新人編集者山城と心霊マンション(2ー3)
そして二人は神社に辿り着く。住宅街の中に突如現れたそれは昔からあるはずなのに、後から空いたスペースに押し込んだかのような異物感があった。
「本当に河童のキーホルダーとか売ってるんですね」
「御朱印帳はちょっと可愛いな」
「山城さん、御朱印好きなんですか?」
「いや、全然。小野寺さんは?」
「好きではないですけど、クイズで出てきたら困るので有名なデザインは神社とセットで覚えてますね」
「なんだよ、それ。頭がクイズに支配されすぎだろ」
山城は彼女のことがこの短期間でなんとなくわかってきた。
なんでも先回りしてしまうのは、他人との会話すらもクイズのように捉えているからなのだ。先読みして正解を出そうとするし、会話の中に問題を入れこもうとしてくる。
そう思うと、小野寺のことが少し可愛く思えてきた。
すると――。
「あなたたち、来てたのね」
買い物帰りらしき加瀬夫人に声をかけられる。
「どうもこんにちは。教えていただいたので早速取材に来てみました」
山城がにこやかに言う。
「私ね、あなたたちにここの話してからも頑張って思い出そうとしてたんだけど、なんの妖怪だったか全然思い出せなくて、どうしても気になって確かめに来たの。インターネットで調べてもよかったんだけど、せっかくだから散歩がてら」
「そうなんですね」
「もう忘れないようにぬいぐるみ買ったのよ」
そう言って、加瀬夫人が取り出したのは小ぶりな片手で持てる程度の大きさの河童だった。
「なんだかカモノハシみたいですね。ぬいぐるみだと」
小野寺がしげしげと見つめながらそう言った。確かに緑色のカモノハシに見えなくもない。
「本当ねぇ。意外と河童の起源ってカモノハシなんて説もあるのかもしれないわね」
「たしかにありそうですね」
山城は一理あると思い、同意した。そして、加瀬夫人はこの後約束があるとのことで、ここで別れた。
「山城さん」
「なに?」
「河童は実はオオサンショウウオ説というのはありますよ。カモノハシは聞いたことないですけど」
山城は少しがっかりした。
――オオサンショウウオかぁ。カモノハシの方が絶対可愛いだろ。
「そろそろ社務所に行きますよ。約束の時間ぴったりです」
「有益な話が聞けるといいんだけどな」
「ですね」
そして社務所で巫女さん――アルバイトの女子大生だそうだ――に奥に通してもらう。
社務所は新築の匂いがする。最近改装されたのかもしれない。
出版社の取材ということで、意外にもきちんと歓迎された。
ソファに腰かけ、出されたお茶を飲んでいると五分も経たず、痩せた男性が現れた。
男性の頭は総白髪だが、若い頃は整った顔をしていたのではないかとは思わせる風貌だった。しかし、今の年齢のほどはまったくわからない。五〇にも六〇にも見える。
「お待たせしました」
「操山出版の山城です」
「アシスタントの小野寺です」
山城は名刺を差し出す。正社員になったことで名刺を作ってもらえたのだ。山城を操山出版に誘った大学の先輩――米田は学生バイトの立場でも名刺があったそうだが、それについては深く考えないことにしている。
そして、小野寺もまた名刺を作ってもらえそうな予感がしているが、そのことについても考えないようにしている。
「取材なんて滅多にこないので緊張しちゃいますよ」
そう言って宮司は穏やかに微笑んだ。
――校長先生って雰囲気だな。
「うちはそんな緊張されるような大した出版社ではないですよ。変なオカルト雑誌とかの類なので。今日もこちらの神社のお土産の河童について聞かせていただきたいなと」
「妖怪の本ですか?」
「この近辺の民話というか伝承というか。あと都市伝説とかについてのルポルタージュ、になりそうです」
「なるほど。少しはお役に立てるかもしれません。どこにでもあるような話かもしれませんが」
「へぇ、そうなんですか?」
小野寺が口を挟む。その口調はどこか馬鹿にしているようにも感じた。本当に〝どこにでもある〟話をされることはないだろうに。
「えぇ、おそらくどこかで聞いたことがあるような話になるとは思います」
「全然かまわないですよ。俺たちが聞いたことあっても、読者が聞いたことなければそれで本や記事になりますからね。珍しいことを言おうとか、面白いことを言おうなんて思わないでください。近所の子どもに聞かせるような感じでお話しいただくくらいでちょうどいいです。俺、頭の回転早くないんでむしろそのくらいでちょうどいいかも」
「あはは、出版社の社員さんなんだから優秀でしょう?」
小野寺が苦笑いで首を傾げる。
――おい。
ともかく、宮司が話しやすい雰囲気は醸成できたようだった。
しかし――。
「本当に大した話ではありませんでしたね」
小野寺を駅まで送る途中、神社が完全に視界から消えたところで彼女が言った。
――とんでもないこと言うなぁ。
しかし山城はこの小野寺の少しだけ意地悪なところが人間味があって好きだった。
