作者であるゴオルド様の船旅旅行記です。行き先は淡路島の灘黒岩水仙郷、水仙の花を見る旅にいざ出発です。
序盤は旅行記として、船旅の環境や出会う人々の描写が軽妙さを交えてつづられます。あの銅鑼を鳴らすのはあなた。チョコスプレー・イズ・フォーエバー。これも旅の醍醐味でっしゃろ。
しかしながら「旅」の目的とは、そこに行くと決めた旅先を目指すのみではなく、出発点である「日常」から離れるためでもあるのでしょう。
旅という非日常の最中でしか、聞こえてこない自分の心の声がある。旅行記は次第に、内省という自身の心の声にフォーカスしていきます。
本当に大事なものは旅先の景勝地や人気スポットで見つかるのではなく、旅館やホテルの自室でひと息つき、ふとしたひょうしに胸ポケットをさぐった時に見つかるのかもしれませんね。実は出発前からずっと持っていたものだけど、それはなぜか旅に出ないと見つからない。読後は私も、今すでに持っているはずのものを探しに、旅に出たくなりました。
水仙の花言葉は「うぬぼれ」とのこと。ネガティブな意味で使われる言葉かもしれませんが、「自(うぬ)に惚れる」と捉えるとなんだかいい言葉に思えます。大輪の花や色鮮やかな花ではなく、地味めと思われる小さな花だからこそ、その内に秘めたささやかな「自惚れ」から人生の受容が始まるのかもしれません。
熱すぎず、冷めすぎず、ちょうどいい温かさの読後感でした。
旅行記として読むもよし
内観と示唆を深める読み物として受け取るもいい
旅は、本来こういうものであるはずなのだから。
とかく、誰かに何かを話さずにはいられない現代人。
その話題の殆どが、実はそれほど必要ないもので構成されていると
一体どれだけの人が気づいているだろうか
旅は自分の糧である
そして、唯一の源泉は自分である
そんな自分と向き合うための、二泊三日の旅行記
軽妙な語りと面白おかしさに
人が生きること、命に向き合うことという糸が絡み合う
太古から人を悩ませてきた難題に向き合う、織物のようなこの旅行記
助けを求めているのではない
この人は、まだ内に答えを秘めている
少なくとも読者に出来ることは無いのかもしれない
だからこそ、しっかりと一人の人間としてこの記録に向き合い
そこになにかの感情を呼び起こすことが
作品への手向けと姿勢として相応しいと思う
人がひとりになりたくなるのはなぜだろう、と考えてみる。それはきっと、自分だけに優しくなれるから。客船に揺られながら、フラスコの中の蒸留水のように揺らされながら、分け与え過ぎてなくなりかけた優しさをゆっくりと回復していく旅。フェリーが残す航跡は曲がりくねっているけれど、そこには自分だけが刻んできた道が確かにある。
思い通りにならない人生に頑張って向き合っている人にこそ、この作品を読んでみて欲しい。あなたはあなたにもっと優しくていい、ありのままの自分を抱きしめてあげて欲しい。そしてひとり旅は、そんなあなたをきっと許してくれる。
バックパックに最低限の荷物を積めて、さて明日はどこへ行こうか……