第29話

 店内のBGMがクリスマスソングに変わり、入り口に少し大きめのクリスマスツリーが飾られたのは、11月に入ってすぐ。その頃は、まだクリスマスムードにはほど遠かったが、11月も終わり12月になると、何かと気ぜわしくなり雰囲気も高まってくる。

 同時に年末年始に向けた準備もはじまり、忙しさも徐々に増す。師走とはよく言ったもので、普段事務所でのパソコン業務や裏方仕事をしている店長や副店長も、常に売り場で対応に追われているような状況だ。

 広瀬自身、メインの飲料だけではなく、お菓子や食品などのヘルプに入ることも増えてきた。

 それもこれも、クリスマスから正月までの期間が短すぎるせいだ、と、毎年のように愚痴を言っているような気がする。

 個人では、クリスマスが終わったら大掃除、お正月の流れで問題はない。

 が、商品を並べて売る立場では、クリスマスが終わってから年末年始の商品を並べるなど言語道断、遅すぎる。クリスマスも正月も、一緒くたである。

 そして、例年よりも忙しさを感じるのは、人手の問題だろうと広瀬は思う。人数的な話でいけばさして大きな変化はないのだが、経験者が減ったのが一番響いているのは確かだ。

 夏から入った川野と大内の二人もよく動いてくれる。だが、やはりはじめての事が多く、一から伝えなくてはならない事が多い。それで多少とはいえ、手間が取られているのも否めない。

 こういうとき、どうしても碧の事が頭に浮かんで、広瀬はそのたびに困惑する。

 クリスマスのシャンメリーやワインのコーナーを作ったときも、正月用の御神酒のコーナーを作ったときも。去年はどういう作り方をしたかと思い出せば、必ずそこに碧の姿があった。そして思い出しては、一緒に仕事ができない寂しさを覚える。

 碧とはバイトの最終日以降顔を合わせてはいない。だから余計そう感じるのだろうかとも思うが、理由がそれだけでは無い事は明白だ。

 彼のことを思い出し、考えずにはいられないものを抱えてしまっている。

 受験が終わったら、と言ったのは自分。それが最善だったと思うし、今も考えは変わらない。

 けれど。

(……三月なぁ。思ったより長い……)

 あれからまだふた月。ここからまだ、三ヶ月も先の話だ。

 日々受験勉強に邁進している碧にとっては、もう残り三ヶ月なのかもしれない。が、淡々とした変わらぬ日々を過ごす広瀬には、なんだか長く感じられる。

 もしかしたら、その間本当に一度も会わない可能性だって、ゼロでは無い。

 碧も、買い物ぐらいには来ているのだろう、と広瀬は思う。が、姿を見たことはないから、来ても自分に会うことは避けているのかもしれない。

 仮に自分が碧の立場だったら、早々顔を見せられないだろうから、何となく碧の気持ちも分かるのだけれど。

 それでも顔を見たいな、と思うあたりで、負けている気がするわけで。

 広瀬は棚に商品を並べながら、一人口元を緩めた。

 

 

 店長の竹原から会議室へ呼ばれたのは、そんな忙しいさなかだった。

 出勤直後に売り場の変更を相談され、てっきりその話だとばかり思っていたのに、

「広瀬さんに、異動の話があります」

 竹原の口から発せられたのは、まさかの話だった。

「い、どう、ですか?」

 おそらく、鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていただろう、と広瀬は思う。

 向かい合って座る竹原は、いつもと変わらない温和な表情を崩すことは無く、眼鏡の奥から広瀬の事をじっと見据えている。これは、自分からの言葉を待っているのだろうか、と広瀬は口を開いた。

「あの、異動って、いつの」

 どの範囲まで聞けるのか分からないが、聞かない事には始まらない。

 異動の話が本格的に動くのは、例年年明け。年始の慌ただしさが過ぎた頃に話が出ることが多いから、このタイミングであるのにも違和感を覚える。

「もしかすると、来年の二月」

 手元の手帳に一瞬だけ視線を落とし、竹原はそう言った。

 詳細を聞けば、どうやら京都にある店舗ひとつで、急遽飲料担当者が辞める事になったらしい。家族の介護とのことで、なるべく早くという相談が上がったとのこと。希望はすぐにでも、とのことだが、クリスマスに年末年始という繁忙期の異動は難しく、早くて二月という事で納得してもらったらしい。

「他にも何人か候補は挙がっていて。なので、最終広瀬さんになるかは、年明けになってみないと分からない状況で」

 それでも、突然の話になるよりは、ということで今に至るらしい。

「それに、仮に広瀬さんが異動すると、代わりにうちに来てもらう人がね」

 竹原は、そこでふっと表情を緩めた。

 そうなのだ。

 仮に担当部門に社員が複数いれば、一人抜けてももう一人残るため、影響は最小限に留まる。だが、この店のように社員が広瀬だけで、後がパートとアルバイトだけという構成の場合、他の店舗から社員を異動させてくることになる。

