夜を越えて 4
理久は宿舎の一階奥にある、畳張りの座敷に姿勢を正して座っていた。――一方で、卓を挟んだ対面には副長官の
卓には筆と硯が置かれ、棚には冊子や巻物がある。刀掛けには大小の刀。壁には鉾が掛けられている。
洪蔵は面長に口を
洪蔵はついに扇子を苛立たしげに閉じると、その扇子で卓を叩いた。ぴしりと音が響いた。
「――それで、未命と夜な夜な、逢引きしていたそうじゃねえか。お前は。――ええッ? どうなんだ」
理久は膝に載せた両手に汗を握り、唾を呑んでから答えた。
「そ、それは…………」
それっきり、言葉が出てこない。
「何だァ? しらばっくれるのかよ。――幾人かから、証言が出てるぞ。お前たちが抜け穴から外へ出て行くのをなァ。――けッ、化け物とまぐわうなぞ、忌々しい……。さぞ愉しんだかよ? よかったじゃねえか。おおッ?」
理久は睨むように洪蔵を見る。
「何だその眼は……。好きものの餓鬼がァ。――それで、終いにゃ未命が、猫を殺して血を吸っていたんだとなァ。化け物だ……あの未命って巫女は」
洪蔵は濁った目を剥いて、覗き込んでくるような視線で続ける。
「おおッ? 聞いてんのかよ、理久」
「は、はい」
「それに、あの巫女殺し! 殺された巫女――
すると洪蔵は膝に手を置いて立ち上がった。「よォ、理久……」と、気怠そうに卓を回り込んでくると、理久の真横に座り込んだ。
顔を間近に寄せてくる。生臭い息がかかる。
「どこにいる? 未命は」
理久は胸の鼓動を感じながら答える。
「わ、わかりません。俺には……」
「きっとよォ。お前は、殺された巫女――黄花とも、繋がっていたんじゃねえか?」
「何……。どういうことですか」
「どうもこうもねえ。お前は、あの黄花とも関係を持っていたに違いねえ。それで、未命は嫉妬して、黄花を殺したんだろう。どうにも未命は、血吸いの化け物だ。その腹を満たす獲物に、憎き黄花を選んだってわけだ」
「そ、そんな。俺は……。黄花なんて巫女とは……」
「違うのか? それとも、かばうのか? あの血吸いの化け物を」
「い、いえ」
「だったらよ、それを示せや」
「し、示す?」
「おうよ。だからこそ、お前を捜索隊に加える」
「そ、捜索隊……」
「そうだ。未命を追うために、力を尽くせ。何か、やつの故郷だの、行きそうな所だの、聞いてるんじゃねえのか? だから、お前も加われや。いいな?」
「俺が……」
「どっちにせよ、俺にも、塁が及ぶ話だ。巫女殺しの始末をつけねえと、俺の首まで危ねえんだ……。文字通りな」
宿舎から出たとき、日は傾きかけていた。西日を背負って一人の男が、左手を懐に入れて石畳を歩いてきた。――蓮二。あの、銀狼衆の剣士だ。ざらざらと草履が石畳を擦る音。
理久は緊張しながら道を空けて、その黒衣が横切るのを見た。石畳を見ると夕刻間近の長い影が落ちていた。
蓮二は立ち止まるに、
「たしか、理久、か」
「え、はい……」
「影は、斬れたのかよ」
その言葉に、理久はなぜか未命と逢引きした、あの小屋のことを思い出す。囲炉裏の埋み火。揺れる二つの濃すぎる影。
「わかりません。俺には……」
「そうかよ。――何にせよ、顔を上げといた方がいいぜ」
「え……?」
そのとき別の、年配の巫女が、長い影を曳いて歩いてきた。白花と麻布の匂いと共に、「白花の浄めを」と頭を下げて通り過ぎた。――理久はそれに返礼するのも忘れて、影が遠ざかるのを見た。
「呑まれちまうぜ。影に……」
その声に理久が顔を上げると、蓮二はもう、巫女とは反対側に歩き出していた。
宿舎の広間の板敷には長い卓が置かれ、守護たちが雑多に座っていた。喧嘩紛いの馬鹿騒ぎと笑い声の中、理久は箸を右手にあぐらをかき、茫と固っていた。
茶碗には雑穀粥。山菜と大根の煮物。魚の干物に味噌汁。――いつもの夕餉が湯気をたてている。
「どうした理久。そのうち皿に足が生えて逃げちまうぜ。――どりゃ、俺が代わりに喰ってやらァ」
その声と共に左横から箸が伸びてくる。理久は左手を伸ばして箸を押しやる。見ると、髭面の男――
「いいや。自分で喰うさ」
「けッ。早く喰えや。そうしねえと、飢えた犬どもに、持ってかれるぜえ」
「ああ……」
そうして理久は茶碗を左手に掴みながら、大根の煮物を箸に刺して口に放る。となりの護杜は粥を啜ると、粥を飛ばしながら云った。
「まあよ……。お前があの、逃げた巫女と、良い仲ってのは、知ってらあ。俺だって。副長官――あの
理久は喉の奥で返事をし、粥を口に入れる。護杜は続ける。
「畜生、瓢箪のやつ、碌なもんじゃねえ。――やつこそ、巫女に付き纏って、みっともねえ、ったらねえぜ。あの殺された黄花ってのも、瓢箪に付き纏われてたらしいからな。ッたく。巫女のけつを追いかけてまわして、何が副長官だっての。――貧しい出の巫女たちに、金をちらつかせてよォ。やりたい放題らしいぜ」
宵の口、暗くなった境内に出て外の厠に向かうとき、理久は巫女の声を聞いた。
「こんばんは、理久殿」
見ると篝火の横に、いつも未命と一緒にいた巫女がいた。
「ああ……。こんばんは。きみは……」
「あい。
「そうか、緋奈さん。その――驚いたね。未命のこと……」
すると、緋奈は火照る黒髪を俯け、幼なげな頬を翳らせ、
「ええ。仲が良かっただけに、心配です。気になって……」
「そうか。わかるさ。でも、自分のお勤めも、しっかりとやらないとな……。詳しくはないが。巫女の勤めも、いろいろと大変だろうから」
「あい。それは、そうなのです……」
緋奈は俯いて、ため息をついた。理久は近づいて、白い小袖の肩を支えるように触れた。
「そのうち、戻ってくるさ。な?」
すると、緋奈はゆっくりと顔を上げた。
「――おありがとう、ございます」
「いいや……。俺だって、人の事を云えないけどさ。俺も困って、迷ってる。俺だって……。さ、もう早く、宿舎に戻るんだよ。雛蘇ノ宮だったな」
「左様でございます。――それでは、夜渡咤様の前に、おやすみなさいまし」
「ああ、おやすみ」
そうして緋奈は、篝火を背に受けて歩いていった。白花の甘い匂いが仄かに残った。
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