第3話

「……あの、知砂さんが降りる駅ってどこなんですか?」


 座席に座って一息ついてから時雨は口を開いた。知砂はスマホから視線を逸らすことなく聞き覚えのある駅名を口にする。


「近くなんですね。わたし、その次の駅で」

「へえ」


 興味がないことを隠そうともしない彼女の返事。


 ――やっぱりダメだ。


 時雨は小さくため息を吐いて真っ黒な窓に映る自分の姿を見る。

 目に力がなく地味で垢抜けない、そんないつもの自分がそこにいる。それに比べて隣に座る知砂は小柄ながらも整った顔立ちをしていて服のセンスも良い。さっきのパピとの会話から察するにおそらく中学三年生なのだろう。年齢のわりに大人びた雰囲気なのは顔つきのせいだろうか。きっと周りから見てもこの二人が友人同士とは思わないだろう。


「あんたはさ――」


 くだらないことを考えているとポツリと知砂が口を開いた。


「なんで会いたいの? ユズに」


 視線を向けると彼女はまだスマホを見たままだ。そこに表示されているのは柚子が描かれたアイコン。アカウント名にはユズの文字。


「……お礼を言いたくて」


 ユズのアカウントのヘッダ画像を見つめながら時雨は答える。それは皆で遊びに行ったときに撮った集合写真。サイズが合っていないのでみんなの顔も見切れて誰が誰だかわからない。だからこそヘッダに設定したのだろう。


「知砂さんは?」

「確かめたいことがある」

「確かめたいこと……」


 それが何なのか聞いてもいいものだろうか。それとも踏み込んではいけないことだろうか。自分と知砂との関係がわからない。時雨はひそかにため息を吐いて窓に映る自分たちの姿を改めて確認した。座る二人の間には明らかな距離がある。

 友達、ではないのだろう。では知り合い。しかもネットでの知り合い。そんな何も知らない知り合いが踏み込んでもいい境界がわからない。

 会話が続かない。気まずい。SNSではもう少し上手く会話ができるのに。


「――フォロワー」


 何か話題がないだろうかと考えているうちに口に出たのはそれだった。知砂は視線を上げて時雨を見る。しかし、それもすぐに逸らされてしまった。


「フォロワーが、なに」

「あ、えっと、知砂さんはフォロワーさんも多いから他の人とも遊びに行ったりとか――」

「ないよ」


 時雨の言葉を遮って彼女は言い放った。


「フォロワーはただのフォロワーで友達じゃない」

「えっと、じゃあ、どういう……?」

「ただのフォロワーだって言ってるじゃん。それともあんたは知らない相手と見境無く会うわけ?」

「でも、わたしたちは会って遊びに行きましたよ? ユズが誘ってくれて」

「――だから確かめたいことがあるのに」

「え……?」


 そのとき電車がスピードを落とした。気づけば知砂が降りる駅のホームに滑り込んでいくところだった。彼女はため息を吐くと立ち上がる。


「あの、一人で大丈夫ですか。もう夜も遅いのに」

「今さらなに言ってんの?」


 知砂は呆れたような表情を浮かべた。


「でも家の人に怒られたりとかしないですか?」

「しない。家、誰もいないし」

「え、だったらやっぱり危ないんじゃ……。近くまで送っていきましょうか? あ、それともボイチャ繋いでおきましょうか」


 そう言うとなぜか知砂は一瞬驚いたように目を丸くした。だがすぐに無表情に戻ると「いらない」と短く答えた。


「家、駅から近いし、あんたとボイチャ繋いだところで無言の時間が続きそう」

「それは……」


 否定できない。そもそも時雨はまだ電車に乗っているのだからボイスチャットを繋げたところで話せるわけもない。知砂は大きくため息を吐いた。

 電車が完全に停車して扉が開く。彼女はイヤホンを耳につけながら「じゃ、お疲れ」とホームへ降りて行った。

 再び動き出した電車の揺れに、時雨はため息を吐くと姿勢をずらして視線を天井に向けた。真っ白な灯りが目を刺激して思わず眉を寄せる。

 自分は何のためにSNSを始めたのだろうか。眩しい灯りを見つめながら記憶を探る。

 アカウントを作った頃のことはなんとなく覚えている。たしか中学三年の夏休みだ。受験勉強へのやる気が起きず、かといって極度の人見知りであった時雨には一緒に遊ぶような仲の良い友達もいない。家にいても親から小言を言われるだけ。リアルに自分の居場所がなくて苦しかった。

 誰でもいい。

 誰かと話をしたい。

 そう思ってアカウントを作ったのだ。とくに友達が欲しいと願ったわけじゃない。誰かと仲良くなりたいと思ったわけでもない。ただ自分の存在を誰かに認めて欲しかっただけ。

 しかし適当にフォローした相手に自分から絡みにいくことはできなかった。頑張っても挨拶のリプを飛ばすくらいだ。絡みにいけないのだから当然のようにフォロワーは増えない。

 結局、SNSにも自分の居場所はない。

 そう思い知らされ、もうアカウントを消してしまおうとしていた頃にユズとのやりとりが始まったような気がする。

 不思議なことに彼女とは何でも話せた。彼女は時雨のどんな話も聞いてくれた。返事をくれた。まるで友達のように。彼女がいれば他の人とも普通に会話することができていた。どの会話にも彼女が間に入ってくれていたから。


 ――結局わたしはダメなままだ。ユズがいないと話すらできない。


 時雨は窓の向こうに視線を向ける。真っ暗な窓に反射する情けない顔を見つめ、その視線を手元へ落とした。


「リプは来なさそうだけど……」


 口の中で呟きながらスマホの画面に指を乗せる。


『家が近くても気をつけて帰ってくださいね』


 少し悩んだ末、それだけを知砂に送る。やはりユズのように気の利いた言葉は出てこない。それでもこれは時雨が自発的に知砂に送った初めてのメッセージだ。少しでも彼女と仲良くなれるきっかけになれたら。

 そう思ったが、やはり彼女から返信が来る気配はない。タイムラインには知砂のいつも通りの日常が流れていた。


「やっぱりダメか……」


 そんな都合よく仲良くなれるわけがないのだ。嘲笑を浮かべながら顔を上げると、ちょうど電車が駅のホームに停車したところだった。時雨はスマホを見ながら立ち上がると扉へ向かう。

 画面の向こうのタイムラインには顔も名前も知らない人たちが楽しそうに過ごしている。そこに流れる言葉がウソか本当か、疑うことすらしない薄っぺらい世界。

 その中には知砂の言葉もある。ミユの言葉もパピの言葉も。しかしユズの言葉だけがない。唯一、本当だと信じられる彼女の言葉が。

 停まった電車の扉がゴトゴトと音を立てて開く。その音になんとなく苛立ちを覚え、時雨はスマホを乱暴にポケットへ入れるとホームに降りた。差すような深夜の秋の空気が苛立った気持ちをほんの少しだけ和らげてくれたような気がした。

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