第36話 過去

 九年前のあの日、悪の死神アザマサイハは自らが先頭に立ち自世界の住民を付き従え、オオバネ都市へ襲い掛かった。

 両親、そして闇弥と僕の四人家族で暮らしていた平和な日常もあの時に終わり告げることとなったのだ。

 想い出もろとも焼き尽きてゆく自宅の前で、アザマサイハは僕へ大鎌を振り上げた。

 

 最早僕の命もそれまで、せめてこの後すぐ襲いかかってくるであろう絶望という運命から目を背けることしか僕にはできなかった。

 そんな情けない僕を守るために闇弥が飛び出したのだ。

 呆気なくまた僕の前で家族の命が散り果てていく。

 それも僕よりも年下の弟の生が、瞳の色が消えてゆく。


「まだ救えますよ?」


 いつの間にか僕の目の前に、アザマサイハとは別の死神が立っていた。

 そして気がつけばアザマサイハの姿はこの場から消え失せていた。


「救え、る?」


「救えますよ」


 女性の姿を形どったその死神は微笑を浮かべている。


「闇弥を?」


「救えますよ」


「助けて!」


「救えましたよ?」


 僕はわが目を疑った。

 闇弥の傷口がみるみるうちに塞がって行き、息を吹き替えし始めていたのだ。


「待って! 父さんや母さんは!?」


 死神は満面の笑みを浮かべた。


「救えませんよ」


「そんな! なんで!」


 死神は微笑んだ。


「私の名前はラデスアトナ。人一人分の命を救った代価をあなたに要求しますよ」


「代価?」


「あなたにとって人一人分と同等の価値を持つ代金を私にお支払いしてくださいよ?」


「え、零コゼニカでいいの?」




 死神は微笑んだ。


「…………そうなのですね? あなたの父親の教えなのですね? 人の命をお金に換算することをしてはならないのですね? その教えは私にとっては実に困りますね。あなたは零コゼニカと答えましたね」


 死神は大鎌を振り上げた。


「……どうしましょうね?」


 僕は尻もちをついた。


「なにが?」


 死神は微笑んだ。


「百億コゼニカか貴方の命のどちらかでのお支払いということにしますよ」


「はい?」



「百億コゼニカの場合は貴方自身の努力の末に、集め切ってください。もし貴方が努力を怠るようであるなら、その時は私が救った命を回収しに舞い戻ってきますよ」


「……それって、まさか闇弥の命を奪うってこと?」


「違うのですよ。奪うのではなくて、回収するのですよ」 


「回収されても闇弥は死なない?」


 ラデスアトナは微笑んだ。


「死にますよ」


 僕は寝息を立てている闇弥を見た。


「じゃあ、どうぞ?」


 自分の首を差し出す僕へ死神は首を傾げた。


「どういう意味でしょう?」


「僕の命でもいいってさっき言ったよね? 一億コゼニカが百個って僕には到底、集めるの無理だと思うんだ。だから命の方をあげるよ」


 死神は微笑んだ。


「無気力な命を私は欲してはいませんよ。そうですね。百億コゼニカを懸命に得ようとする貴方が道半ばで亡くなることがあればその命を頂戴しに私はやってきますよ」


 僕は立ち上がった。

 その場で準備運動を始める。


「……なにをやっているのです?」


「今から父さんや母さんを殺した死神を探して来ようかなって。あいつを殺せば仇を討てるし、お姉さんに支払う百億も手に入るかもしれない。僕が殺されたらそれはそれで、弟の命が救われる」


 僕は震える足を拳で殴りつける。


「弟があの死神に立ち向かえたんだ。……兄の僕ができないわけないし痛って!?」


 目の前の女性の死神は僕を大鎌の根元で強打した。


「自殺行為で得る死を私は欲してはいませんよ?」


 大鎌の刃先が地に倒れた僕の首筋を撫でつける。

 それでいて女性の死神の顔は僕のすぐ目の前にあった。

 空洞が開いたようなどす黒い両眼で僕を見つめてきている。


「生へしがみつくのですよ。その過程で果てる命を私は欲しているのですよ」


 僕は引きつった顔で女性の瞳に釘付けとなってしまった。


「人の命は貴方にとっては零コゼニカの価値ですよ。しかし人の命には百億コゼニカの価値があると主張した人間も世の中には存在するのですよ」


 死神は僕に言う。


「貴方は貴方じゃない誰かの下した価値に従って百億コゼニカを私に見返りとして支

払うのですよ。百億コゼニカを必死に求め、生を懸命に生きようとする貴方の命を私に見返りとして支払うのですよ。これは私と貴方の契約ですよ」


 死神は微笑んだ。


「百億コゼニカ集め終えた暁には正義の死神ラデスアトナを呼び出すのですよ?」


「ラデスアト痛ッ!?」


 首が大鎌の切っ先で少しだけ切り裂かれた。


「百億コゼニカ集め終えた暁に私の名を呼ぶのですよ?」


「す、みません。もうその時以外で名前呼びません」


 僕は涙目だ。

 死神は微笑みながら僕の首の切り傷を撫でた。

 すると不思議なことに首の痛みが消失する。


「……百億十コゼニカ集め終えた暁に私の名を呼ぶのですよ?」


「……増えた?」


「私は優しい死神ですよ?」


 そう微笑んだ後、死神は僕から背を向けた。

 僕はその背中に叫んだ。


「あの! 弟を助けてくれてありがとう!」


「約束を違えれば回収しにやってきますよ?」


「僕は父さんや母さんの分も一生懸命生きて絶対に百億コゼニカ支払う!」


「百億十コゼニカですよ」


「必ず百億十コゼニカ支払います!」


 正義の死神ラデスアトナはそうして僕の前からいなくなった。

 次の瞬間、僕は病院のベット上だった。

 泣きわめく闇弥に困り果て、本当にもう二度と顔を合わせられなくなった両親のことに想いを馳せ、後に僕ら兄弟から遺産を全部盗み取ってしまう叔母の表情すら僕はよく見てはいなかった。

 今じゃもう消えて亡くなったラデスアトナに付けられたあの首の傷痕のあった肌を撫でながら。



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