第35話 剣闘士の見る景色

 僕は一人で来た道を戻り不治野たちの救出へと向かう。


 運のいいことにアサヤケ公園を引き返し始めて然程経たぬうちに一組の冒険者パーティーと遭遇したのだ。

 事情を説明したら、快くギルドへの報告や真白たち保護すべき人間のことも請け負ってくれた。

 なので僕単独で、あっという間にサンゲキガレキ廃村の赤い空が目に入る位置にまで戻って来れた。

 一対一が主流の剣闘士とは違い、冒険者というものは助け合いが発生するのだ。

 その有難みを実感した。


 レベル四ドロノビが二体、前方から突っ込んできていた。

 紫色の髪を伸ばしてくる二体に対し、僕は加速して接近し二体のドロノビを一撃のもとに沈めて行く。

 足は止めない。


 そのまま目的地へ急ぐ。

 するとサンゲキガレキ廃村の方から飛び出してきた複数の人影が目に映る。

 不治野たちだ。

 怪我人を背負い、足が動く者たちが駆け走って来ている。


 その背後に稲妻が落ちた。

 そう錯覚させるほどの雷魔力をその身に纏い高速で追跡してきた全身紅色の魔物が出現する。


「……生きてたか」


 僕はつぶやいた。


「二位之!」


 あっちは叫んできた。

 僕は尋ねた。


「不治野、君らの後ろから追いかけて来てる魔物はいったいなんなんだ!」


 その発言を皮切りに逃げ惑う不治野たちが悲鳴を上げながら僕の方まで全力疾走した。 


「うわああああああああああ!」

「ぎゃああああああああああ!」

「追いかけてきやがったあああああああ!」


 逆に僕はそんな彼らの元まで駆け走って行く。

 必死に逃走を図り、足を動かす彼らには分からなかっただろうが、今不治野たちの後ろでは物凄いことが起こっていた。


 遥か遠方の遊具の周りで先ほどまでどれだけ騒がしくしても、じっと佇ずみ続けていたアサヤケ公園の支配者者格魔物が、不治野たちを追跡している紅色の魔物へと急接近し襲い掛かったのだ。

 縄張り争いだろうか。

 魔物同士で行う物凄い戦闘音が僕の元まで届いている。


 ようやく不治野たちが僕のそばにたどり着いた。

 彼らは自分たちの後方で行われている魔物同士の決闘をその時になって初めて視野に入れた。


「ぜえ、はあ……」


 両膝に手をついて不治野が疑問を投げかける。


「なんで戻ってきやがった二位之?」


「そんなことより、君は早くここから逃げ出した方がいいかもしれないよ」


「あん? あいつは今、ここの支配者格魔物と戦って……」


 不治野の顔が凍り付く。

 そう、アサヤケ公園の支配者格魔物は今、紅色の魔物に一方的に惨殺されそうになっている。


「みんな急いで逃げろッ!」


 救出された冒険者のうちの一人が逃走を呼びかけた。

 その一声でこの場にいた僕と不治野以外の人間が逃げ出し始める。


「――不治野、あの赤い魔物は、サンゲキガレキ廃村の雑魚魔物って認識でいいのかい?」


「ちげえよ! サンゲキガレキ廃村の支配者格魔物だ! 二位之! 逃げるぞ!」


 不治野が走り出す。


 僕はついて行かなかった。


「おい! なにやってんだ!」


 苛立ちながら振り返ってきた不治野のいる方向を僕は見渡した。


「元プロ剣闘士の二位之陽光郎、それが僕だ! あの魔物は僕が足止めする! だからあなたたちはそこの赤髪の彼を連れてさっさと逃走するといい!」


 先にこの場から逃げ出そうとしていた救出された冒険者たちが、いつまでも来ない不治野を心配して彼の周りまで戻ってきていたのだ。

 そして僕はそんな彼らに不治野を連れて行くよう呼びかけた。

 不治野はなにか喚いていたが、周りの冒険者たちに連れられ僕の立つ場所から離れていった。


 我ながら二位之陽光郎という名前はこういう時、結構な数の人間から見捨てたとしても心をあまり痛まないで済む名前だとかそんな評価を下されているような気がする。

 ひょっとしたら元プロ剣闘士としての僕の実力を認めてくれて、この場を託してくれた可能性もあるが、そのどちらでも構わない。


 鳴き声が轟いた。

 それはアサヤケ公園の支配者格魔物が絶命した知らせだ。

 紅色の骸骨もといサンゲキガレキ廃村の支配者格魔物は自由の身となり、僕ら人間の方を見つめ出す。


「おいッ! 二位之ッてめえッ! そんな行動、俺は認めてねえぞ! 死にてえのか!?」


 後方から小さな声となって聞こえてくる不治野の声。

 僕は笑った。

 不治野は昔僕の試合を見たことがあるって言っていたはずだ。

 だけどその割には僕のことをまるで理解できていない。


「――嫌われ者のプロ剣闘士、二位之陽光郎は最近になって確かに引退した」


 不治野のいる位置にはなにがあっても届かないであろう声量で僕はただの事実を言葉に吐き出す。

 

