夜を越えて 5

 編笠をかむった剣士姿――未命は鬱蒼とした森の獣道を進む。旺鹿から隠れ家に戻る道中だった。


 先をゆく縫衣の着物の暗緑色が、森の色に同化しているようだ。空気が青臭く湿気も強い。


 地面には下生えが繁り、周囲には焦茶色や灰色の幹が立ち並ぶ。梢はどこまでも暗く続き、重なる枝葉の天幕は日の光を遮る。


 そんな中で前方をゆく縫衣が、ひた、と立ち止まった。どうやら、獣道が交差したところで、木こりと行き合ったようだった。


 茶色い半纏はんてんをはおり、髷頭には捻り鉢巻。腰には手斧や鉈、綱を提げている。四角い顔に髭面だ。


 その木こりは日焼け顔に、白目も露わに広げて、


「お、おお! お前さんたち……。人間か……?」


 すると縫衣が答えた。


「まあね。そのつもりだけど」


 そこで木こりはじろじろと見回してくる。


「そのは……。銀狼衆か? 瘴魔でも出たか? だいいち、お前さんたちみてえな、若えのが……」

「そんなところだよ。おじさんも、早く逃げた方がいい」


 半信半疑そうながら、木こりは周囲を見渡した。


「あ、ああ。――そりゃ、そうするぜ! じゃあな、しかと、瘴魔を仕留めてくれよ!」


 と、木こりは手のひらで額を打ち、別の道を足早に進んでいった。


 見送った後、未命は云った。


「びっくりした……」

「え、そうだね、本当。わざわざ裏道にしたのに」とは縫衣。

「気をつけようね」

「うん。行こう」


 と、また縫衣は歩き出す。



 しばらく行ったとき、がさり、と音がした。――横の茂みから。


「ん」と縫衣は立ち止まり、振り向いてきた。「何か、おかしい…………」


 そう云いかけたとき、未命は茂みから現れたを横目に捉えた。


「走って、早く!」


 縫衣の言葉に、未命は駆け出した。


 思い返すのは、二日前の夜のことだ。――白ノ宮から逃げ出して、夜の森で瘴魔たちに襲われたときのこと。


(そうだ、あの蛇! 茂みから現れて、わたしの足に絡みついてきた……。幾筋もの……。あれと同じ! 同じだ……)



「蛇だ……。縫衣さん!」

「走って!」と声が返ってくる。


 未命は息を切らせて獣道を、木立を走った。縫衣の背中を見ながら銀狼衆の、暗緑色の装束の意味を知る。――暗い森になじみすぎて、見失いそうになる。


(そうか。銀狼衆は、森の武士なんだ)


 そんなことを思いながら、駆けてゆく。背後からは、ざわざわと、土を押し退け根を軋ませる、耳障りな音が追いかけてくる。




 ◇



 白い兜と鎧の一団が、白ノ宮から旺鹿に至る街道を一列に進んでいた。岩ばった山道は木々を縫って、どこまでも続いている。


 五人の隊列の内、理久は前から四番目。背後の護杜の声がした。


「何だって俺まで……。ああ、まったくよ、たまんねえぜ。化け物の追跡なんて……」


 理久はそれを無視して山道を進む。実際に未命が猫の血を飲む場面を目撃しただけに、護杜は心底恐れているようだ。ついでまた、護杜の声。


「猫殺しに巫女殺し! 俺は嫌だぜ、こんな任務はよォ」


 そこで理久は顔を半分後ろに向けて、


「静かにしろよ。喚いても仕方ない」

「ああ? 分かってるよ。文句も云わねえと、やってらんねえだろ。――だが、まあお前は、あれか。あの巫女と、夜な夜な逢ってたみたいだなァ。まったく、お前も騙されたな。おとなしそうな、あんな巫女が、血吸いの化け物なんてよォ」

「黙れ」

「おおッ? どうした?」

「うるさい。未命……。あいつのことを、それ以上は……」

「お前、まさか……。本気で……」


 すると、護杜は静かになった。理久は舌打ちして、前に向き直った。延々と続く山道を歩いてゆく。



 森の中の岩場で休憩となった。


 守護たちは岩や根に腰を下ろし、兜を脱いで水筒を傾けた。理久が木陰の岩に座ると、護杜も前に座った。


 理久は水を飲んでから口元を手で拭った。そこで護杜が云った。珍しく真剣な眼で、


「やれるのか」


 太い眉と日焼けした髭面の中央にある、その強い眼差しに、理久はうろたえた。思わず見つめ返すのだが、何も云えなかった。護杜は続ける。


「未命を見つけたら、捕まえられるのか? 場合によっては、斬んだぞ。できるのかよ。理久」


 その言葉に、理久はあの小屋での夜を思い出す。


 囲炉裏の埋み火に赤く照らされた横顔と髪。物憂げに見つめてくる瞳。甘い肌と唾液の匂い。血の味と温もり。白い寝巻きの両胸に縫い取られた、控えめな白花の銀刺繍。


「――できるさ」


 そう云って理久は水筒を持ち上げ、もう一口水を飲む。血の味を流すように。



 中年の部隊長が立ち上がる。


「そろそろ、行くか。立て」


 その直後、横の山道から急に人影が現れた。――その男は木こりのようで、茶色い半纏を着ていた。木こりは驚いたように守護たちを見回すと、


「おお、またこれは……。遠征でごぜえますか。ご苦労なことで……」


 怯えたように頭を下げると、木こりは旺鹿への山道をゆこうとした。そこに部隊長が声をかけた。


「驚かせたな。気をつけて行け」


 すると木こりは頭を掻いて、


「ええ、こりゃあご親切にどうも。――それにしても、今日はいろいろと、妙な出会いがあるもんで」

「何? いろいろと?」

「あ、へえ。先ほど、銀狼衆のお二人が、瘴魔退治だとかで、森にいらして。へえ。それも、若え女子の武士でして」

「おい、何だと? どういうことだ?」


 部隊長は木こりへと詰め寄る。


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