第21話 遊び

 不治野は立ち止まった。


「誰もいねえみてえだ、好都合だな! さっそくやろうぜ?」


 僕は目線を動かす。


「動ける範囲は?」


「必要ねえだろ? 治癒師相手に逃亡するようなてめえじゃなければな!」


 不治野は殴り掛かって来る。

 街灯が映し出す夜中の公園の足元へ伸びる僕らの影。

 これが互いの影を踏みつけ合う遊びなら不治野にも勝ち目はあったかもしれない。

 だけど、現実はそうじゃない。


「時間は?」


「俺かお前が疲れ果てて倒れるまで! それかお前に俺が拳を一発でも直撃させるまでだ!」


 不治野の拳が空を切る。


「まんがい――億が一、君が勝てば報酬は決闘を行うことだっけ?」


 僕が足を止めない限り、何度だって彼の拳は素振りを行い続けるだけになるはずだ。


「決闘はもういい!」


「だったら何のために僕はこんなくだら」


「俺が勝ったら、冒険者部のために働け!」


「嫌だね」


「てめえはそんなに治癒師に負けるのが怖いのかよ!」


 僕は舌打ちした。

 不治野の拳は明後日の方向へ飛んでいく。

 

「もし兆が一、君が僕に攻撃を当てられたなら冒険者部の一員としてある程度は協力することを約束する。僕が勝てばもう金輪際こんりんざい、部室には行かない」


「ああ、それでいいぜッ!」


 この遊びは不公平にできている。

 なぜなら僕は最小限の動きで躱すだけでいい。対する不治野はいちいち大振りで向かって来ている。

 一度の交差が起こる時、僕が彼の攻撃に当たらないものだから、その場に残る結果は変わらないまま、また不治野が振り出しに戻って攻撃する姿勢を整えることの繰り返し。


 そういった現状を僕がずっと続けさせている。

 けれど消耗していく体力の差は五分じゃない。

 ぜえはあ、と肩で息をつく不治野を見下ろし僕は言葉を吐き捨てる。


「せっかくだから今のうちにさ、僕の方からも言っておきたいことがある」


「……なんだよ?」


「部長になったからなのか、それとも助道地高への対抗心からなのか、それは分からないけど最近の君ってずいぶんと、張り切ってる様子だ。だけど僕の認識じゃ未だに不治野竜五って人間は皆に恐れられてる不良生徒。つまりは屑のままなんだよ」


「だからなんだ! 誰が何と言おうが俺様は自分に恥じる行動はとってねえッ!」


 通り過ぎていく不治野の拳から目線を切りながら僕は言う。


「例えば、この瞬間を誰かが目撃すればたちまち通報されて警察がやって来ることになると思うけどね?」


「これは決闘だ!」


 僕は笑い声を上げる。


「違うよ、遊びだよ、遊び!」


「てめえは、いい加減うるせえんだよッ!」


 不治野が怒鳴る。

 文句を言われようと、簡単に剣闘士が決闘を受けて立つわけにはいかない。

 例え、僕が元剣闘士だとしてもだ。

 

 僕は言った。


「もし問題を起こしたら、その時点で、冒険者部も君の野望とやらもそこでご破算さ」


「ハァ、はぁ、ハァ……」


 彼の鋭い眼光が僕を真っすぐと捉えて来る。


「てめえだってよ、散々剣闘士やってた頃は好き勝手やってた口じゃねえのかよ!」


 大振りの拳がまた空ぶった。


「そうだよ? だから言ってるのさ? 君だけじゃなく君の周りもきっと迷惑することになる。どうせ君がやらかすことですぐに潰れてしまう部活動のために無駄な時間をかれるのはごめんなんだよ僕は」


 剣闘士時代、悪目立ちしすぎた僕のせいで、弟の闇弥は学校で笑い者にされたことがあった。

 あのマンションだって元々住んでた場所じゃなく引っ越してきた場所なのだ。

 周りに散々迷惑をかけてそれでもお金を稼ごうとして、僕はけっきょく中途半端に剣闘士を辞めてしまった。


 どうしても僕には百億十コゼニカが必要だった。

 そのために僕は事務所に言われるがままに悪者剣闘士を演じた。

 周囲の注目を集め、自分の敗北を願う人間を引きつけ、一回の決闘で得られる決闘マネーを増加させる。

 全てはお金を稼ぐためだ。

 

 だけどある日、僕は生前父が話してくれた、人のためにじゃなく自分のために生きろ、という言葉、それを思い出してしまった。


 だから今は自分のために無理なく生きることが目標だ。

 そうしていつの日か無理なく生きた結果、自分の手で自分自身が心から納得する未来を手に入れて見せる。

 そのための足がかりがアマチュア冒険者としての日常だ。


「っく、ぜえ、はあ」


 地面とにらみ合いっこする不治野の姿は、僕が今まで闘技場で目にしてきた敗北者たちの姿とダブって瞳に映る。


「さ、そろそろ君の体力も尽き果てそうだし、最後に聞かせてもらおうか?」


「ハァ……ハァ」


「なんで僕にこだわる? 僕なんか放っておいて、別の優秀な部員を探し回った方が懸命だと思うけどね?」


「……っ、めえは知らないだろうがな……」


 不治野が真っすぐと見据えてくる。


「うん?」


「俺様はなあ、助道地高のプロ剣闘士をぶちのめしたあの時のてめえの試合を、この目で見てたんだよォ!」


 僕は困惑した。


「だから?」


「ざまあみやがれッって思った!」


 不治野の拳は空振りを続ける。

 この言い分には僕も笑うしかない。


「言ってて情けなくないのかな君は? 自分の手では敵わないからって他人の試合で助道地が負けるとこ見て、自分の虚栄心を満たしてただなんて告白してさ」


「だから今度は俺自身の手でやってやるよッ! だからお前もその手を貸しやがれよッ!」


 そう不治野は叫んだ。


「嫌だね」


「俺は治癒師だッ! 自分一人じゃなにもできねえんだッ!」


「……はあ」


 確かに不治野が先ほどから振るう拳は僕にとって、酷く退屈なものでしかない。

 後衛の拳だ。


「――妹をコケにされたんだッ」


 不治野は必死の形相を浮かべていた。


「俺が情けねえから、妹もどうせ屑だっつって、助道地高の奴らによォっ!」


 僕は苦笑する。


「そんなこといきなり僕に言われても知らないよ馬鹿なのか君は? それにそれってさ、たぶんだけど、元を辿れば君の普段の行いのせいだろどうせ?」


「家族にまでとやかく言われる筋合いがどこにあんだよッ!」


 不治野が拳を振るってくる。


「俺だって本当は助道地高に入りたかったんだよ!」


「入ればよかったじゃないか?」


「俺様には金も才能も足りなかったんだッ!」


 遠くからパトカーのサイレンが鳴り響く。

 徐々に近づいてきている。

 僕は顔を青ざめ、音のする方向を見つめた。


「不治野、ちょっと待て、これって……! ってちょ、おい、なにやってる……?」


「当たったぜ?」


 なんと僕の肩に不治野の拳が突き刺さっている。


「いや!? これって、あり?」


「……剣闘士ってのは、簡単にルールを無視していいのかよ?」


 そう言い残し、不治野は大の字に倒れた。

 遠くから警察官が複数人やってきている。

 ライトの光が届き始める。

 とりあえず僕はその場で逆立ちすることにした。


「修行中です」




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