第28話

 夕方の五時。

 ついこの間まで明るかった気がするこの時間も、11月半ばになるともう夜といっていい暗さだ。

 広瀬は休憩から戻ると、開いたままになっているバックヤードのシャッターを下ろしはじめた。

 外と直結しているバックヤードは、外の気温が下がれば同じように下がる。冷んやりとした空気が外から流れ込み、屋外と大差ない気温にまでなるため、シャッター一枚下ろすだけで随分と違ってくる。これから終業までまだ数時間。その間にも気温は下がるため、荷物の搬入作業もない時間にシャッターを開けておくいわれはない。

 ガラガラと大きな音を響かせ、シャッターが下りた。

 外気と、聞こえていた車の走行音も遮断され、バックヤードに静けさが訪れる。店内に響くBGMも、バックヤードでは小さく聞こえる程度だ。昼間はパートやバイトも多いから人の声も聞こえるが、この時間からは人も少なくなるため、その気配すら乏しい。

 広瀬は軽く両手を擦り合わせてから、休憩スペースの書類を確認する。

 これからやって来るクリスマス、年末年始に向けて、仕事が目白押し。今後のスケジュールと人員調整を……と、シフト表を確認する。

 そこに、碧の名前はもうなかった。

「…………」

 碧が最終のバイトを終えたのは、二日前。

 当初は十二月の頭を予定していたらしいが、途中で一ヶ月早めたいと碧から相談を受けた。

 早めに受験に集中したいという背中を押すことはあれど、引き留める理由はない。当然、店長や副店長も了承し、碧はバイトを辞めていった。

 とはいえ、完全に辞めた、という表現は少し違い、長い休みに入ったという方が正しい。

 碧本人は辞めるつもりだったようだが、店長と話をしたときに「受験が終わったらまた戻ってきたい」という事を言ったらしい。すると、退職ではなく、休職扱いにしたらどうかと逆に提案されたそうだ。もし都合で復帰が無理なら、そのときに辞めればいいからと。

 ただのバイトなのに、と碧は思ったそうだが、一度辞めて復帰となるとそれなりに事務手続きもある。だから、休職の方が助かるという実務的な事も理由だったそうだ。

 最終日に帰る際、「それじゃあ、また」と碧は挨拶をした。

 それに対して、広瀬は「うん、また」と返した。

 最後に交わした会話は、それだけだった。

 頑張れとか、無理はするなとか、体調には気をつけてとか、言いたいことはたくさんあった。けれど、それを全部言葉にすると長くなってしまう気がして、そのすべてを短い言葉に込めた。

 碧には、それでもきっと伝わっていると思えたから。

 あの日から、碧との間に特別な緊張が流れることもなく、互いにいつも通り接した。見ていて、話をしていて思ったのは、碧が告白をしたことでケジメがついたのだろうということだ。

 抱えていた広瀬自身への想い。

 いつからそれを抱いていたのかは知らないが、内に秘めていたものを表に出すことで、気持ちにも大きな区切りをつけることができたのだろう。

 受験と恋愛感情の狭間で揺れ、更にバイトを辞めたら関係が途絶える不安を抱えていた。けれどその意思を伝えたことで、その不安を一掃できたのかもしれない。

 返事を待つという時間が生まれたものの、そんなものはこれまでの事を思えば、だ。むしろ、その日のために頑張らなければという気概が生まれたのではないだろうか。

 広瀬はそんなことを考えながら、書類に視線を落とす。

 クリスマスから年末年始にかけては、忙しさが続く。人員面で不安があるが、店長が冬休みだけの短期バイトを募集すると言っていた。それに期待しておくほか無い。

「なんとかやるかー」

 辞める前、碧も年末年始のことは気にしてくれていた。その間の数日だけ来ましょうか、なんて事を提案してきたが、当然断っている。

 そんなこと、させられるはずがない。

 碧には碧の場所で、頑張らなくてはいけないことがある。

 だから、広瀬自身もやるべきことをするだけだ。


 一通り書類に目を通し、売り場に向かおうとしたところで「お疲れ」と声を掛けられ、広瀬は顔をあげた。

「ああ、お疲れ-」

 声を掛けてきたのは、同僚の高梨だった。

 飲料を担当している広瀬とは別に、高梨は日用雑貨全般を担当している。洗剤やティッシュといった日用品メインで、ほぼほぼ仕事内容は被らない。そのため、シフトが重なっていても関わる率は低い方だった。

