夜を越えて 4

 理久は宿舎の一階奥にある、畳張りの座敷に姿勢を正して座っていた。――一方で、卓を挟んだ対面には副長官の洪蔵こうぞうが、片膝を立ててどかりと座っていた。理久たちより上等な小豆色の着物に、扇子を右手にしている。


 卓には筆と硯が置かれ、棚には冊子や巻物がある。刀掛けには大小の刀。壁には鉾が掛けられている。


 洪蔵は面長に口をに結び、じっとりとした目で睨みつけてくる。右頬に大きな黒子。白髪混じりの頭髪を後ろに縛り、日焼けと皺に覆われた顔をこわばらせて。


 洪蔵はついに扇子を苛立たしげに閉じると、その扇子で卓を叩いた。ぴしりと音が響いた。


「――それで、未命と夜な夜な、逢引きしていたそうじゃねえか。お前は。――ええッ? どうなんだ」


 理久は膝に載せた両手に汗を握り、唾を呑んでから答えた。


「そ、それは…………」


 それっきり、言葉が出てこない。


「何だァ? しらばっくれるのかよ。――幾人かから、証言が出てるぞ。お前たちが抜け穴から外へ出て行くのをなァ。――けッ、化け物とまぐわうなぞ、忌々しい……。さぞ愉しんだかよ? よかったじゃねえか。おおッ?」


 理久は睨むように洪蔵を見る。


「何だその眼は……。好きものの餓鬼がァ。――それで、終いにゃ未命が、猫を殺して血を吸っていたんだとなァ。化け物だ……あの未命って巫女は」


 洪蔵は濁った目を剥いて、覗き込んでくるような視線で続ける。


「おおッ? 聞いてんのかよ、理久」

「は、はい」

「それに、あの巫女殺し! 殺された巫女――黄花きはなも、血を抜かれていたそうだ。こりゃどう見ても、あの化け物――未命の仕業だ……。そうだろうが」


 すると洪蔵は膝に手を置いて立ち上がった。「よォ、理久……」と、気怠そうに卓を回り込んでくると、理久の真横に座り込んだ。


 顔を間近に寄せてくる。生臭い息がかかる。


「どこにいる? 未命は」


 理久は胸の鼓動を感じながら答える。


「わ、わかりません。俺には……」

「きっとよォ。お前は、殺された巫女――黄花とも、繋がっていたんじゃねえか?」

「何……。どういうことですか」

「どうもこうもねえ。お前は、あの黄花とも関係を持っていたに違いねえ。それで、未命は嫉妬して、黄花を殺したんだろう。どうにも未命は、血吸いの化け物だ。その腹を満たす獲物に、憎き黄花を選んだってわけだ」

「そ、そんな。俺は……。黄花なんて巫女とは……」

「違うのか? それとも、かばうのか? あの血吸いの化け物を」

「い、いえ」

「だったらよ、それを示せや」

「し、示す?」

「おうよ。だからこそ、お前を捜索隊に加える」

「そ、捜索隊……」

「そうだ。未命を追うために、力を尽くせ。何か、やつの故郷だの、行きそうな所だの、聞いてるんじゃねえのか? だから、お前も加われや。いいな?」

「俺が……」

「どっちにせよ、俺にも、塁が及ぶ話だ。巫女殺しの始末をつけねえと、俺の首まで危ねえんだ……。文字通りな」



 宿舎から出たとき、日は傾きかけていた。西日を背負って一人の男が、左手を懐に入れて石畳を歩いてきた。――蓮二。あの、銀狼衆の剣士だ。ざらざらと草履が石畳を擦る音。


 理久は緊張しながら道を空けて、その黒衣が横切るのを見た。石畳を見ると夕刻間近の長い影が落ちていた。


 蓮二は立ち止まるに、


「たしか、理久、か」

「え、はい……」

「影は、斬れたのかよ」


 その言葉に、理久はなぜか未命と逢引きした、あの小屋のことを思い出す。囲炉裏の埋み火。揺れる二つの濃すぎる影。


「わかりません。俺には……」

「そうかよ。――何にせよ、顔を上げといた方がいいぜ」

「え……?」


 そのとき別の、年配の巫女が、長い影を曳いて歩いてきた。白花と麻布の匂いと共に、「白花の浄めを」と頭を下げて通り過ぎた。――理久はそれに返礼するのも忘れて、影が遠ざかるのを見た。


「呑まれちまうぜ。影に……」


 その声に理久が顔を上げると、蓮二はもう、巫女とは反対側に歩き出していた。



 宿舎の広間の板敷には長い卓が置かれ、守護たちが雑多に座っていた。喧嘩紛いの馬鹿騒ぎと笑い声の中、理久は箸を右手にあぐらをかき、茫と固っていた。


 茶碗には雑穀粥。山菜と大根の煮物。魚の干物に味噌汁。――いつもの夕餉が湯気をたてている。


「どうした理久。そのうち皿に足が生えて逃げちまうぜ。――どりゃ、俺が代わりに喰ってやらァ」


 その声と共に左横から箸が伸びてくる。理久は左手を伸ばして箸を押しやる。見ると、髭面の男――護杜ごとだった。


「いいや。自分で喰うさ」

「けッ。早く喰えや。そうしねえと、飢えた犬どもに、持ってかれるぜえ」

「ああ……」


 そうして理久は茶碗を左手に掴みながら、大根の煮物を箸に刺して口に放る。となりの護杜は粥を啜ると、粥を飛ばしながら云った。


「まあよ……。お前があの、逃げた巫女と、良い仲ってのは、知ってらあ。俺だって。副長官――あの瓢箪ひょうたんに、何云われたか知れねえがよ。喰うときゃ、喰っとけ」


 理久は喉の奥で返事をし、粥を口に入れる。護杜は続ける。


「畜生、瓢箪のやつ、碌なもんじゃねえ。――やつこそ、巫女に付き纏って、みっともねえ、ったらねえぜ。あの殺された黄花ってのも、瓢箪に付き纏われてたらしいからな。ッたく。巫女のけつを追いかけてまわして、何が副長官だっての。――貧しい出の巫女たちに、金をちらつかせてよォ。やりたい放題らしいぜ」



 宵の口、暗くなった境内に出て外の厠に向かうとき、理久は巫女の声を聞いた。


「こんばんは、理久殿」


 見ると篝火の横に、いつも未命と一緒にいた巫女がいた。


「ああ……。こんばんは。きみは……」

「あい。緋奈ひなでございます」

「そうか、緋奈さん。その――驚いたね。未命のこと……」


 すると、緋奈は火照る黒髪を俯け、幼なげな頬を翳らせ、


「ええ。仲が良かっただけに、心配です。気になって……」

「そうか。わかるさ。でも、自分のお勤めも、しっかりとやらないとな……。詳しくはないが。巫女の勤めも、いろいろと大変だろうから」

「あい。それは、そうなのです……」


 緋奈は俯いて、ため息をついた。理久は近づいて、白い小袖の肩を支えるように触れた。


「そのうち、戻ってくるさ。な?」


 すると、緋奈はゆっくりと顔を上げた。


「――おありがとう、ございます」

「いいや……。俺だって、人の事を云えないけどさ。俺も困って、迷ってる。俺だって……。さ、もう早く、宿舎に戻るんだよ。雛蘇ノ宮だったな」

「左様でございます。――それでは、夜渡咤様の前に、おやすみなさいまし」

「ああ、おやすみ」


 そうして緋奈は、篝火を背に受けて歩いていった。白花の甘い匂いが仄かに残った。

 

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