第15話 トイレ事案

『破滅の魔王』の言葉に俺は思わず口ごもる。

 俺と古村さんの関係――まさか幼女から改めて問われるとは。


 なんだろう。

 傷害事件の加害者と被害者。なんか知ってる(知らない)人。前の学校の同級生。友達。

 あるいはそれ以上の――駄目だ。まだ俺も全然わからないんだ。


 俺が無言でいると、『破滅の魔王』は細い指先を顎に添えてうつむいていた。

 幼女なのに容姿が人形みたいに整ってるせいで、その姿も妙に様になってるんだよな。高貴、という言葉がふさわしい。小説に出てきた吸血鬼の真祖とか、そういうイメージだ。


 間違いなく実在しているのに、不思議と現実味がない。

『破滅の魔王』かはともかく、やっぱりただの洋ロリでは説明できないほどの得体の知れなさがあるぞ、この幼女。


 ――その白いかたまり、うまいのか。


 声も変だし。

 この口が開いてないのに聞こえてくる現象、どういう原理なんだろう。


 ――聞いているのか、虫。


「はい?」


 気が付けば『破滅の魔王』がこっちを見ていた。その視線は俺の手にあるソフトクリームに向いている。つうか存在忘れてたな。もう溶けかけてるじゃん。


「えっと。ソフトクリームのことですか」


 ――そふと、くりいむ。


 白いうずまき状の部分を、赤い瞳がどこか興味深そうにじいっと見上げている。

 しかも口がなんか物欲しそうに半開きになってるぞ。

 つうか唐突に興味が移ったな。ここは子どもみたいで少しかわいいぞ。


「……ちょっと食べてみます?」


 試しにソフトクリームの先を金髪幼女に向けてみる。


 ――ふむ。


 すると金髪幼女はゆっくりと顔を近付けて。

 ちろりと舌先をのばした。


 ――ちべたっ!


「えっ」


 ――………………。


『破滅の魔王』は何事もなかったかのように無表情を貫いている。

 けどさっき一瞬、驚いたみたいに両目をぎゅっと閉じてたような。


「疑似アストラル体でも冷たさは感じるんですか?」


 ――ふむ。なかなか悪く味だ。


「疑似アストラル体でも味はわかるんですね」


 ――それを我によこせ。


 金髪幼女はすっと両手を伸ばしてくる。

 そしてソフトクリームを俺の手から奪い取ろうとした。


「ちょっ……やめ……」


 なんだこいつ急にアグレッシブになったぞ!

 ソフトクリームを持つ手を両手で握り、引き寄せようとする幼女。俺は咄嗟に抵抗を試みるが、ソフトクリームは幼女の方へと傾き――ぺちょっ。


 幼女の黒いひらひらワンピースに白いアイスが落ちてしまった。

『破滅の魔王』は表情を変えることなく無言で白いシミを見下ろしている。


「あーあ、やっちゃった。大丈夫ですか?」


 金髪幼女が赤い瞳を細めて俺を睨む。


 ――何をしている。拭け。


「えっ、あ、はい」


 って俺がかよ。つい頷いてしまったけども。

 でも拭くようなものなんか何も持ってないし――あ、そうだ。


 確かこの公園にはトイレがあったはず。

 だったらそこで軽く洗わせてもらおう。服が少し濡れることになるけど、夏場だから風邪をひいたりってこともないだろうし。疑似アストラル体が風邪ひくのかはともかく。


 そういうわけで俺は金髪幼女の手を引き、男子トイレに連れ込んだ。

 そして洗うためにスカート状になった黒ワンピースの裾をめくり上げる。

 白い太ももと黒い下着、すべすべの平たいおなかがあらわになった。


 って俺、冷静に考えたら結構危ないことしてるな。

 なんでだろう。抵抗とかなく自然とやってしまったけど。

 欠落した記憶の中に理由があるのだとすれば、俺には妹がいるらしいし、小さい頃に着替えの手伝いとかをしてあげてたのかもな。


 なんであれ、こんなところを誰かに見られたら面倒なことになる気がする。

 さっさと終わらせて――


「君、こんなところで何をしている」

「はい?」


 トイレ入口から声がしたので振り返る。

 そこには警官の恰好をした二人の男がいた。


「…………」


 全身から暑さとは別の汗が噴き出てくる。

 二人の警官は怪訝そうに質問を投げかけてきた。


「まだ学生じゃないのか。学校はどうした」

「こんな時間にこのような場所で、何をしているんだ?」


 何をしていると言われたらトイレで幼女の服を脱がそうとしてますけど。

 あれ。もしかしてこれ、かなりマズくないか?


 しかし俺はすぐに思い至る。

 確かこいつは疑似アストラル体だとかで、俺以外には認識できないとか言ってた。

 その証拠に、この金髪幼女も二人に声をかけられたのに平然としてるぞ。


 よし。

 俺は堂々と言うことにした。


「今日は学校は休みです。手が汚れたから洗おうとしてただけですけど?」

「ほお……?」


 ヘビを思わせる爬虫類顔の警官が何故かほくそ笑む。

 後ろの方では小太りの警官が小型のトランシーバーみたいなアイテムでどこかに連絡をとっていた。「はい。高校生くらいと思われる少年が公園のトイレに女児を連れ込み、服を脱がせています」とか、なんかそんな感じのこと言ってる――って普通に認識されてるじゃねえか!


 やばいやばいやばい!

 早く誤解を解かないと!

 こいつは異世界から来た『破滅の魔王』で――って言えるか!


「あ、や、その、こいつは留学中の従姉妹で……」

「嘘をつくな。どうせ見知らぬ幼女をトイレに連れ込んで、ふしだらなことをするつもりだったんだろう。顔を見ればわかる」

「顔は関係ねえだろ!」


 小太りの警官が「本人は従姉妹だと供述しており……はい、見た目からするとただのロリコンと思われます」とか言ってる。見た目で判断するなよ! 人権侵害だぞ!


「さあ、観念するんだな!」


 あわわわわわわ。

 やばい。マジで打つ手がない。詰んだ。


 このまま――終わってしまうのか?

 記憶喪失で過去を失った俺の未来。

 なんの夢も希望もなく、ただ女児に手を出した変質者として警察に捕まって終わりを迎える。そんなことが許されていいのか。


 ――気安く我に触れようとするな。虫が。


 その時、絶望する俺の頭にそんな声が響く。

 金髪幼女を見ると、赤い瞳を不快そうに歪めていた。

 どうやら小太りの警官が幼女の肩を触ろうとしていたらしい。


 そして次の瞬間――今までどこに潜んでいたのか「グルルル」「クァアアア」という声と一緒に十を超す黒い犬と鳥がトイレの入り口や窓から入ってくる。

 そして一斉に二人の警官へと襲いかかった。


「クッ! なんだこいつらは!」

「いてえ! 噛みやがった、くそがっ!」


 もはやわけがわからない。

 しかしこれは千載一遇のチャンスだ。逃す手はない。

 俺はこのスキに全身全霊をかけて逃げた。

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