 そんな高梨と広瀬は、同期入社である。入社直後の研修は一緒だったが、その後別々の場所に配属になった。そして、この店で再会となったわけだ。

 なので、作業が被る事が少なくても、会えば気さくに話ができる相手でもある。

「寒くなったよなぁ」

「な。休憩から戻って、すぐシャッター下ろした」

「それ正解。これから遅番は厳しい季節だよ」

「早朝も厳しいけどな」

 広瀬も高梨も売り場担当のため、基本仕事は店の営業時間内。

 一方で、精肉や鮮魚、お惣菜を担当している人たちは、もっと早い時間から出勤している。それを思えば、まだマシなのかもしれない。

「あのさ」

 高梨が歩み寄ってきて、話を続ける。

「さっき事務所行ったらさ、店長が電話してて」

「ん?」

 店長が電話しているのは別に珍しい話では無いが、こうして話をしてきたということは、話の主軸はそこではないのだろう。

「なんか、人事絡みの話っぽかった」

 高梨が言うのに、広瀬はなるほど、と思う。

「次の異動の話の打診とか、そんな感じか」

 広瀬が言えば、高梨が頷いた。

「当然名前とかは言ってなかったけど、なんとなーく、副店長の話っぽくてさ」

「……副店長か。もう、3年?4年……ぐらいだっけ」

「うん。だから、まあそうかなって」

 会社には、人事異動のタイミングが大きく分けて二回ある。

 一度目は四月で、二度目は九月。

 メインの人事異動があるのは四月で、結構な人数が異動する。一方で九月は、四月に入社した新人や転職の人たちが配属されるのがメインの異動である。次の四月の異動には早い気がするが、副店長レベルになると早めに動くのかもしれない。

「……広瀬は、ここにきてもうすぐ三年だっけ」

 高梨が訊くのに、広瀬は少し宙を仰いでから「いや、四年」と返す。

「正確に言うと、今が四年目…か。三年前のゴールデンウィーク明けだったから、来たの」

 異動の辞令は四月だったのだが、前の店舗の都合で一ヶ月遅くなったのを覚えている。

 自分で言ってから、もう四年か、と広瀬は心のなかで呟いた。

「てか、俺よりお前の方が長いだろ」

「半年だけどな」

 一方で高梨の方は、中途の九月の異動でこの店の配属になった。発令を見て、珍しいなと思った記憶がある。

 広瀬は少し考え、

「じゃあ、高梨の異動話も出るかも……な」

 そう言って、はた、と考える。

 関西にいくつか店舗があるが故、定期的な異動は当たり前。勤続年数の長い人には、全店舗を制覇したのではないかという強者もいるらしい。

 異動のスパンは決まっていないが、短ければ一年、長くて五、六年……。店舗の事情、個人の事情などもあり、いつその時がやってくるのかは分からない。

 つまりは、四年目である自分にも、近いうちにその話が降ってくるかもしれないという可能性を意味する。

 今の今まで頭の片隅にもなかったが、確率はゼロではない。

(……もし、話が来たら)

 来年の四月が、そのタイミングだったら?

 瞬間、碧の顔が浮かんで、広瀬はふうっと大きく息を吐いた。

 急に押し黙った広瀬に、どうかしたか、と高梨が声を掛ける。

「なんか、悩みでもある感じ?」

「あ、ああ……」

 心配そうに問うてきた高梨に、広瀬は「なんでもない」と返す。

 異動なんて、今から気にしていても仕方が無い。そうなったらそうなった時だが、タイミングというものがある。

 もし仮にそんな内示があるとすれば、年明け。正確な辞令が出るのは、二月頃になるだろう。

 受験ただ中の碧の事を考えて、広瀬はぐっと拳を握った。

 なんでもない、と言いながらも、明らかに何か考えている広瀬の様子に、高梨はふむ…と拳を口元に持って行く。

 もう少し話せればいいのだろうが、恐らくそれは今ではない。

「ま、いいか……」

 高梨はそう独り言のように呟いてから、広瀬の肩をぽんと叩いた。

「今度、久しぶりに飲みにでも行こう」

 高梨の誘いに、広瀬が顔を上げ、ふっと笑う。

「あ、いいな、それ。年末忙しくなる前にでも」

「了解」

 高梨はそう返事をすると、じゃな、と自身の売り場の方に歩いて行った。

 広瀬はその姿を見送ってから、自身も作業へと向かう。

 頭の片隅に、一抹の不安を残して。

 

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