第10話 サイコメトラと痴話げんか
その日曜日は晴れだった。プレコグの予測、ソフィーが現れるボリュームゾーンは十一時から十六時の間である。そもそも天気予報的にも快晴で間違いはなかったので、あまり意味はないように思われるかもしれないが、これは重要なことだった。
些細なことでもプレコグの予測が現実の物になるということはそれだけ予測の確度が高いと言うことだ。
つまり、今日ソフィーが指定の場所に現れる可能性が高いことになる。
「こちら商業施設(コレクション・ポート)、五番区は異常なし」
斉藤仁の言葉はスマートグラスの通信機を通して学園長室に伝わる。その先でアラン・ホイルと高橋紗菜が待機している。
『通信感度は問題ないですね。承知しました。警戒しながら、必要があればサイコメトリをお願いします』
商業施設に対して学園側から許可は取っていた。超能力者が施設をうろつくこと自体は好ましく思われないが、施設の安全点検が出来る点と、登録外超能力者を早期に隔離するという条件で許可が下りたのだ。
「どんな感じ」
同じようにスマートグラスから会話を聞いていた河北摩耶は言った。
「特に異常なし、どちらかというと視覚的な情報の方が重要かも。ソフィー幼女の金髪は耳目を引きやすい。あと、雰囲気が子供っぽくない」
「雰囲気、といっても私はソフィー幼女の実物を見たことがないからなー。もっと具体的に説明できない?」
河北摩耶はすこし困った表情を浮かべた。サイコメトラは人の挙動に敏感なのだが、こういった雰囲気などという曖昧な表現を使う傾向があった。言語化するのがうまいほどサイコメトラとしては優秀である、とされる。
仁は能力そのものというより、こういった部分で評価を落としがちだった。
「綺麗なんだよな。佇まいとか所作のようなものが子供っぽくない。身体は小さいのに大人びている。だからそこに違和感を感じるんだ」
仁も、うーんと唸った。ソフィーと相対した時間もそれほど長くなかったし、そのとき能力が全快でなかった。
「ロリコンなの?」
「……違うよ」
仁も自分の言動の危うさに気づく。
「ふーん」
河北摩耶は目を細めた。
あらぬ疑惑をかけられて仁も驚いた。さっきも返事に間ができたのは、急な彼女の言葉を瞬時に理解できなかったのだ。
さすがサイコメトラの天敵だ。
空間跳躍系の彼女は、能力同様に思考もよくとっちらかる。
――というよりそれを言われると、いま自分たちは血眼になって、(実年齢はともかく)五、六歳の女の子を捕まえようとしているのだ。
なんだか別の不名誉な罪状が付きそうで、そっちの方が嫌だと仁は冷静に考え始める。
「まあいいけど」
河北摩耶は辺りを見渡した。休日なので人が多い。彼女の目につくのはやたらと楽しそうにしているカップル達だった。
「もう少し歩けば、飲食店の区画になります」
「どうしたの?」
河北摩耶は目を見開いてきょとんとした表情を浮かべた。
「いや、今回のことでお世話になりっぱなしだから、コーヒーでもどうかと」
仁は照れくさそうに頭を掻いた。
「サボる気なの?」
「いや、もう一時間以上は経つじゃないですか。休憩です」
集中力の低下は能力に影響する。
『いいんじゃない』スマートグラスから高橋紗菜の声が聞こえる。
休憩の許可は出たが、河北摩耶は腑に落ちなかった。仁の能力は一時間程度で精度が落ちるようなレベルではないのだ。
「私の事を視たの」
河北摩耶は不満げに言った。どこか自分の感情を見透かされているような言動が今は厭に気に入らなかった。
仁がサイコメトリを使って自分の心を読んだのではないかと河北摩耶は疑っているのだ。
「何のことでしょうか」
仁は乾いた笑みを浮かべる。
仁の能力をもってしても非接触の高位の能力者相手にはそこまではっきりと感情が読み取れるわけではない。
「いや、違うくて、ごめん。ムキになった」
河北摩耶はちょっと目線を下げてうなだれる。
サイコメトラとのコミュニケーションにおいて感情を読んだとか、読まないでとか、そういう詮索や言及は御法度だ。
差別発言ととられても仕方ない。
各々が違う法則で生きている能力者達にとって、軋轢を起こさない言動というのはせめてものマナーだったはずだ。
「いえ、別にそこまで気にしてないのですが……」
