「ダブルアナル・セッックスッッ」

 今日も、そして、下校の時間が来た。


 適当な挨拶をいくつか、交わして。今日一日という学校時間に、自身をねぎらうように一息ついたのち、席を立つ。今日は……このあと、面談があるんだったな。予定を頭に浮かべる。書類は朝方にまとめておいたはずだ。


 学業時間ではなく学校の時間というのが要点ミソだよなぁ、なんてことを、空に浮かぶ鱗雲うろこぐもみたいになんとなし、薄ぼんやりと考えながら廊下を歩いていたのだが、ふと机の中に学業用タブレット端末を置き忘れにしていることに気付き、若干自分に呆れながら、教室へと引き返した。


 また初夏の気配が遠ざかった、雲遠い青空が窓の外に望める。

 そんな景色に気を取られていたからだろう、このときはつくづく、気が抜けていた。


「うわっぷ」



 どこかラベンダーに似た香りが、ふわりと薫った。



 互いの姿が死角になる教室の入口で、同級生の一人とぶつかってしまったのだ。


 程々の勢いがあったというのに。体に、柔らかい感覚がかかる。


「わっ、――ご、ごめんね?」


 ごめん、気が抜けてた。


 互いに言葉をかけて、それで終わりであれば、よかったのだけれど――。


 おそらく、ちょうど、通学バッグにそれを入れようとしていたところだったのだろう。

 パサリと、一冊のノートが――あるページを見開きの形で表にして、床に落ちた。


「…………!?」

天藤てんどうくん、どうしたの? あ、私、かのうだよ? なんて。覚えてたかな……? …………?? ……――うぉ――――ウォオオワァアアッッ!!???」


 かのうさんは野太い奇声を上げて、見開きで表になったノートへガバチョと体ごと覆いかぶさった。


「…………。……………………見た?」

「――ごめん、見ちゃった」

「……ひっ、秘密にっ、してくれる……?」

「ん。きっと秘密にする。墓の下まで持っていくよ。絶対、約束」

「あ、ありがとう……。……じゃ、じゃあねっ。また、明日……」

「うん。――ふとした時にも、口漏らすような真似なんてしないから。だから、今日のことは、なかったことに。気に病まないでね。ぶつかってごめんなさい」

「ありがとう……。じゃ、じゃあね! わ、私もぶつかって、ごめん!」


 そうしたやり取りのあと、かのうさんは、火が灯ったように赤く染まった顔を俯けながら、小走りで去っていった……。


 …………今見たものは、確かに意想外に、衝撃度の多分な、であった。


 多少刺激的な絵。

 だけど――


 あの絵を見て俺を襲った衝撃は、多少なんてものでは、なかった。

 生易しいものではなかった。


 見開きで開かれたノートの、左隅に描かれていた絵。


 それは。


 物騒な双剣を手にした女……おそらく後ろ姿を見せたかのうさん自身が、顔に影がかかって容姿の窺えない人物――言うなればアンノウンキャラクターが、両手に持っている……の、形状のうろに双剣の先を貫き通して、「ダブルアナル・セッックスッッ」と吹き出しでセリフを叫んでいるという、落書きイラストであった。


 夢で見た内容、そのまま――……?


 ――――と、しばらく棒立ちになって。

 これはいったいどういうことかと考えていたのだが……。


 しかし、一度冷静になってみれば、それは別段、奇妙でも不思議でもない、大仰でもない事だと、気付けた。


 おおかた、今流行っている、なんらかの漫画のワンシーンであるのだろう。あるいは小説、映画、もしくは、アニメか――。


 そして俺も、街中とか、動画広告やら、ふとした何処どこかでサブリミナル的に、そのワンシーンを目にするか、聴くかの機会があったのだろう。そうして知って、忘却していたことが、深層心理において反映された――そういうことだろうな。


 心情は落ち着いたけれど……しかし、残念な気持ちもあった。


 あの女のイカしたキャラクターが、タネを明かせば、どこかの創作の模倣であったことが……妙に、残念だった。


 とても残念な気分だった。


 そういうことがあって、その日は、あんまり明るくない気分で、帰路を歩いた。


 青空を見上げて、「あーあ」と、心の内で愚痴こぼす。できれば知りたくなかった、裏の事情ってやつを、知ってしまったような気分だった。


 鱗雲うろこぐもがのんびりと、青空に浮いている。


「人生、そんなもんだよ」と、さとされているようにも思えて、「まあ、そうかー」と、間延びして空を泳ぐ雲に、心中語りかけていた。



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