「そういう言い方するなよ。でももうほぼ真相に辿り着いたとも言えるんじゃないの?」
「意味はありましたよ、もちろん。でもこの話を真相として本にするにはショボくないですか?」
宮司によるとこの神社がマスコットキャラにしている河童は水害のメタファーであるらしい。
この辺りは底が深い沼や水流が速い河が多く、かつて水害対策がまだ完璧ではなかった頃はよく事故が起こっていたという。沼や川の深みに足を取られ、溺れる人間が多く、さらには死体が上がらないこともあり、それを河童の仕業として水辺に近づかぬよう子供を脅していたのだ。
「死体が上がらない、という話もあります。それはどうやら事実のようですが、怪奇現象というより、地下で水脈が繋がっているというようなことのようですね。行方不明者が海で見つかったというのは聞いたことがあります」とも言っていた。
水害や水辺の事故の原因は、河童の存在を忘れ水辺を汚した祟りだということで、河童のことを忘れないようにとここの神社の端の河童塚で祀ってもいるらしい。
塚といっても大仰なものではなく、ちょっとした石碑程度のものだった。
実際、各地でよく聞く話であり、特別珍しいものでもない。
かなり昔からこの地域に伝わる話でいつから神社でマスコット的に使っているのかも定かではないとのことだった。
「でもさー、なんで水害のメタファーが妖怪なんだろうね? 普通にさ、あの辺の沼地は深くなってるから近づいちゃダメだよって言えばよくね?って俺は思っちゃうんだけど」
山城は首を傾げる。
「なんでだと思います?」
余計な疑問を抱いたばかりに急にクイズが出題されることになってしまった。
過去の記憶の中に手がかりがないか、頭の中の引き出しをひっくり返してみるが、こういった雑学のような知識は殆ど入ってはいなかったし、かといって知識の欠如を補えるほどの推理力も持ち合わせてはいない。
「全然わかんないな。リアルな話をした方が絶対怖いじゃん」
「それだと広まらないからですね。別に妖怪話にすることがベストな方法って言っているわけではなくて、色んな手段をとる必要があったんですよ、昔は。なぜだと思います?」
小野寺はいきなり解答を提示するのではなく、山城を正解に導くように話す。
〝昔は〟をわざわざ強調してくれているのにもちゃんと気づいている。
「昔は色んな手段をとった方がよかったってことだよな」
小野寺は穏やかに微笑みながら頷く。
「あー、なんとなくわかった。インターネットもないし今ほど情報が拡散しないから、その時にできる色んなやり方で危険を伝えてたわけだ。で、その一つが妖怪なんじゃないの? それなら子供が怖がって近づかなくなるかもしれない」
「そういうことですね。一番ポピュラーなのは地名で警告する方法だと思います。たとえば蛇という字がつく地名は土砂崩れが多発していたとか。まぁ、そういう縁起の悪い地名は土地の価値も下げますし後々になって変えられたりもしたみたいですけどね」
「なるほどなぁ。確かにそういう知識があると、注意深くもなったりするか」
「この辺りではこの神社が伝えているので河童の話が今も残っているんだと思います。私が前に話した手を濡らしてくる子供の怪談も河童の派生なのかもしれないですね」
山城は後輩のおかげで自分が少し賢くなれたような気がした。
さらにそれだけではなく、宮司とのやりとりの中で山城が遭遇した怪奇現象の考察の手がかりになりそうなネタもあった。
たしかこんなやりとりだった――。
「このあたりで心霊現象の噂とかも聞くんですけど、そういうのについては何もご存じないですか?」小野寺が尋ねた。
「え? 心霊現象ですか?」
「はい」
「ちょっと心当たりないですが、どういったものです?」
「首吊りの幽霊見たとか、そういうのなんですが」
宮司は首を傾げ、右上を見上げるようにして逡巡した後――。
「うーん、やっぱり心当たりないですね。あ、でも」
「なんです?」
「河童が悪い子供を吊るして痛めつけたり、殺してから沼に引き摺り込む、という話はあった気がします」
山城が自宅マンションで見てしまった首吊りの幽霊はこの河童が吊るした子供だったのかもしれない。
そう考えるとあの小ささにも合点がいく。
「なるほど参考になります」
「あの河童が子供を吊るすエピソードとかさ、俺が今日見た怪奇現象と何か関係あるかもしれないだろ?」
「そうですけど」
山城は新居について直接の情報は得られなかったが、取材としてはそれなりの手ごたえは感じていたので小野寺の煮え切らない態度が引っ掛かった。
「宮司さんも良い人だったし、けっこう良い取材じゃなかった?」
「そうですね……でも山城さん。私思うんですよ」
「なにを?」
小野寺は立ち止まると、切れ長ですべてを見通しているかのような目を少し眩しそうに細めて言った。
「あの宮司さん、嘘ついてるんじゃないかって」
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