仁は取り繕う様に笑った。仁ほどの能力だと他人からのそういう勘ぐりはよくあることで、日常茶飯事で気にしないはずだ。
河北摩耶の発言もらしくないが、自分の言動もらしくないのだ。
こういうときあとで思い出して、恥ずかしくなる奴だ。
変に気を遣うべきじゃない。そういうのは苦手なのだと仁は思い出す。
休日でガヤガヤとしている商業施設を無言で五分は歩いただろうか。
「……カプチーノでいいかな」
河北摩耶はとある喫茶店の前を通りかかって、店前の黒板に書いてあるメニューを指差した。
「はい。そうですね。この店にしましょうか」
仁はまた意表を突かれる。彼女とも長い付き合いになるが、思考回路や言動が単純に読めない。
仁と河北摩耶は通りに近い窓際の席を選んだ。スマートグラスを外して、窓に向けておいておく。それで人通りは記録される。
耳のインカムさえそのままにしておけば連絡に滞りはない。
「カプチーノ以外に何か、食べますか」
仁は聞いた。サンドイッチのような軽食がいくつかメニューにあった。
「うん、あまりおなか減ってないからいいや……」
河北摩耶はさっきのこともあって普段よりおとなしい。
「どうかしました?」
仁は自分でも芝居がかっていると思うくらいにはオーバーにおどけていた。
「いや別にたいしたことじゃない」
河北摩耶も少し反応に困る。仁に気を遣わせたいわけじゃない。
店員を呼んで、仁はカプチーノとアイスコーヒーだけを注文した。
仁もあまり腹が減ってなかった。最近、部屋に閉じ込められている状態が続いているためかどうしても運動不足気味で食欲もない。
「仁君はこういうところ良く来るの」
河北摩耶がどこか手持ち無沙汰で話題を探すように言った。
「まあ課外実習中は」
仁も会話を続けようとするが、次の言葉に迷う。
いつもよりも目の前の少女に対して能力が掛からないように気をつける。
「こういうとこに後輩達をつれてくる感じかな」
「いえ、僕の場合は基本的に単独の依頼というか、そういうのが多いので。というかなるべく一人の依頼にして貰っているんです」
「相変わらずだね」
河北摩耶はふふっと笑った。
「先輩はやっぱり大勢を引き連れていくことが多いですか」
「教員志望だからね。学校の後進育成も兼ねてなにかと経験を積ませて貰っているよ」
「流石ですね」
仁にはない考えだ。基本的に能力者の仕事は危険が伴うことが多い。だから未熟な能力者を連れて行くというのは、それだけ責任が伴う。
だから気が引ける。
例えば今の自分のような状況に巻き込むことを望んではいない。
「それでも依頼(アルバイト)は結構な数をこなしているんじゃないの?」
「先輩のように人を守れるような能力じゃないですから。他人を連れて行けないし。その分、件数で貢献しようかと」
「でも、それって危なくない。仁君の能力ってサイコメトリだけなんだし」
「まあでも、そこまで危ない事はなかったんですよね。高校生になって初めてのアルバイトであんなことになりましたが」
「災難だったと言うしかないよね」
笑えないけど、と河北摩耶は心配そうな表情を浮かべる。
「そういう先輩もアルバイト結構してますよね。外食も多いでしょう」
仁は窓の外に目を遣った。警戒を怠る気はなかったし、話題も変えたかった。
「私の場合は定食屋とかファミレスとか、が多いかな。ほら、後輩達は基本的に免許持ってないから。お金がないことが多くて」
免許持ちは学園が提携している企業等での依頼(アルバイト)が名指しでくることも多い。もしくは資格持ちの条件付きで来ることが多いので、ほとんど名指しに近い状態だ。
そのため、免許持ちの学生はそこそこ小遣い稼ぎが出来るが、持ってないほとんどの生徒の懐事情は寂しいものである。
だから河北摩耶の性格からして後輩達と依頼を受けるときは、ご飯などはほとんど奢っているのだろう。
と、仁にも容易に想像できた。面倒見がいいというか、気前がいいというか、損する性格だと仁からしたら思う。
「まあ、その子ら食べさせようと思うと、そういうところの方が安いですしね」
仁は適当に相槌を打つ。
そんなことを話しているうちに飲み物が届いた。
「――どの辺りにいるでしょうかね」
仁は外を見ながら言った。