 かつての僕は弟の命を救うために百億が必要だから、と。

 それを言い訳にし社長たちの企てた、稀代の天才、与路健太郎という光を火種にしてそのそばにいる僕らという闇に注目を持ってくる嫌われ者計画、その思惑に身をゆだねた。

 その結果なにが起こったか。

 

 僕のキャラクター性ゆえに、闇弥は自分の通う学校で苦労し、日々僕の元へと届く、自宅を燃やす、お前の家族を殺すなど様々な脅迫文の対象へと祭り上げられた。

 両親の代わりに弟のことを兄である僕が守らなければならなかったのに、逆に騒動の渦中へと巻き込んでしまった。

 それでも当時の僕はこの瞬間にも、闇弥が生きて目の前にいるのなら、この程度の嫌がらせ安い物だとすら思ってしまっていた。

 だけど僕もあれから年を取った。

 たったの数年、それこそ一年前の自分とも違っていつだって心は変化し続けている。

 今度の自宅だって一体いつ、引っ越さなければならなくなるのか、分からない。

 今では、そんなことですら、僕は闇弥に申し訳なく思ってしまっている。


 社長への義理立てのために働き抜いた高校一年の間のプロ剣闘士人生。

 それは己のなかで起こり始めた矛盾と向き合い続けた一年でもあった。




 そもそも生きるために飛びついた剣闘士という職業、次第に僕は心の底からあの職業が好きになっていた。

 歓声が沸き起こる闘技場。

 どちらへと展開が転び、どちらが勝利を手にするのか、結果が出る瞬間を今か今かと待ちわびている観客たちの声が耳たぶを打つ。

 アリーナに立つ、肩で息をし続ける勝者の姿が、空気を求めて、ゆっくり空を見上げていく。


 僕の試合にそんな景色は、なかった。

 自業自得だ。

 僕は骨の髄まで嫌われ者の二位之陽光郎なのである。

 あの場所から離れたところで最早、その事実が変わることはない。

 

 闘技場で生まれた毒としてこれからも世の中を流れ続け、行きつくところまで行きついていくのだ。


 ただ僕は忘れられずにいる。

 あの頃の僕を応援し続けてくれていた人たちがいたことを。


「弱くなったわけじゃない。僕は強いままだ」


 そうつぶやき、僕は向かってくる魔物を見据えた。

 紅色の骸骨は僕よりは背が高いが人間と体格はそう変わらない。

 ただし紅色のデカい剣をその長い骨の手に握りしめている。

 それも二本。


 どうやらこの骸骨は二刀流の剣士らしい。

 次の瞬間、僕と紅色の骸骨は互いの武器を振るい、斬り結び出す。

 ぶつかり合う獲物の音が連続して響き渡る。

 三本の剣が起こす高速の戦闘風景が僕らを中心に作り出されていく。


 まともに刃を重ね合えば魔力障壁の力強さ勝負になり打ち負ける。

 だから弾き出されないよう意識を強く持ち、敵の攻撃の威力をできる限り逸らす。

 避けられる攻撃は可能な限り回避する。

 手数もむこうが上だ。


 だけど、上手さは僕が上を行く。

 敵の二本の剣が一点を狙って振るわれるなか僕は潜り抜けて行き、小さく跳躍し、体を回転させる。

 回転斬りだ。回る視界のなか、刃を振るい、真横から骸骨を叩き斬っていく。

 甲高い衝撃音が響く。

 紅色の骸骨の体が、僕の放った回転斬りによって弾け飛んだ。


 しかし当たり前のように倒れず、骸骨は即座に僕の元へ斬りかかってくる。

 前方へ僕は踏み込んだ。

 敵より先に攻撃を振るいに向かう。

 再度、斬り合いが始まった。

 刃と刃が互いの目前にある空間を傷つけあう。


 突如骸骨の全身から雷が迸り、剣戟けんげきのなかに水を差す。

 これがレベル六の魔物が有するという属性魔力を纏う能力ということだろう。

 サンゲキガレキ廃村のダンジョンレベルは五。そこの支配者格魔物だからこの骸骨は最低でもレベル六という考え方で間違いないはずだ。


 骸骨の体から流れ出た電撃を避け、僕は敵から距離を取った。

 そうすると、すぐに骨の身体を流れる電流が消失した。

 地を蹴った僕の振るう剣が無防備となった骸骨の体を穿ちに向かう。

 

