第2話『SNSが呼び寄せた影』



診療記録 No.2024-078

患者:複数(集団現象)

症状:SNS関連の異常な容貌変化、集団性影歪症


最初の異変に気付いたのは、看護師の佐伯美咲だった。


「御船先生、これ...見てもらえますか?」


診察室に入ってきた佐伯の手には、スマートフォンが握られていた。画面には『ビューティシア美容法』というタグが踊っている。投稿された写真の数は、すでに十万件を超えていた。


「最近話題のハッシュタグなんです。このタグで自撮りを投稿すると、三日後には理想の顔に近づけるっていう...」


霧子は無言でスマートフォンを受け取った。画面をスクロールすると、次々と若い女性たちの自撮り写真が流れる。しかし、日付の新しい投稿ほど、写真の様子が明らかに異常だった。


顔の輪郭が徐々に溶けていくような変化。目の位置が左右でずれていく写真。そして、投稿者たちは誰一人としてその異変に気付いていない様子だった。


「#ビューティシア美容法で、夢の美貌に...」

「三日目!少しずつ変化が...」

「理想の私に近づいてる気がする」


次々と投稿されるコメントの文字が、霧子の目の前でうねるように歪んでいく。


「佐伯さん、この投稿者たちの来院予約状況は?」


「それが...今日の午後から、このタグを使った人たちの予約が殺到してるんです。皆、同じような症状を訴えて...」


その時、待合室から悲鳴が響いた。



「お願いします...私の顔を、元に戻してください!」


待合室は異様な熱気に包まれていた。十人近い女性たちが、スマートフォンを手に取り乱している。その顔は、明らかに普通ではなかった。


まるでスマートフォンのフィルターがかかったような不自然な美しさ。しかし、よく見ると皮膚の下で何かが蠢いているような、不気味な違和感があった。


「皆様、落ち着いてください」


霧子の冷静な声が、騒然とした待合室に響く。


「順番に診察させていただきます。まず...」


霧子が言葉を切った瞬間、待合室の照明が激しく明滅した。女性たちの手にしたスマートフォンの画面が一斉に青白い光を放ち、その光は徐々に赤みを帯びていく。


「先生...私たち、もうすぐ理想の顔に...」


震える声で言い残し、一人の女性が床に崩れ落ちた。彼女の顔は、まるでスマートフォンの画面のように平らになっていく。他の女性たちも次々とよろめき、壁という壁にもたれかかっていく。


霧子は即座に判断を下した。


「佐伯さん、今すぐ全ての患者をB棟の霊安処置室へ。小早川院長には、後ほど私から報告を」


夜の診察がまた一つ、前倒しになる。



霊安処置室は、青白い光に満ちていた。


和装に着替えた霧子は、円を描くように横たわる患者たちを見下ろしている。全員の意識は朦朧としているが、生命に別状はない。問題は、その顔だった。


「まるで...スマートフォンに魂を吸い込まれているような」


佐伯が震える声で呟く。患者たちの顔は、徐々に平面化していき、まるでスマートフォンの画面のような光沢を帯びつつあった。そして、その表面には『ビューティシア美容法』の投稿画面が浮かび上がっている。


霧子は静かに目を閉じ、霊視を始めた。


次の瞬間、彼女の目が見開かれる。霊安処置室の空間が大きく歪み、壁一面がスマートフォンの画面と化していく。そこには無数の顔が映し込まれ、それぞれが異様な速度で変化を続けていた。


「集合的な影歪現象...SNSを媒介に繋がった魂が、別の世界に吸い込まれていく」


霧子が呟いた瞬間、壁一面のスマートフォン画面が真っ赤に染まる。その中心から、黒い糸を引きずった何かが這い出してきた。


人の形を象っているが、その姿は完全な美の追求によって歪められた怪異だった。整形手術の傷跡のような縫い目が無数に走り、その間から黒い糸が溢れ出している。


『美しくなりたいの?』


歪んだ声が、霊安処置室に満ちる。


「...やはり、あなたが元凶ですか」


霧子は懐から一枚の古い写真を取り出した。そこには若かりし日の母の姿があった。美しい顔立ちの女性が、カメラに向かって微笑んでいる。


「十年前、母を奪った存在...『美の檻』」


怪異が大きく身を震わせる。その姿は、霧子の記憶の中にある母の最期の表情と、どこか重なっていた。


『あら...あなたは、あの時の...』


霧子は迷いなく札を投げた。数十枚の霊符が宙を舞い、スマートフォンの画面と化した壁を覆っていく。怪異の姿が揺らぎ、悲鳴のような音を上げる。


「現世に紛れ込んだ偽りの美に、用はない」


霊符が淡く光り、怪異の姿が霧散していく。壁という壁に映し出されていた画面が次々と消え、霊安処置室が本来の姿を取り戻していく。


床に横たわる患者たちの顔が、徐々に立体を取り戻していく。しかし、霧子の表情は晴れない。


「これは、始まりにすぎない」


スマートフォンの画面に、新たな『ビューティシア美容法』の投稿が表示される。世界中で、その数は増え続けていた。


「佐伯さん、母の記録を探してきてもらえますか。十年前の、あの事件の...」


時計の針は、午前0時を指していた。しかし、この夜の診療は、まだ終わらない。


(終)




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