きみが望むなら 7

 蝉の声が絶え間なく、森は風にざわめいている。


 翌日の日番ひばんのさなか、理久は門の外にいた。


 白漆しろうるし塗りの長柄の鉾を立て、白木の鎧姿。鉄兜は白い革を張ったもので、見た目はよいが熱がこもる。


 理久は滴る汗を感じながら、森や街道に目を向けている。


 ――とはいえ内実、目まいに襲われながらも、なんとか足を立たせていた。


(血を、与え過ぎたか……。どうにも、力が入らない)


 脳裏には未命の顔。――瞳を潤ませ、唇を血に濡らして微笑む、あの顔を思うと、体が熱くなってきて、血が巡りはじめる。するとまた、何とか足腰を張っていられるような気がするのだ。



 やがて交代の時間になり、替わりの守護がやってきた。そのとき、理久は強い目まいを覚えて、崩れ落ちた。


「おい、大丈夫かよ! 理久…………」



 理久が寝所で目覚めたときには、夕刻になっていた。重たい体を起こすと、あぐらをかいて、深いため息をついた。――それでも夜になると、未命の瞳を想い、温もりを求めるように、小屋に向かうのだった。




 ◇



 その日の夜、いつもの小屋で理久は膝立ちになり、未命の肩を抱いていた。


 未命は口の端から血を垂らし、陶然たる目付きで理久の胸元を見ていた。未命の白くはだけた胸元にまで、血の筋が伝っていた。


「もう、だめだよ……。やっぱり」


 そんな未命の声に理久は、


「え? どうした?」

「だからさ、もう。終わりにしなきゃ……」


 理久は耳を疑い、半ば声を裏返らせた。


「な、何でだよ。――どうして?」

「だ、だってさ。今日、倒れてしまったって云うから。――そんなに、顔も青いしさ」

「ああ。――そんなことは、何でもないよ。俺は、きみと逢えれば……」

「ねえ、もうさ。やめなきゃ、って考えてる。――わたしは確かに。たまらなく、理久が。理久の温もりが、欲しいけれどさ。このままじゃ……」

「何を云うんだよ。鼠の血を、また啜るって云うのか?」

「――うん。そう、かな」


 囲炉裏の火が音をたてて燃え、ぴしり、と薪を割った。火の粉が飛んで、未命の顔を照らした。伏せたまつ毛の下の、その目元には濃すぎる翳が見えた。


 未命は突如、理久の手を払って立ち上がった。


「もうさ、終わりにしなきゃ。――だめなんだよ。理久……。あなたのために……」


 未命は戸口へと駆け出した。


「ま、待てよ。待て……! 未命……」




 ◇



 次の日の日中。境内の見回りをしていた理久は、巫女たちの集団の中に、未命の姿を見た。


 いつものように視線を送る。


 ――今夜も、あそこで。


 そう目で云うのだが、未命は視線を逸らし、俯くのだった。


(くそッ。何でだよ。未命……。俺のためだって。そう云うのか。――きみは。それで耐えられるのか?)


 そう内心で叫びながら、暗い目で未命の姿を追いながら横切って、巡回を続けた。



 その日の夜も小屋に行った。


 やはり、どれほど待っても未命はやってこなかった。


 囲炉裏の火だけが燃え続け、小屋の中に陰影を踊らせた。外では夜渡吒やわたノ神が――風音が響き、森や小屋を揺すっていた。


 夜渡吒ノ神は理久を慰めようというのか。――いや、嘲笑おうというのか。


(きみが、血の渇きに耐えられるわけが、ないんだ。未命。きみは……)




 ◇



 四日後の朝、理久は守護ノ宮の寝床で目覚めた。すると、麻の着物姿の男――理久の仲間の守護が飛び込んできた。


「大変だぜ! おい!」


 何だ何だ、と男たちが体を起こしてざわめく。


「朝っぱらから、何事だ」と、理久の隣に髭面の護杜ごとがやってきた。


 すると飛び込んできた男は目を広げ、指先を朝の光が漏れる戸口に向けて、


「人死にだァ! 巫女がよお、裏通りで!」


 別の男が問いかける。


「何だと? どういうこった」

「ああ。と、とにかく。神繋かむつなぎノ宮の、裏でよお。朝になって、建物の陰に……。干からびたようになってよお」

「干からびた?」

「おお……! そうだ。血が、出てねえ。あれほど首や腕に傷があるのに。おかしいんだ。――とても、人間技じゃねえぜ! 瘴魔か、何か。とんでもねえ奴が、這入り込んできたんじゃねえか? まるで、あれだ。――夜渡吒やわたノ神! あの美男の神が巫女をたぶらかしてよお! 三日月の刃で仕留めて、血を啜ったんだ……。そうに違いねえ。おお……」


 そこへ別の男が喰いかかる。


「馬鹿を云え! よりによって、この神域に……白ノ宮に。夜渡吒だろうが、瘴魔だろうが。よそ者がやすやすと、這入り込めて、たまるけえッ!」

「ああ……。けどよ、だからこそ、俺たちが見張ってるんだろ? そういうことが、起こり得るからだ……」


 男はそこまで云うと、今しがた見てきたであろう光景を思うのか、よろめいて柱に寄りかかった。右手で左腕をきつく掴み、呟くのだった。


「おおお。武勇なる烈賀王れつがおうよ。世の浄めたる白花芽しろはなめよ。神々の主たる、日月ノ長神ひつきのながかみよ。――護りたまえ。我が、白ノ宮を…………」



 理久も兵たちに紛れて死体を見に行くと、およそ聞いたとおりになっていた。


 巫女たちは袖で口を押さえていた。叫び、泣き崩れる者もいた。


 守護たちは殺気立ち、走り回っていた。


 上位の、一位巫女や二位巫女が集まり、見たことも聞いたこともない呪や浄歌を唱えた。


 理久がはじめて見るほど、白ノ宮はざわめきだった。



 守護たちは広場に召集された。守護長官がやってきて正面に立ち、巡回の強化について語った。


「よいか、守護どもよ! 心して下手人を捕えねばならんぞ!」


 理久は整列する守護たちの中で、冷や汗を掻きながら、未命の顔を思い描いた。囲炉裏の火に照らされ、血を滴らせた怪しい横顔を。


(未命……。きみは、何をやってるんだ。きみなのか? どういうことなんだ……)


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