「ああ、ソフィーの話ね」
河北摩耶はなぜかシナモンスティックを不思議そうに眺めていた。
「あの、もしかしてシナモンの使い方を知らなかったりします」
「ああ、これ……、シナモンか。うん、そんな感じの匂いがする」
と、河北摩耶が匂いを嗅いでいた。
――この人、変なところで可愛らしいんだよな、と仁はクスッと笑う。
「その棒ですこし掻き回して、香り付けするんですよ」
と、仁は言った。いや、河北摩耶が今にも噛みつきそうだったのだ。
「うん、分かっているって」
河北摩耶は言った。
完全に分かってなかった奴の反応である。
「――プレコグの予測って何で基本的に文字ベースなんでしょうかね」
仁は話を戻す。
「仕方ないよ。プレコグも全員が全員、絵がうまいわけじゃない。念写能力者、おそらくSA能力になるんだけど、いま学園にそんな人がいないからね」
プレコグ能力者は基本的に自分たちが見た断片的な映像を文字ベースか、絵のうまい人間は描写するしかなかった。
そして同じ内容を複数人が行って、統合することにより、精度の高い予測を行うのだ。
イメージは人にまちまちだが、端的に事実だけを並べていく。
女の子が歩いている。
海が見える。
空は晴れていて雲一つない。
紙袋にメーカー名がある。
そういうざっくりとしたイメージがプレコグの中心になる。
自分で使う分はイメージのみで十分に有能なのだが、他人にそれを伝えるとなると別の話になる。
その点は、サイコメトラも似たようなものだ。見ているのが過去か未来かの違いで、基本的に同系統の能力である。
「ちょっと奥の方に入りすぎましたかね」
仁は言った。
喫茶店から出てしばらく商業施設内の捜査を続けいていた。
プレコグの内容からして少女はあるていど開けた場所にいるようだったので今いる場所はあまり関連はなさそうだ。
商業施設の中心からは少し遠ざかっていた。
敷地内であるが業者の搬入口だ。お昼を過ぎた今の時間は人気はない。ここが忙しくなるのは早朝と夜間であろう。
「まあ施設側にはサイコメトリで設備の保全点検をしますって言っているしね。ある程度、脇道に逸れるのは仕方ない」
河北摩耶が言った。
「そういや、それについてもレポートがいるんですよね。面倒なことに」
仁はすこしうなだれた。施設を歩き回る代償が、無償での設備点検という億劫な作業なのでうま味はなかった。
「ふふ。不真面目ぶっても無駄だよ。ちゃんと端末にチェックを入れているのは知っているから」
「まあ」
と、仁が悪びれて見せても、それを見透かされると締まらない。
「どこまで終わっているの?」
河北摩耶は確認する。
「面倒なので残りの区画は一気に確認します」
仁は言った。できるだけ使いたくない方法だ。
「もう一つの方法を試すんだね」
「時間的猶予がもうあまりありません」
時刻は一五時を回ろうとしていた。
『許可します』
スマートグラス越しに学園長のアラン・ホイルの声が聞こえた。
『穏便にいきたかったですが、仕方ありません』
弁護士の高橋紗菜の同意も得られた。
商業施設は二十万平方メートル、敷地内は最大で一五階建てビルが二棟である。
それくらいなら仁の能力をもってして、一気にサイコメトリで読むことは容易だ。
情報を精査するのに少し時間が掛かるだけ。
「うん」
能力を完全に解放した遠慮のないサイコメトリを発動する。
「うへはぁ」
一番近くにいた能力者、河北摩耶は悲鳴とも感嘆にも取れる声を漏らす。なぜか喜んでいるような恍惚とした表情を浮かべている。
――彼女はちょっとおかしいのだ。
熟練の能力者はある程度の(能力を)感知する力と抵抗する力を持っており、地面越しにとはいえ、ここまで他者の能力を感じると普通は忌避感を覚えるはずである。
そして規範人はそもそもこれが感知できないので問題にはならない。
では、何も知らせられていない能力者はどういった反応をするか。それはおおよそ二パターンに分かれる。
一つは危機回避、全力でその場から離れる。
そしてもう一つは敵対行動。
積極的に能力の使用者を無力化しようと行動する。
仁は河北摩耶の方に目を遣った。
「うん」
と、河北摩耶は自身と仁の座標をテレポテーションでずらした。
