武藤家の食卓(2ー1)
保護者の有志による捜索隊が結成され、武藤航大と田村健太の捜索が始まった。
学校や警察も勿論協力的で、この規模で探せばすぐにでも見つかるだろう……と思われた大樹の予想は行方不明から一週間以上経った今も当たっていない。
大樹も仕事を定時で終えて、数時間捜索に加わってきた。
子供が行きそうなところ、迷いそうなところ、事故に遭いそうなところを手分けし、順番に巡りながら、聞き込みをするも有益な情報も得られない。
「ただいま」
大樹は疲労困憊で玄関に倒れ込みたいという気持ちを抑え込み、のろのろと靴を脱いでリビングに向かう。
本当は一秒でも長く息子を捜し続けたいが、気力だけではどうにもならないこともある。自動車事故を起こしてしまうわけにはいかない。
「おかえり」
大樹を迎えたのは大樹の母親と娘の二人だった。
妻の美知留はその場にいない。
「お母さんは?」
「航大を捜しに行ってる」
「悠を置いてか? それでおばあちゃんが来てくれてるわけか」
「うん」
息子が心配なのはわかるが自分に一言の相談もなく、捜索隊に加わるでもなく、義母に娘を任せて一人で息子を捜す妻の真意がわからず、頭を抱える。
思わずため息を吐く。
帰ってきたらまた口論になるのかと思うと暗澹たる気分になった。
「美知留さんも航ちゃんが心配で仕方ないんだよ。帰りが遅いからって怒るんじゃないよ」
母に釘を刺され、大樹は黙り込んでしまう。
「私は別に大丈夫だから。二人で探した方が航大も早く見つかると思うし」
一人で放っておかれている娘自身がこう言う以上は大樹から言えることはない。
「そうか」
「カレー沢山作ってあるから、食べなさい。私はもう帰るから。しばらくは毎日来るからね」
「あぁ。悪いな、母ちゃん」
母はなんとも言えない表情で肩を竦めた。
「悠ちゃん、明日は一緒にお買い物行きましょう」
「うん」
「何か欲しいものあったら買ってあげるから」
「じゃあ、本」
「わかった。スーパーの後は本屋さん寄っていこうね」
そう言って大樹の母は帰っていった。
「おばあちゃん、何か言ってたか?」
「ううん、別に。航ちゃん早く見つかるといいねって」
「そうか」
自分の母親に何かを言ってほしかったわけでも、言ってほしくなかったわけでもない。
少しだけ客観的な視点から何か思うところがあり、それを孫には漏らしていたのかもしれないと考えたのだ。
だが、何も言わずに息子夫婦と孫のために食事の用意だけをしていったらしい。
二三時を回り、いくら明日が休日だとはいえ、いつまでも中学一年生の娘を起こしておくわけにもいかないと悠を寝室へ追いやる。
中学高校と剣道に打ち込み、大学時代も野球サークルで身体を動かしてきた大樹は体力自慢だったが、それでも連日連夜神経をすり減らしながら町を見回っていて疲れないわけもない。
このままソファで意識を失ってしまいそうだったが、なんとか意識を保っていた。
母にはあのように言われたが、妻に一言くらい文句を言ってやらないと気が済まない。それに今ここで寝ると悪夢を見そうな嫌な予感がしていた。
深夜〇時を過ぎた頃、そっと玄関が開く気配を感じる。
「ただいま」
リビングに現れた美知留は幽鬼のようだった。
落ちくぼみ、血走った眼球、背中を丸めた前かがみの姿勢も不気味だ。
これまで一緒に暮らしてきた妻と同一人物とは思えない変化だ。
「おかえり」
「悪魔が見つからないの」
――そんなものいないからだろ。なんなんだ、こいつの言う悪魔ってのは。
大樹はもはや否定する気にもならなかった。
「悪魔じゃなくて、航大を捜してたんじゃないのか? 悠が可哀想だろ」
「あの子はしっかりしてるから大丈夫でしょ、放っておいても」
「そういうことじゃなくて。学校から帰って俺も君もいなかったら寂しいだろっていう話をしてるんだ」
美知留は娘に対してやや冷淡なきらいがあった。
何が気に入らないのかまるでわからない。憎んでいるというわけでもないようで、注意するほど当たりが強いわけでもないため、追及もせず放置してしまっていた。
「この世界にいるなら寂しくない」
「何を言ってるんだよ、本当に。全然わからん」
「なんで? 航大は可哀想じゃないの?」
