蒼い瞳 2
「ちょっと、話を聞いておきたい人がいるんだけどね」
そう云う縫衣は、どういうわけか白ノ宮の正門から外に出ていった。未命も追いかけてゆくと、縫衣はすぐ左手の小道に入り、さらに森を進んだ。
やがて開けた広場に出たのだが、そこには鎧姿や麻の着物姿の守護たちがいた。
大半が縫衣を知っているようで、
「お久しゅう」「生きておられた!」「後ほどぜひ一手」
などと声が飛んできた。
広場の中央には、木刀を持った黒い着流しの男が立っていた。男は右手の木刀を肩に担ぐようにして、首を傾げてあくびをしている。
その前には着物姿に木刀を上段に構えた、髷を結った大柄の青年がいた。
「いやァー!」
と青年が飛び出すと、木刀が振り下ろされる。そこに黒衣の男は妙な動きで攻撃を肩に受けると、青年の木刀が宙に舞った。――未命にはまったく理解できなかった。
(何よあれ……。何が起きたの?)
横から、別の守護が止めに入る。
「勝負あり!
するとその男――蓮二はまた木刀を担ぎ、左手で顎髭をざりざりとさすった。未命は半ば凍りついて、その魔性じみた男の姿を睨んでいた。
「おじさん」
と縫衣はその黒衣に呼びかける。ゆっくりと蓮二は振り返り、
「ああッ? 縫衣か。何事だァ。それに、銀狼衆の新入りか? 弟子でも取るようになったかよ」
蓮二の視線を感じて、未命は後ろに退がる。縫衣はそれに、
「違うよ。そんなことよりさ、大変なことが起きたみたいで」
「大変? ああ、先月からよォ、宮で振る舞われる酒が、三級に落ちた! たまったもんじゃねえぜ。いい酒は蔵にたんまり、溜め込んでやがるんだ、巫女どもが。くそッ。
「馬鹿、違うって」
「おおッ? 馬鹿たァなんだ」
「だから。――巫女がさ、殺されたよね。少し前に。最近はおじさん、白ノ宮にいるんでしょ?」
「ああ。そういやそうだ。捜索隊も出たなァ。下手人の巫女を追って」
その言葉に、未命の胸が苦しくなる。そこへ縫衣は、
「まだ、下手人はわかってないよ」
「ああッ? やったのは、瘴魔憑きの巫女だって、見習い巫女のガキでも知ってらァ」
「だからさ、そうじゃないんだって……」
すると、蓮二は一瞬黙り込んで、今度はちらりと未命を見た。
「おい、巫女かよ……。刀も振ったこともねえ、巫女みてえな奴が、なんの酔狂で、そんな
未命は驚いて口を半開きにして固まった。
(どうして? 変装してるのに。笠までかむって。――それなのに、なんでそんなこと)
冷や汗が流れてくる。
「え、違う……。わたしは……」
そこでまた縫衣が、
「いいの、それはさ」
蓮二は唇を歪め、片頬で嗤った。
「ほう。なにやら、またわけのわからねェことに、首を突っ込んでやがるな」
「まあ、そんなとこかも。――ところでさ、理久って人は……聞いたことある? 守護の……」
「ふうん、どうだかなァ」
「まじめに答えてよ! 理久さんのことも、探してるの」
すると、別の守護の声がした。
「理久? あやつは、捜索隊として、旺鹿にいるはず」
縫衣はそちらを見て、
「そう。しばらく帰ってこないの?」
「はあ、それがしには、わかりませぬが。下手人――とされる、巫女を見つけるまで、戻らぬようではありますぞ」
広場から白ノ宮へと戻るとき、縫衣は云った。
「理久さん、まだ戻ってない、か」
「そうみたい……」と未命。
「今はさ、できることをやろう」
「できること?」
縫衣は頷いて、
「そう。まずはかずらのこと、もっと調べよう。それが、全てを紐解いてゆくと思う」
「ええ……」
「それでさ、だれか、警備のこととかわかる人はいないかな?」
「警備?」
「そう。黄花さんが殺された夜の、警備の状況とかを聞ける人は……」
未命は少し考えてから、
「やっぱり、長官か……いえ、出かけていることが多いから、副長官かな」
「副長官?」
「うん。たぶん、守護の副長官の、
そう答えながら未命は、縫衣と共に白ノ宮の正門をくぐった。
右に折れて宿舎に向かうとき、未命は笠の下の目を見開いた。――そこには緋奈が、盆に二冊の草子を載せて歩いていた。
緋奈は目の前で立ち止まると、恭しく背を伸ばし頭を下げた。
「ご客人の旅路に、白花の恵みのありますよう」
それに対して思わず、未命は巫女の返礼をしそうになる。
――天に長神、地に白花の浄めのありますよう。
口をつぐみ、未命は笠を傾けた。縫衣は慣れた様子で云った。
「あなたにも、白花の恵みを」
緋奈は顔を上げて、
「あなたさまは、縫衣様ですね」
「ええ」と縫衣。
「お噂はかねがね……。わたしは、四位巫女の緋奈と申します。かの、白花ノ剣たるあなたさまにお会いできて……」
「そんな、大げさなものじゃないよ。わたしはさ」
「いえ、本当に光栄に思います」
「そう……。ところでさ、未命さん――という巫女が、脱走したと云うけれど。なかなかの騒ぎになっているみたいね」
未命はどきりとして、縫衣の横顔を睨んだ。緋奈は俯き加減に、
「ええ。未命は、わたしと仲の良い巫女でした。――未命が、黄花さんを殺してしまうなんて。――いえ、わたしには、そんなことが、どうしても信じられず……」
「それにしても黄花さんのこと。大変だったね」
「はい」
そうして緋奈は、白い指先を口元に近づけ、視線を落とした。桃色に透き通った爪が綺麗だった。縫衣は近づいて、
「ねえ。あの黄花さんのこと。何か変わったこととかは、なかった?」
「黄花さんのこと、ですか。――どうでしょうか。わたしには、ちょっと。――ただ」
「ただ?」
緋奈は石畳を見つめながら、
「ええ。――わたしが、この話をお伝えしたことは、伏せていただきたいのですが……」
「うん。もちろん」
すると、緋奈は周囲を見回してから、また桃色の指先を口元に添えた。
「これは、同じ巫女として。――あの黄花さんを、悼む気持ちからお伝えするのです。黄花さんは、以前……。副長官に」
「なに?」と縫衣はさらに踏み出す。
「付きまとわれていたのです。――その、云いづらいことなのですが。副長官殿は、好みの巫女を見つけると、権力を傘に着て……」
「副長官が……?」
「はい。黄花へ、夜に副長官殿の居室に来るように迫っていました。部屋を特別に浄めれば、報酬を出すと……。だからとにかく、部屋へ、と」
縫衣は低い声で、
「その話、本当なの?」
「はい……。昨日、上位の巫女の間で話題になっていたのを聞きかじりまして。夕餉の席で……」
「そう。よくわかったよ。ありがとう」
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