彼女はそう言うとメニューを時雨に手渡す。意外にも素朴なメニューもあるようで少しホッとする。
「お金は気にしなくていいから。最近、わたしバイト頑張ってたから金持ちなんだよね。今日はわたしに付き合ってくれてるわけだし」
「えと、じゃあコレで」
それでも遠慮するなというのは無理な話である。時雨は他と比べると値段が低めのランチサンドを選んだ。パピは「おけ」と頷くと手を挙げて店員を呼んだ。
「オムライスセットとランチサンドと、あと食後にケーキセット二つください。ケーキは今日のオススメで。ドリンクは何にする?」
「え? いや、わたしは」
「んー。やっぱ寒いからミルクティーかな。シグっちもそれでいい?」
「あ、はい」
「じゃあ、それでお願いします」
「かしこまりました」
店員はにこやかに頷いてからカウンターに戻っていく。時雨はハッと我に返って「いや、じゃなくて」とパピを見る。
「わたし、別にケーキセットはいらなかったんですけど」
「えー。でもランチサンドだけじゃ足りないでしょ?」
「それは……。でも、そんなに奢ってもらうわけには」
時雨の言葉に彼女は「いいからいいから」と笑った。そして水を一口飲みながら窓の外に視線を向ける。つられて時雨もそちらに目をやる。砂浜の様子はここからでは遠くの方しか見えないが、相変わらずそこに人の姿はない。
「平和だねー」
「外はまったく平和じゃなかったですよ」
「たしかに。地獄のような風と寒さだったね」
パピは笑ったが、すぐにその笑みを消した。そして静かに窓の外を見つめ続ける。店内は静かだ。穏やかなBGMと料理をする音だけが聞こえてくる。
「……あの、聞いてもいいですか」
「どうぞー」
やる気なさそうに彼女は窓の外を見つめたまま言う。時雨はその無表情な顔を見ながら「どうしてここに? それもわたしなんかと」と聞いた。
「わたしなんかって、卑屈すぎない?」
パピは軽く笑ったが、心から笑ったわけではないことはその口調から分かる。時雨は「だって」と続ける。
「わたしとパピさん、直接のやりとりってほとんどなかったじゃないですか。最初の挨拶くらいだったような気がするんですけど」
「えー、そうだっけ」
「そうですよ。それにパピさんってフォロワーも多いし、リアルの友達もたくさんいそうじゃないですか。わたしとわざわざ来る必要があるとは思えなくて」
するとパピは視線をスッと時雨に移した。そして「だってさ」と口を開く。
「シグが一番仲良いでしょ?」
「……え? 誰とですか」
「ユズ」
「ユズ?」
頷くパピに時雨は眉を寄せた。なぜだろう。これで三人目だ。知砂、ミユ、そしてパピ。三人が三人とも時雨とユズは一番仲が良いと言う。その理由が未だに時雨にはわからない。
「……えと、パピさんの方が仲良いですよね?」
「わたし? ないない」
パピは自嘲気味に笑いながら片手を振る。時雨はさらに眉を寄せた。
「でも、リプのやりとりとかもわたしたちの中で一番多かったような」
「あーね。それはそうかもしれないけど」
それでも仲が良いわけではないとでもいうのだろうか。よくわからず、時雨は首を傾げた。するとパピはヘラッと笑いながら「わたしさ、みんなに適当にリプしてるから内容薄くて」と続けた。
「ユズともそんな感じでさ。でもシグは違うじゃん? ちゃんと会話してたっていうか」
「そんなことはないと思いますけど」
思い返してみても他愛もなく、内容の薄いやりとりしかしていなかった気がする。それでもパピは「そんなことあるでしょ」と少し寂しそうな表情で言った。時雨は首を傾げる。
「でも、なんでここに来ることがユズと仲が良かったかどうかっていうことに関係してるんですか」
「それは――」
そのとき「お待たせしました」と注文していた料理が運ばれてきた。パピが注文したオムライスは卵がふわふわしていてとても美味しそうだ。ランチサンドもツナサンド、卵サンド、ミックスサンドとスープ、それにサラダがついていてそこそこのボリュームがあった。
「……コレ食べたあとにケーキいけるかな」
「いけるいける!」
何の根拠もないパピの言葉。しかし、その言葉の勢いとは裏腹にスプーンを持つ手に力は無かった。
「パピさん……?」
「前に、ここに来たことあるんだけどさ。そのときはユズと一緒だったんだよね」
「え……?」
パピは時雨の前に置かれたランチサンドを見ながら微笑む。
「あいつもそれ頼んでた」
「え……」
時雨は思わず手にしていた卵サンドに視線を向ける。
「こうやって向かい合ってさ。でも、会話なんてほとんどなかった」
彼女はぼんやりとサンドイッチが載せられた皿を見つめながら微笑んだ。
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