第27話
「え……?」
思いも寄らなかった言葉を耳にして、今度は碧が時を止める番だった。
広瀬の口から告げられた言葉の意味を理解するのに数秒。そこから導かれることを想像するのに、数秒。
「え……」
もう一度呟いた碧の様子に、広瀬はふふっと表情を歪めた。
「想像もしてなかった?」
次の言葉が出ない碧に対して、広瀬の方が先に口火を切る。
「は、い……」
「だろうね」
当然だ、と広瀬は続けた。それくらいの事を告げたのだから、致し方ない。
けれどこれは、碧の告白に対して返さなくてはならない誠意だと、広瀬は思った。だから、そのまま話を続ける。
「俺はゲイで、これまで付き合った人も、好きになるのも、男」
そういうことだよ、と言われて、碧は言葉を失ったまま、ただじっと広瀬を見つめる。
(……それって……)
碧は頭の中で、「俺はゲイだ」という、聞いたばかりの広瀬の言葉を繰り返した。
つい数分前までの勢いはどこへやら。碧はぐっと押し黙ったまま、二の句をつなげない。
何を言えば正解なのか戸惑っているんだろうと、広瀬は碧の様子を見ながら思う。
が、それも仕方がない。碧にしてみれば、告白して自分の思いを伝えることが目的で、そこから先の事を具体的に考えていたわけでもないだろう。
まして、広瀬から想像の斜め上をいくような告白が返されるとは、夢にも思っていなかったはずだ。
自分のひと言がこの先の流れを変えると思えば、言葉選びにも躊躇するのも仕方が無い。
だが、これに対する返事に、おそらく正解はない。
広瀬はそれを分かった上で、ゆっくりと言葉を続けた。
「だから……といって、牧野くん、君への返事がOKというわけではない」
「あ……」
先を越された…といった体で、碧はきゅっと唇を噛み、視線を下げた。もしかしたら、碧が一番聞きたくなかった言葉かもしれない。
広瀬は胸がチクりと痛むような感覚を覚えたが、それでも、きちんと話をしなくてはいけない状況であることは、変わらない。
「男が好きだけど、男なら誰でも良いわけじゃないからね」
当たり前の事ではあるが、広瀬はまるで碧に言い聞かせるようにそう告げた。
「牧野くんだって、ね。男なら誰でも良くて、俺に告白したわけじゃない、でしょ?」
問いかけるような広瀬の言葉に、碧はようやく小さく頷くことで意思を返した。
そして、広瀬の言うとおりだと思う。
誰でも良かったなんて、そんなことあるはずが無い。
もちろん、最初に自分の恋情を意識したときは、相手が広瀬である前に同性であることに碧自身戸惑った。それでも、同性であることが広瀬を諦めることには繋がらなかった。
広瀬芳之という一人の男性を、好きになった。
碧は、広瀬の恋愛対象が男であるという事実を受けて、だったら……と、一瞬でも考えてしまった自分が恥ずかしくなった。問題は、そこではない。
「俺は……」
碧は顔を上げながら、ゆっくりと口を開く。
「俺は、広瀬さんだから…告白しました」
「うん」
碧から視線を外すことなく、むしろじっと目を見つめたまま、広瀬は応じる。
碧の方が気恥ずかしくて視線を逸らしたくなるが、ちゃんと自分の話を聞いてくれる目だと分かっているから、そんなことはしない。
「言うべきかどうかずっと悩んで。でも、言ったら終わるとも思って」
自身の感情に何度も戸惑った。けれど、そんな不安を上書きする想いがあることも、だんだん自覚した。
少なくともこの一年は、広瀬の姿を見て言葉を交わす度に想いを募らせてきた。
「バイトを続けることにしたのも、広瀬さんと離れたくなかったから。息抜きなんて口実で、会えなくなることが怖かった」
