第三章 蒼い瞳

蒼い瞳 1

 隠れ家を出ると森を東に進み、街道に交わった。正午に近づき、陽射しがきつくなりはじめていた。


 未命は再び銀狼衆の――暗緑色の装束に編笠。左腰には隠れ家で借りた、使い古しの刀を提げていた。


 前をゆく縫衣も、似たような編笠に、背中に行李を背負っていた。


 半刻ほど南東にゆくと峠があり、頂上からは白ノ宮を見下ろせた。――森の眺望の中に真っ白な建物が集まっている。白木の防壁と正門。白木の宮々。中でもひときわ大きな本宮。


 それらの白い空間が、広大な森をくり抜くように広がっているのだ。


 それにしても、と未命は思う。


(縫衣さんは、白ノ宮に入れるの? そう簡単に、守護たちは門を通さないはずだけど……)


 そんな未命の心配もよそに縫衣は峠を降りて、正門へと近づいてゆく。


 白木の堅牢そうな門の両脇には、白い鎧兜に鉾を立てた守護が立ちはだかっている。兜の下から、ぎろりと睨んでくるのがわかる。


(以前は守護たちに護られていたのに。――いまは、睨まれる側なんだ……。仕方ない。こんな、銀狼衆の姿なんだから)


 縫衣は笠を取ると堂々と進んでいった。その後ろを、未命は肩をすくませ進んだ。守護はどちらも熊のようだ。ただし、右は若熊、左は初老の熊。


 未命は冷や汗をかき、笠の下に隠れるように顔を俯けた。すると、初老の熊の声。


「これは、縫衣殿」


 そこへ縫衣は右手をひょいと挙げて、


「暑いね。交代で休めば?」

「はッはッ。これしきで音を上げたら、火津真ほつまノ神に嗤われ申す」

「ふふっ、倒れなきゃいいけどね」


 翻って左の若熊は、やや緊張するように辞儀――頭を下げて略式の敬礼をしていた。すると、初老の熊が云った。


「おや、そちらのお方は」


 縫衣は左手に笠を抱えながら、


「わけありでね。眼に魔が宿る。笠の中を見たけりゃ見てもいいけど、お勧めはしない」

「それはまた、ぶっそうな御仁ごじんを、この巫女の園へ連れてこられたもので」

「うん。だからこそ、それもあってね」

「なるほど。瘴魔がらみとなれば、白ノ宮が一番ですな」

「そういうこと」


 未命は唖然と、そんなやりとりを眺めていた。


「さ、行こう、ナオ」


 という縫衣の声に、未命は頷く。――人前で声はなるべく出さないように、気をつけていた。


 未命は不思議な心地で、懐かしい白ノ宮の石畳を踏んで歩いた。


 巫女たちは巻物や器を持って往来し、守護が巡回している。いずれも驚きと好奇の眼差しで、銀狼衆たる縫衣と自分を見つめてくる。


 ――それでも、守護たちは縫衣のことを知っているらしく、横切るときにはまるで、古い友人か親戚を迎えるかのように片手を挙げたり、小さな笑顔を向けたりした。


 巫女たちは「ようこそ、お客人様。白花の浄めを」などと、いくらかよそよそしい決まり文句で迎えた。



 建物の脇にきて、人の気配が消えたところで、


「ねえ、縫衣さん。守護の人たちには、知り合いが多いの? まさか、こんなに……」


 すると、縫衣ははにかんで、


「そうだね。最近は、多くは来ないけれど。古い人は、何度も一緒に稽古したり、いろいろね」

「そう……。それじゃ、さっそく」

「うん」


 そうして、未命は先へ進んでいった。向かっているのは、神繋かむつなぎノ宮だ。


 ――巫女の黄花きはなの遺体が見つかったのは、神繋ノ宮の裏手だ。昼間でも静かな気配がする場所だった。



 やがて未命が建物の裏手で立ち止まると、縫衣が追いついて横に並んだ。未命は潜めた声で、


「ここで、見つかったの。体はそこの、建物の下に押し込まれるように……」


 と指さすのは、縁の下の暗がりだ。



 同時に未命は、後ろめたい気分に襲われる。


(わたしがやったのかも、しれない。黄花さんを、このわたしが……。こんな所まできて、何をやってるの? こんなところに、何があるっていうの……)


 すると、縫衣は何を思ったか、行李を背中から降ろし、そこに笠を立てかけた。そうして腰を屈めて、うつ伏せになり縁の下に向かう。


「ちょ、ちょっと、縫衣さん……」


 人目を気にして、未命は周囲を見回す。案の定、通りがかった守護が訝しげに見て、戸惑った様子で通り過ぎていった。


 縫衣は足先だけを残して、縁の下に這入り込んでいる。


 しばらくすると、地上へと這って出てきた。土や埃をつけて、体を起こした。


「うん……。やはり」

「なに? 何かわかったの?」


 縫衣は考え込むように、縁の下の方を見つめながら、


「土に穴の跡が……あった。盛り上がって。――そう、まるで、木の根が地面の下を這うように」

「え?」

「そう。だから、が、地面から伸びてきて、その巫女を捉えたのかも。――まだ、憶測だけど」


 その言葉に、未命も体を屈めて縁の下を覗き込んだ。


 暗かったが、昼の光の中に柔らかそうな地面の起伏が見えた。――床下は土なのだ。


「そこに、穴の跡がある」


 と云う縫衣の指先をたどると、確かに妙な盛り上がりが二つ見えた。そこから手前の石畳に向かって、線を曳くような二本の跡も。未命は思わず、


「ちょっとこれ……。何かが……」

「うん。白ノ宮の人たちは、見つけているかも知れないけれど」

「だったら、なんでわたしが、追われるの?」


 それには、縫衣は何も答えなかった。未命は俯いて、土に汚れた袴を見た。


(わかってる。――これだけじゃ、わたしの疑いを晴らすことなんて、できない。ごめんなさい、縫衣さん)



「証明しよう」


 そんな縫衣の言葉に、「え、なんて……」と未命は尋ねた。


「うん。――あなたがやっていない、ってことを、証明するよ」

「そんな……。どうやって?」


 縫衣は片膝をついたまま、やはり透明な、確信めいた眼差しをしていた。


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