蒼い瞳 6

 挑んできた洪蔵に、縫衣は視線を向けた。


「未命さんの、その話。――鼠や猫の血を飲んでいたと。ええ、わたしもそれは聞いています。むろん、それを否定はしない。しかし。――しかしだからといって、人を殺めたということにはなりません」

「そのような詭弁! 通らぬ」と洪蔵。

「――わたしは、ゆえあって未命さんに出会いました。そこでわかったのですが、未命さんは確かに、人ならぬものに取り憑かれていました」


 すると、群衆からざわめきが起こり、洪蔵が歯を剥き出して醜く嗤った。


「やはり認めるか! そうだ。瘴魔憑きか何かは知れぬが、やつは、魔に憑かれて、黄花を殺めたのだ!」

「違います。――それが、違うのです。未命さんは正味、魔性憑きの問題を抱えていました。それはそれで、わたしが責任を持って、抑えています。――ゆえに、動物の血を飲んだこととは、分けて考えねばなりません。――それに第一、大きな不合理があるのです。未命さんという、一人の巫女が如何に血を飲んだとしても。――不合理な点が」


 洪蔵は日焼けした顔を、ぎらぎらと汗に光らせて、


「ああッ? 不合理だと?」

「そうです。――黄花さんの体には、血がほとんど残っていなかったようですね。それに間違いは?」

「ああ。その通りですよ! 血は残ってなかった」

「では、地面には?」

「ない。地面にも、血などなかった。それが何だというのだ……!」


 縫衣はかすかに嗤って、


「考えてもみてください。未命さんのような、一人の巫女が、まるまる別人の血を飲み干すなど、できやしません。そんな状態で、また普段の生活に戻るなど」

「何ィ……」

「それに、もう一つ。おかしな点があります。――副長官殿。黄花さんの遺体のあった神繋かむつなぎノ宮の裏手。その縁の下……」


 すると、洪蔵はぴくりと目を広げ、口を歪めた。


「縁の下、だと」

「そうです。縁の下に、まるで木の根が這ったような跡。それに、地面に出てきたような穴がありました。それを、見ていないのでしょうか」


 そこで、少し離れた所にいた、一人の守護が云った。


「おお……。確かに。そんな跡を見たぞ。それを報告したが」


 洪蔵はそちらを睨み、舌打ちした。縫衣は続ける。


「かずらは、地面に潜り、標的の近くにて触手を出すのです。――その痕跡がまざまざと、残されているのです」


 縫衣は大巫女へと振り向いて、


「大巫女様、恐れながら。まずは一つ、お願いしたいと思います」

「ふむ、何であろう」

「ええ。――こたびの黄花さんの変事について。未命さんが下手人ではないことを、認めていただけませんでしょうか」


 大巫女は皺深い顔にいっそ皺を寄せて、縫衣を見た。しばしの沈黙があった。


「――なるほど。全ての疑念が失せたわけではないが。そなたの申すのも、一理ある。――再び怪しき点があれば、厳しく詮議する必要があるだろうが」

「大巫女様……」

「うむ。よかろう。新たな怪しき点が出るまで、四位巫女、未命には、嫌疑なきものと考えても」



 人々は騒ぎたてた。守護や巫女たちは驚嘆や疑問を口にした。そこで大巫女の脇にいた一位巫女が声を張った。


「皆の者! 大巫女様の仰せだ。この白ノ宮において、大巫女様に物申すか? 如何に!」


 すると人々は口を閉ざし、またじっと、縫衣に注目した。洪蔵は両手のこぶしを握り、歯噛みするようだ。


 無数の目が見上げて来る中、縫衣はまた、高らかに云った。


「大巫女様の仰せの通り! この場において、未命さんの嫌疑はなくなった。よろしいか」


 人々の無言と、洪蔵の怒りを帯びた目つきが、縫衣の言葉をがえんじていた。縫衣は続けた。


「そこで、わたしはもう一つ、お伝えするのです。かずらは昨夜、わたしと未命さんを狙い、やってきました。――いえ、これまでも、二度の襲撃を受けました! 下手人は、かずらを使い、黄花さんだけでなく、未命さんをも、仕留めようとしたのです。そして昨夜は、わたしの挑発に乗り、この発表の前に、わたしたちを仕留めようとしてきた。――これらのことから、やはり、白ノ宮に関係のある、何者かが糸を引いていると。そう考えました。――黄花さん殺しをうやむやにすべく、身内の何者かが…………」


 人々のどよめきの中、縫衣は右足を階下に踏み出し、


「そこで副長官殿。――黄花さんとは、如何なるご関係で?」


 ざわつく人々を尻目に、洪蔵は答えた。


「関係……だと? 知るかッ」

「おや、わたしは聞いたのです。――かの黄花さんに、随分とご執心だったと」

「何ィ。かようなこと……。誰が……」


 そこで縫衣は、洪蔵のずっと左にいる、一人の巫女――緋奈の方を見た。緋奈は童顔の頬を驚きに赤く染め、目を見開いた。


「このわたしと、誠に勝手ながら――見届け人であられる大巫女様の名において。あなたに、如何なる報復も及ばぬことを、保証します。ですから、もう一度、あの話を……」


 緋奈は俯いた。縫衣は「お願い、緋奈さん」と呼びかけた。


 すると、緋奈はかすかに頷いたように見えた。震えながら顔を上げると、


「あの……。確かに、申しました。――上位の巫女たちの噂話を、聞いたのです。この場にはおられませんが。黄花さんは……。副長官殿より、お部屋のを、何度も依頼されて……。これは、何人かが知っていると、思います……」


 緋奈は怯えるようにそこまで云った。洪蔵は目を向いて緋奈を睨んだ。「このッ。小娘が…………」と、低い唸り声が聞こえた。



 縫衣はいたわるように云った。


「ありがとう、緋奈さん。あなたの無事は、保証するよ。――ところで、巫女たちの周りでは、かずらを見かけた、などの話はない? かずらを使ったのだとすると、何か兆候や、気になることとか……。例えば土に何かを埋めている人がいた、とか。そういう噂話とかは?」

「え、土に……?」と緋奈。

「そう。昨日も襲われたからさ。夜になった途端」

「そうですね。夜は静かだったように、思います。――よくは、わかりません」

「あとは、念のため。緋奈さんや周りの人は、どんな様子だった?」

「わたしは夕方より、枯れた白花を森に戻しに行きましたが……。暗くなってからは、少なくとも身の回りで、怪しげな方は、見られなかったかと……」

「ありがとう。わかったよ」



 未命は緋奈の懐かしい顔から目を離し、洪蔵を見据えた。


(やはり、副長官殿が……。何か、あってはならぬことを、黄花さんにしでかしたのか……。まさか……。それを、誤魔化すために、かずらを使ったの? わからない。どうなの、縫衣さん……)


 未命が縫衣を見ると、縫衣は洪蔵に云った。


「副長官殿。あなたは、黄花さんに執心していた。――それはもう、異論の余地がないようですね。どうでしょう」

「ああ。くそッ。だからと云って。――――そうだ! だからと云って、それがしが下手人だと。そう申されるのか! 縫衣殿は!」


 するとなぜか、縫衣は緋奈へと顔を向けた。


「ところで緋奈さん。一つ、教えてほしいの」

「は、はい……」と緋奈は不安げだ。

「なぜ昨日、わたしたちに、副長官の話をしたの?」


 未命はその言葉に、目まいを覚えた。


(今度は何? 何を云い出すの……?)


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