先ほどまで仁のいたところがなにか強い圧力が掛かったように窪んでいた。ベタ基礎のメッシュと鉄筋がむき出しになっている。
「いったい なにごと」
金髪碧眼の幼女が2人の前に現れた。
アラン・ホイルから貰った情報と同じだ。
基本的に血なまぐさい能力者の歴史の中でも零世代は特に好戦的である。
自身の能力が他の世代よりもずば抜けて高いというのが一番の要因だろう。
だから基本的に彼女らがとる行動というのは敵対行動のほうである。
幼女の姿をしたソフィー・ウェイドがそこにはいた。
というか、仁達の頭より高い位置で浮いていて彼らを見下ろしていた。
白いブラウスに黒のスキニーパンツ。背丈こそ違うが、仁達が学園長室で見た彼女の大人だった頃の映像と雰囲気がどことなく近しい。
幼女は見下している様だった。すくなくとも仁はその碧眼から、その見た目に似つかない冷たいものを感じた。
「自動力かな。ラグもないし」河北摩耶が仁にぼそっと言って確認した。
「おそらく。あそこまでスムーズな一定区間連続空間跳躍(ホバリング)ないし、強固な空間固定はテレポーターでは流石に無理でしょう」
空間跳躍が専門の河北摩耶が言うのでまず間違いない。
二人のやりとりは一瞬で終わった。
「ソフィー・ウェイド」
と仁は名前を呼んだ。
幼女は一瞬、あっけにとられたように目を丸くしたあと、すぐに目尻を痙攣させる。
――生意気なッ。
と、尊大な態度をとる幼女の自尊心を刺激した。
いわば、それが隙なのだ。
幼女は河北摩耶の空間跳躍能力の領域を知らなかった。探ろうともしなかった。
空間系の能力や念動力はお互いに干渉があると、能力は上手く実現しない。
だからソフィーが河北摩耶の能力をしっかりと認識していたのならば、こうはならなかっただろう。
現代の超能力戦では事前の情報と、それを含めた個々の連携に重きが置かれている理由だ。
このコンマ何秒の内に三人は学園長室に移動していた。
ソフィー・ウェイドは河北摩耶の空間固定により身動きがとれないよう宙空に固まってしまっていた。
「ようやく、捕まえることができましたよ」
アラン・ホイルが普段より低い声色で言った。
明らかな怒り、それを隠す気がないらしい。
超能力者相手にそれは迂闊ではないか、と仁は感じた。
「やあ、久しぶりだね。アラン、息災であったか」
捉えられている割に飄々とした様子でソフィー・ウェイドは朗らかな表情を浮かべている。
「あなたがいなくなった所為で私がどれだけ大変な思いをしているか」
アラン・ホイルは言う。それは仁が巻き込まれた事件のことを指しているのではない口ぶりであることは確かだ。
——いや、今回の事件を含めてだ。
と、仁は把握した。
しかし、その言葉の深いところまでは読めないでいた。
仁の能力でもその奥行きが読めないのだ。すこし狼狽える。
古い超能力者達による何らかの技能があるのだろうか。
ソフィー・ウェイドのテレパス(送信能力)やエンパス(受信能力)だけではない何かがそこには働いていることを理解した。
「サイコメトラはこういうとき無力よな」
ソフィー・ウェイドが仁を見てふっと笑う。
「なにを」
仁は言いよどむ。幼女の姿をしているにもかかわらず、どこか威圧感があった。
「せっかく、念動力を呼び起こしてやったというのに、なぜ君は逃げなかった」
ソフィー・ウェイドは自分の状況をまったく不利だとは思っていないようだ。
「そんな無茶苦茶な言い分はないでしょう」
河北摩耶から思わず言葉が漏れ出た。
「超能力者が倫理観なんてものを持つからこうなるんだ」
ソフィー・ウェイドはどこか自嘲気味に言った。
「力尽くで拘束しますから。私のルールに従ってもらいますよ」
アランは言った。
「うん? 思ったより強い能力だ。まったく無理ではないが骨が折れるかな」
「いまさらですか」
河北摩耶が惘れたように言う。
彼女の実績上、捉えた相手を逃がしたことはなかった。
「より強かな能力に従う。それが私たち唯一のルールだったな」
ソフィー・ウェイドは何か納得したように頷いた。抵抗の意思はないらしい。
ようは最後の負け惜しみだったのだ、とその場にいた全員が理解した。
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