「可哀想だから、毎日捜してるんだろ」
「いなくなったから捜してるだけでしょ? 可哀想だからじゃなくて」
「いなくなって、可哀想だから、捜してる」
大樹は一語一語力を込めて、ゆっくりと言い聞かせる。
「ううん、あなたは航大がいなくなったから捜してるだけ。可哀想だと思ってない」
「思ってるに決まってるだろ」
「思ってないよ。私にはわかる」
――何がわかるんだ。航大のことをこんなにも心配しているのに。
目の前にいる日本語を話しているはずの人間とまったく会話ができないこと、そして息子への気持ちを否定されることで感じるストレスで頭を搔きむしる。
指にごっそり髪の毛が絡みつく。
「あぁ」
大樹はその毛の色にかなり白いものが混ざっているのに気づく。
身体は耐えきれなかったのだろう。
「もういい。話にならない」
「あぁ、そう」とだけ言って、美知留はその場を後にした。
なんとなく、扉の向こうで娘が聞き耳を立てているような気がしたが、確認しようとは思わなかった。
一人でソファに座って、これまでのことを振り返る。
豪雨のあの日、航大は姿を消した。同級生の田村君と一緒に。
航大が家で田村君の話をしていたという記憶はないが、二人は時々遊ぶ間柄だったようだ。学校では二人の友人にも聞き取りをしてもらっているが、心当たりとして挙げられた場所は既に捜索済で結果は芳しくない。
雨で視界も足場も悪くなっていたため、山で遭難したか、川に流されたかのではないかというのが警察を含めた自分たち大人の予想だ。しかし捜索範囲を広げても、雨で流されてしまったのか何一つとして手がかりも得られていない。
そして美知留は一人で航大を連れ去った悪魔とやらを捜しているらしい。
本当に航大が悪魔に連れ去られたと信じているのだろう、ということがここに来てようやく実感できてきた。
認識している世界の前提が違うのだ。
まともな対話はしばらくは無理だろう。話してお互いの落としどころを探るというのは諦めるしかない。
彼女はどうなったら満足いくのだろうか。
航大が無事に見つかって帰ってきたら勿論めでたしめでたしだ。
問題は仮に見つからなかった場合だ。
彼女が言うところの悪魔とやらはおそらく妄想の類だろうが、航大が仮に……考えたくもないが、生きて見つからなかった時にはどういうことになるのだろうか。
悪魔に殺されたと言って、悪魔に復讐するために夜な夜な出歩くのだろうか。娘を放ったまま。
――ありうる。いや、待てよ。
大樹は美知留が帰宅してから、心の奥底に澱のように残っている違和感に気づいた。
――美知留はなんといった?
大樹は思い出すと同時に背筋が粟立った。
そう、彼女はこう言ったのだ。「悪魔が見つからないの」と。
「あぁ」
彼女は現時点で〝すでに航大を捜していない〟。
悪魔の方を捜しているのだ。
――なんてことだ。
悪魔を見つければ自動的に航大も見つかると思っているのか、航大は既に死んでいると決めつけているのかわからないが、とにかく彼女はもう諦めている。
彼女のあの全身から滲み出ている怒りと悲しみは悪魔とやらに向いているのだ。
翌朝、目を覚ました時には美知留は外出しており、自宅にはいなかった。
大樹には彼女もまた悪魔か何かに取りつかれてしまったかのように感じたが、彼女のことは後回しだ。
今はまずやるべきことがある。
娘の食事を用意しながら、娘に一つの提案をする。
「悠、しばらくおばあちゃんの家に行くか?」
「いいよ」
冷静で大人びた娘だ。表情は平静を装っている。だがこの時ばかりは彼女から諦念が滲み出ているのを感じた。
「航大が見つかって、お母さんが前みたいに戻ってくれたら迎えに行くから」
「わかった」
娘は下唇を噛みしめ、涙を一粒零した。
一言の文句も言わない。すべてを受け入れている。
――まだ中学一年生だぞ。
朝食後、大樹は悠と二人で荷物をまとめ、母親にしばらくそっちに孫を預けると電話を入れた。
母は最初からこうなることがわかっていたのだろう。
「準備はできてるからいつでもおいで。おじいちゃんも喜ぶ」と応えた。
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