第2話 日常
すでに夜も遅かった。
「というわけで、剣闘士という仕事先は今日限りで引退してきたよ」
マンション三階にある自宅の居間で僕は弟の
「そうなんだ」
とテーブルを挟んで正座している闇弥は相槌を打った。
「大丈夫だよ兄さん。俺も最近、クランに入ったことだし、もっと自分の手で稼げるようになるはずだから」
半額弁当の器から焼き魚を僕は箸で掴んだ。
「あー……」
あの一つ星評価の冒険者クランね……。
僕は微妙に感じたその心を表情には出さず、平然と言ってのける。
「それは頼もしいね? まだ中学生なのに冒険者として恥ずかしくない働きを見せてくれている弟がいて、兄としては鼻が高いよ」
「……褒めすぎだよ。それに兄さんだって中学生の頃から剣闘士として働いてたじゃんか」
「それこそ運が良かっただけってやつさ。……それで闇弥、次の職業のことなんだけど」
「うん?」
「僕も冒険者になろうと考えていてね。剣闘士としての経験が生きそうだし、人じゃなくて魔物へ刃を向ける方が僕の性にあってそうだろ?」
人のためにじゃなく自分のために生きろとは、かつて父が僕に授けてくれた言葉だ。
僕は己のために生き、借金、百億十コゼニカも稼ぐ。
剣闘士の稼ぎとしてある程度は貯金できているのだが、百億という数字の前にはとてもじゃないが届かない。
だけどそれでも問題なく生活が送れているのは、そもそも僕が借金と呼ぶ百億十コゼニカは、かつて命を救ってくれた大恩人が、命を救った代価として提示してきた額なだけで、それを支払うまでの期限は別に決められていない上に、支払うべき金額がこれ以上増えることもないからだ。
とはいえ条件は、いくつかあった。
あと自殺行為はしないこと。
それだけであった。
「――兄さんも冒険者に?」
恐る恐る僕は闇弥の様子を観察しながら言った。
「今日からお前のこと先輩って呼んでやろうか?」
「それは勘弁だけど、そっか、兄さんも冒険者デビューかー!」
「嫌だったり?」
「そんなことないけど……どうして?」
「いや……」
僕は口ごもった。
「そうだ、どうせなら俺の所属するクランに来ない? 兄さんの実績なら快く迎えてもらえると思うよ?」
「魅力的な提案だけど、それは止めておこうかな」
僕は苦笑した。
「どうしてか訊いてもいい?」
「そりゃあ、なんたって剣闘士の僕はこれまで悪目立ちしてきたからね?」
「あー……確かに」
本音も混ざっているが、嘘である。
僕に比べて、昔から闇弥は戦うことに関する才能をあまり持ち合わせてはいなかった。
そんな闇弥が去年、魔法の才能に目覚めたのだ。
そのおかげで魔法使いとしてダンジョンへ挑むことができるようになった。
それは不器用な闇弥が剣で、ダンジョンへ向かう姿を見送ってきた僕としては大変うれしい出来事であった。
テレビニュースやら新聞紙、冒険者雑誌等に載るダンジョン行方不明者や、死亡者、大切な弟の名前がそこに記載される可能性が僅かにだが減少したような気がしたからだ。
そしてだからこそ一つ星クランの所属になったと闇弥から知らされた時は心底がっかりしたのだ。
周囲の冒険者関係の人たちが闇弥に対して向けている期待に対して、その選択はあまりにも器に合っていないように感じていた。
仮に僕が誘いに乗って、闇弥の所属する一つ星クランに入団してしまったらどうなる?
きっと闇弥はこれまで以上に己の限界を見定め、上昇志向を捨て去ってしまう。
命を奪い合う職業において、停滞を選ぶ人間に待つのは、緩やかな死か、運の良さからくる延命の連続でしかない。
それを僕は闘技場で肌身に感じてきた。
なにより冒険者なんて危険な職業、剣闘士と比較しても死亡率が高いのだ。
自分の弟だけが特別な奇跡によって生かされ続け、都合よく幸福を得ていく未来予想なんて、今の僕にはもうそんな奇跡に縋りつく余裕なんてないのだ。
僕はこいつの兄だ。
他力本願な未来を選ばせたくはない。
闇弥が危ない仕事をこれからも生業として生きていくつもりなのなら、それなら例え僕がいなくとも、自分一人で生きていけるようにもっともっと強くなってほしかった。
「という訳で今日はもう疲れたから僕は寝るよ。明日は学校ないし、さっそく冒険者登録を済ませに行きたいところだしね」
闇弥は微笑んだ。
「お疲れ様、おやすみなさい」
「ああ、おやすみ」
闇弥の後ろ姿を見送りながら、思案する。
まず最初に僕はアマチュア冒険者になる。
全てはあの日の大恩に報いるためであり、そしてこの幸せな光景を続けていくためにもお金をより稼ぐことの可能なプロ冒険者を目指して新たな日常を明日から始めていくのだ。
プロ冒険者にさえなってしまえば、プロ剣闘士の最上位層にも負けず劣らずのお金を稼ぎだせる可能性が生まれてくる。
だから僕の現時点の目標は高校卒業後に、プロ冒険者になっていること。
ただそれだけである。
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