言うと、広瀬は少し目を大きく開き、その後右手で口元を押さえた。
バイトを辞めず、ずるずると先延ばしにしていた原因が自分にあったとは、思っていなかったらしい。
表情に少し申し訳なさが浮かんだのを見て取り、碧は小さく首を振った。
「広瀬さんのせいじゃないです。俺の心が弱かったから」
少しでも会いたかった、一緒にいたかったからというのもある。けれど、もっと恐れたのは、受験を選んでバイトを辞めることで広瀬との繋がりが絶たれることだ。
「告白するのを決めたのも、そうです。あと一ヶ月で確実にバイトは辞めなくちゃいけなくて、カウントダウンはじまって……」
声が震える。
碧が少し自分を落ち着かせようと深く息を吐いたところに、広瀬の声が重なる。
「……ここを離れても変わらない関係性、だっけ」
「あ……」
先刻碧が告げた言葉を広瀬がなぞる。碧が広瀬との間に欲しかったものだ。
「それって、恋人っていうこと?」
恋人、という単語に、碧は目を見開く。一瞬で顔に熱が集まるのを覚えて、慌てて俯いた。
「違うの?」
確認するように問われて、碧は「よく……わかりません」と、俯いたまま小さく首を横に振った。
「でも、多分そういうことです」
バイト先でしか繋がっていない関係ではなく、その外でも繋がりを持ちたかった。けれど、それは友人関係を築くというのとも、違う。欲しかったのは、もっと特別な関係。つまりそれをひと言で言い表せば、恋人、ということになるのだ。
心の奥深いところでは、きっと最初から望んでいた。けれど、それを表にだして「恋人になりたい」というのは、おこがましいにも程があると、どこかで思考にストップをかけてしまっていたのかもしれない。
「……広瀬さんと、恋人になりたい、です」
それが広瀬に抱いていた想いの終着点。
はっきりと告げた碧に、広瀬は小さく頷いた。そして、そうだねぇ、と口を開く。
「牧野くんのことは、好きだよ。でも、そういう……君と同じ好きではない」
そこで一旦言葉を句切り、自分をじっと見つめてくる碧と視線を交錯させ、
「……――今は、ね」
そう、静かに付け加えた。
その最後にのひと言に、碧の表情がすうっと変わる。
「今、は」
それはつまり。と碧が僅かに期待するような眼差しを広瀬に向ける。それを認めて、広瀬は「ちがうよ」と、小さく否定した。
「……告白されて、勢いで「じゃあ付き合おう」っていう簡単な話じゃないでしょ」
それに、と広瀬は少し困ったように、そして少し気恥ずかしそうに碧から視線を逸らした。
「さっきまで可愛い弟みたいなバイト君だったのを、いきなり恋愛対象には見られない」
そういう風に意識したことすらなかったのだから、そこは汲んで欲しいところだ、と広瀬は思う。
「けど、ちゃんと受け取ったから、きみの気持ちは。……ありがとう」
広瀬の言葉に、碧はじんわりと胸のあたりが熱くなるのを覚えた。
ありがとう。
その言葉ひとつで、これまでの悩みも焦りもすべてが報われたような気がして、嬉しくなる。ずっと抱え込んでいた想いを伝えて、それを受け止めてくれた。それが嬉しくて、嬉しくて。
目尻が熱くなった次の瞬間、知らず一筋の涙が頬を伝って、碧は自分で驚いた。
「え、あれ……」
慌てて指先で涙を拭い、顔を背ける。
「あれ……」
自然にこぼれ落ちる涙に戸惑う碧の姿に、広瀬は目を細めた。そして、ふっと碧に手を伸ばしそうになって、咄嗟に拳を握りしめそれを押しとどめる。
(いま……)
何をしようとした?と広瀬は自問した。
伸ばした手で、つい?