 つまり、一店舗だけの問題ではないという事だ。

 今回の場合、その該当の京都の店は、ここと同じく社員が一人体制の店らしい。

「だから、社員が二人いる店舗から一人動かすのが手っ取り早い……っていう話にはなっているらしいんだけど、それも一時的解決でね」

 担当社員が二人いる店というのは、基本的に規模が大きいとか、集客が多いとか、それなりに理由がある。

 つまり、そこにも結局補填をせねばならず、大きく人員を動かすことは必然という訳だ。

「本社の人事も考えてくれるはずだけど」

 例えば、店舗経験を経て本社勤務になっている者を、一旦現場に戻す……といった話。

 だが、そんな突っ込んだところは、竹原がいくら店長であっても深く関与はできない部分ではある。

 竹原はふーっと大きく息を吐いてから広瀬を見て、「これは言っておくけど」と前置きをした。

「話が来たとき、一回ちゃんとお断りはしています」

「え?」

「当然でしょ。勝手に「広瀬さんを異動させたい」なんて言ってきて、はいわかりました、なんて。流石の僕も軽率な返事はしません」

 きっぱりと竹原は言い、それからにこりと笑う。

「そういうわけです。でも、もしかしたらがあることは……」

 言葉を濁した竹原の意図を汲み、広瀬は「わかりました」と返事をする。

 この話はそこまでとなり、その後は、売り場の変更についての相談に移った。


 

 会議室を出て、広瀬は宙を仰ぐ。

 嫌な予感というのは、当たって欲しく無いときほど当たるものだなぁと思う。

 ついこの間、同僚の高梨と異動の話をしたところだ。そのときから、もやもやとしたものが頭の片隅に居座っていた。いつかは分からないが、確実にこの店を離れなくてはいけない時がやってくる。そして、そのタイミングを自分で選ぶ事はできない。

「まさか、なぁ」

 広瀬は苦笑し、それからぎゅっと唇を噛んだ。

 異動の話が降ってきたのが、もっと早い……夏頃のタイミングだったなら。多少後ろ髪を引かれる事はあれど、仕方ないことだとすんなり事を受け入れていただろう。

 この仕事をしている以上、店舗間異動は当然のようについて回る。

 家庭の都合などである程度希望を聞いてはくれるものの、落ち着けるのは管理職レベルにまで到達してからだ。その管理職でさえ、一定の年数で異動することが課せられている。

 つまり、異動はいずれ自分にも回ってくる話。仕方の無い事なのだと分かってはいる。だが今は、この店を離れるのを少しでも先延ばしにしたいと思ってしまっている自分がいて、それがもどかしい。

 立ち止まって考えを巡らせていた広瀬の前で、事務所の扉が開く。一歩下がって待つと、中から高梨が出てきた。

「高梨」

「ああ、広瀬。お疲れ……」

 にこやかに挨拶してきた高梨の表情が、すっと変わる。

「……どうかしたか。顔色がすぐれない感じがするけど」

 高梨が心配そうに聞いてきて、広瀬は「ああ……」と口を開きかけ、そのまま次を続けることなく口を閉ざす。

 そして、視線を送ってから歩き始めれば、何かを感じたのであろう高梨が後ろから着いてきた。

 事務所から少し離れたタイミング。他に人が居ないのを見計らって、広瀬は口を開くと、 

「異動の話がきた」

 後ろを振り返らず、静かに呟くようにそう言った。

「はっ?」

 後ろからの素っ頓狂な声に、広瀬は足を止める。振り返るより先に、高梨が前に回り込んできた。

「おい、今」

「異動の話がきてる」

 改めてそう言った広瀬を、高梨は目を見開いてまじまじと見る。

「異動、って。お前が?このタイミングで?」

「ああ。まだ本決まりではないけど、可能性はあるらしい」

「……マジか」

 いつ、どうして、何で、と、顔に書いてある。

 広瀬もこの話を、もどかしさを、今すぐ吐き出してしまいたかった。

「こん……」 

「よし、飯に行こう」

 今度話を聞いてくれ、と言おうとした広瀬の声に、高梨の言葉が覆い被さる。

「これから、な?」

「……」

 こいつは、と広瀬は高梨を呆れるように見て、大きくため息を吐いた。

 この男の勢いや潔さは凄いと思うが、ちょっとどこかずれている気がする。

「俺はこの後も仕事ですが」

 広瀬が言うのに、ああ、と高梨は苦笑して「そうでした。申し訳ない」と軽く頭を下げた。

「じゃ、次の休みいつ?」

 間を置かずに問うてくる高梨に、広瀬は「明日」と答えた。

 一瞬、今日の仕事が終わった後でもと思ったが、流石にそれは……と自重する。

「じゃあ、明日の夜。俺は仕事だけど、六時には終わるから、その後に」

 約束な、と高梨は言うと、足早に店の方に戻っていった。

 その後ろ姿に、急ぎの仕事の途中だっただろうか、と広瀬は申し訳なくなる。

 それでも、誰かに話をせずにはいられなかったのだ。

 広瀬は近くの柱にもたれ掛かると、目を閉じて体中の酸素を吐き出す勢いの大きなため息を吐いた。

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