蒼い瞳 5
藁束はちくちくと体を刺した。かずらに噛まれた足は相変わらず痛むし、小屋の戸もかずらに破壊され、麻布を張ったのみで心許ない。
未命はなかなか眠れず、暗闇の中で目を開けていた。
縫衣の呼吸は入り口の方から聞こえてきた。こういうとき、たいてい縫衣は入り口近くで、刀を近くに置いて目を閉じている。果たして眠っているのか、起きているのかもわからない。
(明日の、白ノ宮での発表。――本当にやるつもりなの? 縫衣さん。何を……。何を喋るの?)
目を閉じるのだが、元より真っ暗で、目がまわる気がする。夜風――夜渡吒の囁きが誘っている。
体の芯が仄かに熱かった。血を吸われたせいで、
眠れるかもしれない。などと思いながら、ふと理久のことを想う。理久はどこにいるのだろう。
馬稚国の――旺鹿だろうか。もっと遠くだろうか。枝がぱきり、と鳴る。木の幹に右手を当て、さらに森を歩いてゆくと人影があった。――女の背中のようだ。暗く蒼い打掛には、白い藤や菊の模様。そこに長い髪が垂れる。
――誰?
と問うと、女はゆっくりと振り返ってくる。ごうごうと、凄まじい音が周囲を取り囲む。まるで竜巻の中にいるようだ。暗い風と土の奔流の中にいる。
「喰らえ」
と、女の低い声がする。暗い竜巻の轟音の中から、「喰らえ……」とまた聞こえた。
いつも心の中で響いている、声。その声が溢れてきて、飢える。渇いてゆく。
「止めて! あなたは誰? 何なの? どうしてわたしの中に…………」
「――起きなさい。さあ」
今度は透明な、高い声がした。目を開けると縫衣の姿があった。汗だくになり、体は藁束に埋もれていた。雀の鳴き声――朝だった。
「うなされていたよ。未命」
縫衣は朝の光を背負い、覗き込んできた。未命は体をよじり、
「うん……。あの、女の魔性が、見えた。たぶん」
「そう」と、縫衣は目を伏せて、「そろそろ、かもね……」
呟いてから、立ち上がった。
「白ノ宮に行こう。――ね、朝餉にありつこう」
「え、うん。そうだね」
未命はまた笠をかむり、縫衣と共に白ノ宮に向かった。昨夜の襲撃のことを知っているのか、守護たちは、じろじろと視線をよこした。
「食べにくい」
と、笠を手の甲で押し上げ、未命は汁椀に口をつける。縫衣は米粒のついた口元で嗤い、「もう少しの辛抱だよ」と云って、山菜に箸を伸ばした。
朝餉が済むと、縫衣は「ちょっと、修練場に行こう」と云った。森の修練場で守護たちの稽古を見ながら、縫衣はずっと考え事をしているようだった。
それから慶紗ノ宮の、当てがわれた居室に行った。茶を飲み、他愛のない話をして茶菓子を食べた。
やがて、ドーン、と太鼓の音がした。続いて九つ。
ドーン、ドーン、ドーン…………
縫衣は立ち上がった。
「行こう。刻だよ」
◇
縫衣は大階段の中腹の中央に立ち、下方に顔を向けていた。天の
未命は縫衣の脇に――大階段のへりに立って、そんな縫衣を見ていた。
縫衣の斜め後ろの上段には大巫女がおり、その隣に側近の一位巫女がいた。
そして、縫衣の視線の先には、白ノ宮の面々がよく見えた。未命の見知った顔も多く、前列には洪蔵や緋奈もいた。
ざわめく人々。――白木の兜に巫女の黒髪が入り乱れ、一体となって蠢いていた。
(ついに、はじまるんだ。――縫衣さん。あなたは、結局、きちんと教えてくれは、しなかった。――ねえ、どうするつもりなの? 何を云うの? よりによって古の神々と、巫女たちのひしめく、白ノ宮で。――それもこの大階段で)
人々は不安げに顔を向け合い、ざわめきは不安な響きをはらんでいた。
そのとき、縫衣は左手を少し上げた。肩くらいまで。
人々はにわかにどよめき、静かになった。縫衣は左手をそのまま、左腰の白柄にどん、と載せた。背筋を伸ばし、例の透徹する眼差しを人々に向けた。
「皆様方。――昼日中の多忙なおりに集まっていただき、かたじけなく思います。こたび、わたしから話をしたかったのは、他でもない。――例の、黄花さんが犠牲になられた、かの痛ましい
人々のざわめきを無視して、縫衣は続ける。
「わたしは本日、かの変事の真実をお伝えするため、ここに立っている。――そこでまずお見せするのが、これです」
すると縫衣は、右手の麻布の包みを両手に持ち、それを広げていった。そこからは、焦茶色の蛇の頭のようなものが二つ現れた。縫衣は上段の大巫女へと振り返るに、
「ご検分を」
すると、大巫女は皺に埋もれた目を押し広げ、顔を近づけた。
「大巫女様、これなるは、昨夜私どもを襲った、魔性――かずらの触手なのです。どうぞ、皆様にお伝えを」
大巫女は咳払いしてから、枯れかけた声を振り絞るように、
「間違いない。守護からの報告も聞いておる。――
そこでどよめき。人々は顔を見合わせて、目を白黒させた。縫衣は人々を見て、
「聞かれましたね。大巫女様のご検分と、ご説明を。――これなるかずらは、西方の邪法より生み出される、一種の瘴魔であり、人為的な存在でもある。それこそが、蛇葛」
すると、大巫女の声がした。
「一つ、教えてはくれぬか。白花ノ剣よ」
縫衣は振り向いて、
「何なりと」
「ふむ。それがかずら、ということはようわかった。――されど、なぜ昨夜、お主らが襲われるのだ。話行きからして、黄花がそのかずらに襲われた、とでも申すのだろうが。――その前に、なぜお主らが……」
すると、縫衣は滑るように眼差しを向けてきた。未命は笠の下で、その眼差しを受け止めた。
ついで縫衣は人々を、再び大巫女を見た。
「もう一つここで、お伝えしましょう。――未命さんのことについて。未命さんは、黄花さんの一件の下手人として、追われておりました。――このかずらの話は、そこに繋がるのです。――何を隠そう、わたしは昨夜、未命さんと宮の近くの小屋におりました。そこで、未命さんを追ってきた、かずらに襲われたのです」
そのとき、階段の下から声がした。
「待たれよ。そこには異議がある」
と云ったのは、面長に白髪混じりの副長官、洪蔵だった。じっとりとした、敵意のこもった目つきで、
「おかしいぞ! 縫衣殿は未命の肩を持つようだが。――夜番の守護が見たのだ! 未命の恐るべき姿を。――おぞましくも、殺めた猫の血を飲んでいたと……。それはどう説明するのだ! 如何に白花ノ剣と云えど、この神域において、いたずらに魔性に肩入れするなど、許されぬ! ――あいにく
未命は洪蔵の血走った目を見た。
(この人は、どうあっても、黄花さん殺しを、わたしのせいにしたいんだろうか。――わからない。なぜ?)
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