瞬間、告白された事に驚いたのはもちろんだが、どうやらそれを嬉しくて仕方ないと思っている自分がいることに、気がついてしまった。
広瀬はふふっと自嘲して、慌てて碧に気づかれないよう口元を押さえる。そして、涙を流してしまった自分自身を落ち着かせている碧の背中に、そうだなぁと気持ちを切り替えて声を掛けた。
「……受験が終わったら、かなぁ」
広瀬の声に、碧が反応して振り返る。
「……何が、ですか」
「ん?告白の返事。それまでにちゃんと考えて返事する」
遅い?と問われて、碧は大きく首を振った。
「待たせて悪いとも思うし、それまでもやもやさせちゃうのかもだけど」
けれど、今ここで返事はできないというのが、広瀬の結論だ。
必ずしも碧がそうであるとは思わないが、仮にYESと返事をして浮かれさせるのも、NOと返事をして落ち込ませるのも、どちらも勉強の妨げになってしまいそうで。余計な分子は、排除しておきたい。
いまの広瀬にできるのは、ここで自分の気持ちを告げてキリをつけた碧が、受験勉強に集中できるようにすることだ。
「だから、それまでは受験のことだけ考えて」
広瀬が言うと、碧は視線を揺れ動かした後、小さく頷いた。
これが正解なのかどうかわからなくても、今の最善であることに違いはないと信じて。
「広瀬さん」
顔を上げて、真っ直ぐに碧は広瀬を見据えた。
「俺、頑張りますから。応援してください」
「もちろん」
言ってから、広瀬はそうだ、とひとつ伝え忘れたことがあるのを思い出す。
告白の返事よりも先に、ちゃんと言っておかなくてはならない。
広瀬は碧を呼び、あのね、と口を開いた。
「さっき、俺のことを好きになってごめんなさいって、言ったよね」
広瀬が言うのに、碧は少し眉を寄せ、自分の言葉を思い出す。そして、
「……はい…」
と、頷いた。
何を言われるのだろうと身構える碧に、広瀬は静かに言う。
「ごめんなさい、なんて言わなくていい。そもそも、人を好きになるなんて自然なことに対して、謝る必要なんてないんだ。その相手が異性だろうと、同性だろうと」
広瀬はそう言いながら、碧に過去の自分を重ねる。
高校時代、すでに自分の性の趣向を自覚していたあの頃。広瀬自身も、同性を好きになってしまうことを後ろめたく思っていた事がある。好きになった相手に、ごめんなさいと心の中で何度謝ったか分からない。
だから、碧の気持ちも分かるつもりだ。
「まあね、俺がゲイだから驚かなかったし、素直に受け入れられたっていうのもあるかもしれない」
それでも、人を好きになることに対して、その想いをちゃんと伝えることに対して、謝罪の必要などどこにもない。
どれだけ勇気と覚悟が必要なであるか、身をもって知っている。
それだけは、伝えておかなくてはいけないと思った。そして、それが少しでも碧の自信に繋がればいいと。
広瀬が話すのを黙って聞いていた碧は、はい、と少しはにかんで返事をすると、そこでようやく腕時計に視線を向けた。釣られて広瀬も時計を見、二人同時に顔を上げて苦笑する。
「時間、すみません」
「大丈夫。そんなこと、気にしないで」
むしろ、肌寒くなってきたこの時間に、外で長く立ち話をさせてしまうことになったことを思って、申し訳なくなる。
碧は「じゃあ」と頭を下げる。
「じゃあ、またね」
「はい。また、次のバイトの日に」
「うん、待ってます」
碧はもう一度広瀬に頭を下げると、駐輪場に向けて歩き始めた。
その背中を見送り、広瀬も店の方へと戻るために踵を返す。
碧がバイトを完全に辞めるまで、あと一ヶ月。とはいえ、その中で実際バイトに入る日数は、十日程度だ。きっとその十日は、いつも通り、変わらずに過ごせるような気がする。
一度広瀬が足を止めて振り返ると、碧が自転車に跨がって走って行く姿が見えた。
気ぜわしく季節が流れていく。碧がここを去る頃には、冬の足音がもう聞こえ始めているかもしれない。
その頃、店長のスマホが鳴ったことを、広瀬も碧も知るよしは無かった。
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