 けれど、魔力障壁に拒まれた。

 仰け反りながらも敵が振ってきた斬撃が襲い来る。

 僕は難なくと回避してのけた。


 

 どうも体に属性魔力を纏う敵のあの行動にはインターバルがあるようだ。

 狙い目だろう。


 だが厄介なのはレベル五以上の魔物が有する集中した魔力を全身に行き渡らせられる能力。

 これにより万が一にもあの支配者格魔物の魔力障壁の守りを僕の攻撃が超えることができない。

 精々、体を押し返すくらいの衝撃しか与えられない。


 再び、僕と骸骨は互いの武器で斬り合っていく。

 その時、いよいよか細くなった不治野の声を耳穴が拾い上げる。


「二位之ッ!」


 振り返らずともその必死さが見て取れる。

 だけど、違うよ不治野。

 それは間違いだ。


 きっと君は今、とんでもない勘違いをしたまま下がって行った。

 誰かを救うために己の身を犠牲にする選択をし、圧倒的な魔物の脅威に晒される結果となり、風前の灯火へと陥った二位之陽光郎の姿を君は幻視してしまったんだろう。

 

 ただ逆だ。

 追い込まれているのは僕の方じゃなくて向こうの方だ。

 僕がこの魔物を見上げているんじゃない。

 下の階層から順当に上がって来た蹂躙者をその場で必死になって押しとどめようとしているのがこの魔物の現状なのだ。


 冒険者と同じく戦闘を畑とする剣闘士という職業。

 その世界で僕はプロとして籍を置いてきたのだ。

 しかも、その世界の頂上近くにまで一度は足をかけ始めていた。


 最終的にたどり着けた僕のプロ剣闘士としての最高ランキングは、四十五位。

 今の時代、剣闘士と冒険者は世界の人気を二分に分かつ存在である。

 そんな熱気のただ中へと、八十八ある都市から数多の人間が参戦し、他世界からの参戦者も含んだ剣闘士界は巨大だ。

 その中で仮プロ時代も合わせたたった二年間のプロ期間で、上から数えて四十五番目の剣闘士としての地位を勝ち取った。

 それが僕、二位之陽光郎なのである。


 その剣闘士界で得た立ち位置から勝手に自分の足で地べたへ降りてきただけのことで、地上へ戻った後は、再びその近くに建っていた冒険者という名の階段に目を付けて、もう一度元見た景色が見えるところまで今は上がり始めている最中に過ぎない。

 その道中、たまたまこの階層に留まっていたこの魔物と出会い、こうして刃を混じえることとなった。


 僕はすでに見知った空の景色へ向かって進み続けているだけで。

 片やこの魔物は今の立ち位置をずっと維持し続けようとしている。

 結果の見えている綱引き勝負が行われているようなものだ。

 このまま戦い続ければいずれ僕が必ず勝利を手にする。


 一先ず、僕にとってはプロ冒険者こそがスタート地点であり、アマチュア時代の全てはそのための準備運動という傲慢な認識でいた。


「っ!?」


 剣戟の合間に、うっかり足を滑らせてしまった。

 そのせいで僕は前方から駆け抜けてきた敵の攻撃による、まるで空間を貫くような威力の乗った一撃に被弾する。

 咄嗟にロングソードで受け止められた。


 しかしその攻撃の衝撃を完全には殺しきれずに肉体を持っていかれる。

 大地から両足が飛びのき、宙の横っ腹へぶっ飛ばされた。

 電車に攫われた気分だ。

 やがて地に落ちそうになると僕は空中で体を何回転もした。

 地面に足をつけた瞬間、それでも止まらぬ勢いに押される。

 両足が、無理矢理空を眺めさせられた僕の上体を支えていた。


 倒れてはいない。

 どたんばで踏ん張っている。

 仰け反った上体を戻し起こす。

 金髪が目元に垂れ下がった。

 

