第16話
――気まずい。
電車の座席に座り、時雨は鞄を抱えてジッと床を見つめていた。平日の午前十一時を過ぎたところ。学生は学校の時間だし、大人は仕事をしている時間帯だ。
朝は普通に学校へ行くつもりで家を出た。それなのに気づけば目的地もわからない電車の中。時雨はため息を吐いて隣に座る少女を見た。
制服の上にコートを着た彼女は目を閉じて眠っているようだ。耳にはイヤホンをつけているので音楽でも聴いているのだろう。
――なんでこんなところにいるんだろう。
朝、学校へ行こうと駅に向かうとパピが改札の前に立っていたのだ。寒そうにコートのポケットに手を入れてぼんやりと立っていた彼女は時雨の姿を見つけると「よし、行こう!」といきなり腕を引っ張って行き先の違う電車に乗り込んだ。
「え、どこに行くんですか? 学校は?」
「そんなのサボりだって。言ったじゃん。遊び行こって」
「いや言ってましたけど。え、今日? 今から?」
「そ。今から。電車代ならわたしが出すから大丈夫だよ。あ、次の駅で乗換だから」
「え、乗換? どこに行くんですか?」
「着いたらわかるって」
パピには答える気がないようでそれきり口を閉じてしまった。そしてそのまま電車を二回ほど乗り換えて、今まで乗ったこともない路線の電車に揺られている。
時雨は深くため息を吐いてスマホを開いた。生まれて初めて学校をサボってしまった。親にバレたらきっと怒られるだろう。憂鬱だ。思いながらSNSを開く。やはり平日の昼間ではタイムラインも静かだ。知砂やミユもいない。
そういえば、と隣で目を閉じているパピに視線を向ける。パピのポストもあれから途絶えたままだ。
久しぶりに会った彼女は少し以前と雰囲気が違っているように見えた。相変わらず強引だし、相変わらず彼女との距離感がつかめなくて居心地が悪い。しかし、どこか以前の彼女とは違う気がする。何が違うのだろう。
彼女を見つめながら考えていると、ふいにパピが目を開けた。
「なに?」
「あ、いえ」
慌てて視線を逸らしてスマホに視線を落とす。パピは「もしかして怒ってる?」と無感情な声で言った。
「いえ、別に……」
「怒ってるじゃん。なんで? 学校サボらせたから?」
「いや、ほんとに怒ってはないです。ただ、ちょっと――」
時雨はスマホを見つめたまま言葉を濁す。しかしパピは「ちょっと、なに?」と食い下がってくる。
「……パピさん、最近ポストもなかったから何かあったのかなって」
「わたし? そうだっけ」
パピは乾いた声で笑うと「ポストすんの、忘れてたかな」とスマホをつつき始めた。
「それに今日もなんだか前と雰囲気が違うというか……」
「へえ? どんなふうに?」
「――わかりませんけど」
「なんだそれ」
パピは軽く笑うとふと気づいたように顔を上げた。電車が駅に着くのかスピードを落とし始めている。
「次の駅で乗り換えるから」
「え、また?」
「そ。また」
彼女は頷くと席を立って移動する。相変わらず目的地を言う様子はない。聞いても答えてはくれないのだろう。時雨は大人しく彼女についていくしかなかった。
「いやー、着いたね! 久々すぎるわー」
そう言いながら大きく手を空に挙げて歩くパピの後ろに時雨は続く。そして今通り抜けてきたばかりの駅の改札を振り返った。
――無人駅。
駅名は聞いたことがなく、電車もどの路線を乗り換えてきたのかわからない。一人では帰ることができないだろう。それにしても、と時雨はポケットに手を入れて首を竦めた。
「寒くないです? 風も強いし」
「あーね。寒いね」
パピも同じように首を竦めて歩きながら振り返る。その表情はどこか楽しそうだ。
「ここ、どこなんですか?」
「え、見てわかんない? ほら」
言って彼女は前方を指差す。そこには冬の強風に白波を立てる海が見える。そして時雨たちが向かっている先には砂浜。
「海水浴場」
「正解」
パピは「冬の海とかアガるわー」と声高くビーチへ降りていく。天候は快晴。しかし風が強すぎる。そのおかげなのか、ビーチには誰の姿もなかった。
「なんで海なんですか。誰もいないし、寒いだけなんですけど」
しかしパピは気にした様子もなく「えー、誰もいないからいいんじゃん」と言いながらキョロキョロと辺りを見回す。何かを探しているようだ。
「シグっちがイライラしてんのって、きっとお腹減ってるからでしょ。昼食抜きで来ちゃったもんねー。もうおやつの時間も過ぎてるし」
「まあそれもありますけど。シグっち……?」
いや、呼び方はもはやどうでもいい。色々と言いたいことはあるが空腹であることは事実だ。昼食もとらず、辛うじて乗換の時に買ったジュースだけで空腹を誤魔化している状態なのだから。
「どこだったかな。まだあるかなぁ」
呟きながらパピは砂浜を歩いて行く。何を探しているのだろう。不思議に思っていると「あ、発見!」と彼女は砂浜の先、道路へ上がった場所にある小さな建物を指差した。
「あそこ、カフェなんだよね。前に行ったとき美味しかったから行きたくてさ」
「もしかして、そのカフェに行きたいから今日ここに来たんですか?」
「それもある。行こうよ」
「いいですけど。大丈夫ですか? 冬期休業とかじゃないです?」
「さあ? 行ってみりゃ分かるって」
事前に調べもしていないようだ。きっと営業していなければ、それはそれで構わないのだろう。ますます彼女がここに来た理由がわからない。
お喋りをしたいわけでもないはずだ。ここへ来る道中、ほとんど会話らしい会話はなかった。ここに着いてからも彼女は時雨のことを見ようともしない。ただ来たかった場所に来て行きたかった場所に向かっているだけ。そこに時雨の意志はない。
時雨が嫌だと言っても彼女は構わず自分が行きたい場所へ行くのだろう。どうして時雨を巻き込むのか、その理由も言わずに。それでも時雨には彼女の誘いを断ることができない。つい流されてしまう。そんな自分が嫌になる。
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