 めちゃくちゃ動揺していた。

 冷や汗が顔から噴き出す。

 僕は正面を見据えた。


 サンゲキガレキ廃村の支配者格魔物は追撃を仕掛けに僕の元へ突貫してきた。

 僕はロングソードを閃かせ、迎え撃ちに前方へと足を伸ばす。


「――いいね」


 そうでないと戦いはつまらない。

 どちらかが戦いから目を背けた瞬間、途端に気持ちが萎え込むのだ。


 世界を滅ぼそうとする魔物たち。

 それを防衛しようとする人間たち。

 互いが対峙すれば、そこにある構図は自然と、剣闘士でいうところの確死試合のようなものへと発展する。


 確死試合とは、自分か対戦相手のどちらかが、確定で亡くなるまでの間、殺し合い続ければならない試合方式のことだ。


 高速で何度と振り下ろす魔物の描く二本の剣の軌跡が、僕の視界内を飛び交う。

 まるで刃の雨。

 敵から放たれる無数の攻撃軌道を僕は瞳に映し続けていく。

 流動する魔物の振るう剣の刃が通った道、その背景には動かぬアサヤケ公園の遊具が聳えている。

 やがて敵の放つ斬撃の動きは周りの遊具に似通っていき、僕の視野のなかで停止する。


 それを躱すことは容易い。

 僕は支配者格魔物の剣が宙に描こうとする刃の軌道を掻い潜り、己の剣を叩き込んでいく。


 今の僕には敵の動作のすべてが遅くなったように感じていた。

 だからといって決して世界が時を停止しようとしているわけではない。

 

 骨の身体だから自由自在に動く敵の腕、僕は剣で斬りつけ、敵の攻撃軌道を変えてしまう。

 自爆する敵。

 例え僕の放つ攻撃は効かなくても、己自身の攻撃は別のようだった。

 そして傷ついた敵の魔力障壁に僕の追撃が飛んだ。


 僕はつい笑いが止まらなくなる。

 吊り上がりすぎた口角が三日月よりも鋭くなりそうだ。


 僕を拾い上げてくれた事務所の社長の話では、古今東西、ランキング上位のプロ剣闘士は皆、優れた動体視力と自己中心的な思考回路、そして死を恐れずに突き進めるだけの勇気を持ち合わせているそうだ。

 それを最初から有していた子供だったからこそ社長はあの時僕という才能にほれ込んだ。

 戦神が目を付けた稀有の才能を持つ天才相手にあてがう悪者役として、僕は選ばれたのだ。



 敵の斬撃の数々を危なげなく捌き、生身では行えないような角度から来る剣の一撃を僕は回避し、弾き上げる。

 敵の元へと戻って行く剣の刃が、骨の身体に罅を走らせる。

 その傷痕は、骨の体を覆う魔力障壁がぶっ壊れ始めている証拠だ。


 即座に僕はその傷口をより甚大なものにするため、斬り込んでいく。

 敵は堪らず、振るう攻撃の手を早め、纏う電撃を放出し、僕を近寄らせまいとでたらめに動きまわる。

 だけど僕の剣は、向かい来るその攻撃の軌道を再び敵の元へと持っていくようはじき返す。

 結果、敵の長い腕は剣をそのまま勢いよく己の骨の頭部へと直撃させた。

 よろめく敵の魔物。

 骨の手から剣が一本、地に離れた。

 全身に張り巡らせた魔力障壁、それを自らの手でこの魔物は取り返しがつかないほど破損させてしまった。


 僕は魔力障壁を纏ったロングソードを振り上げ、渾身の一撃を魔物の頭部へと叩き込んだ。

 朝焼けが空から地上を染め上げていた。

 観客もいない、僕と敵だけが見ている景色だ。


 プロ剣闘士としてアリーナに立った僕の試合、ほとんどの客が、勝者になんて興味を抱いてはいなかった。

 多くの関心は、二位之陽光郎が敗北するかどうかだけだ。

 だからこそ次第に僕が代わりに対戦相手の姿を自分の目に焼き付けるようになった。


 弱いも強いも剣を合わせた瞬間、僕はそれを全力で打ち破ってきた。

 今日も僕の瞳には、相手の面がよく映っている。

 生き途絶えていく魔物の最期の姿を、僕は見下ろす。

 どうやらこの確死試合、帰宅して、シャワーを浴びることができるのは僕の方みたいだ。


「うん?」


 腕時計の紐がほどけた。

 地に落ちた時計に罅が入っている。

 拾い上げたが、壊れていた。


「うっわ……これ、デビュー戦の時に貰ったものだったのに……」


 普通に落ち込んだが、それでもこの戦いは僕の勝利で終わった。

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