第2話

 親友への催促。

 私の頭を洗って。


 そんな私の言葉に親友は再び硬直した。今度は、目線を上げて、鏡越しに映る私と目が合う。

 親友は私の無表情から何かを読み取ろうとしているようだった。


 何か。何かおかしなことを言っただろうか、私は。

 親友以外にそもそも友人がいない私にとっては、常識は少なからず親友に擦り寄ってしまう。


 親友が私をお風呂に誘った。

 私は親友に昔してくれてたように頭を洗ってくれるのを待った。お願いした。


 何がおかしいのか。

 恥ずかしいという感情も無く、喜びという感情も無い私には親友が何故、そんな頬を赤くするのかが全く分からない。

 普通は、今の発言は恥ずかしいこと、なのかもしれない。


 そんなことさえ、もう私には分からなくなっていた。


 ただ、もう一度、もう一度、何度でも私は固まる親友に声をかけた。

 同じ言葉を。同じ要求を。何度も。


「あかり。私の頭洗って」

「え、で、でも」

「あかり。私の頭洗って」

「も、もうわたしたちは高校生だよ?」

「あかり。私の頭洗って」

「………」

「あかり。私の――」

「――わ、わかった!ほ、ほんとにいいんだね!?洗うよ!?洗っちゃうからね!?目とか瞑らないよ!?うなじとか後ろからがっつり見ちゃうよ!?でも仕方ないからね!ちゃんと髪とか洗うためには不可抗力なんだから!あとから怒ったりしないでね!!」


 鏡越しに私は彼女に頷いた。


 ゴクリと喉を鳴らす親友を鏡越しに観察する。

 親友はおっかなびっくりと言った様子で私に近づき、そして屈んだ。

 彼女が手を伸ばし私の髪に触れる。そのギリギリまで私は彼女を観察し続けた。


 彼女の手が私の髪に触れた瞬間、彼女が先程まで手で隠していた胸が僅かに見える。


「頭洗う時は目を閉じてて」

「………わかってる」

「ふふふっ」

「?」

「なんだか今の、前まで一緒にお風呂に入っていた時にもあった会話だな、と思って」


 確かに。覚えている。

 シャンプーが目に入らないようにって、親友はいつも私に目を閉じてと注意してから私の頭を洗っていた。


 私はそっと目を閉じた。


 親友が昔のことを思い出しながら私の頭を洗っているのか、懐かしむような、上機嫌な鼻歌が後ろから聴こえてくる。

 そんな彼女に対して、私は何も思わない。

 昔のことも無駄に思い出したりしない。思い出したところで、色づいてた思い出が褪せてしまうだけだから。


 だから、瞼の裏で写すのは、今しがた見たばかりの光景。


 親友が隠していた胸。屈んで強調された谷間。

 最後に私の目が写した、その肌色の先にある桃色。


 ……?


 私は、何も思っていない。


 お湯で泡を流されたあとはトリートメントできっちりと親友に髪を洗ってもらい、それもまたシャワーでくまなく流し落としたあと、ようやく私は目を開けた。


 瞼の裏の光景は親友の胸を写し続け、私はただひたすら何も思わずそれを見続けた。


 鏡越しに再び親友を見れば、やりきったような満足そうな表情をしている。

 どこか嬉しそう。

 昔と違って、あるいは今の私と違って彼女は表情豊かになった気がする。より一層と。


「じゃあ、わたしは待ってるから先にさきちゃんは身体も洗っちゃいな?」

「?」


 親友はシャワーから出るお湯を身体にあてながら、あたかも自分は先にお湯に浸かって待ってるみたいな言い方をしてくる。


 私は首を傾げた。


「身体も洗って」


 ただ一言。要求だけを口にした。


「えっ」


 昔はどうだったか。

 あぁ、一緒に入っていた頃の私だったら、もっと愛想良く、あざとく、可愛くおねだりをしていたのかもしれない。


 けれど、今の私はもはや表情を作ることさえも出来ない。「あざとさ」なんてものは理解出来ない類にあった。


 いや、昔の私はおねだりなんてしたこと無かった、かもしれない。


「いいの?」

「嫌じゃない」

「色々触っちゃうよ?」

「嫌じゃない」

「前は、わたしが無理やり洗わせてもらってる感じだったのに」

「………そうだったっけ」


 たしかに昔の私には恥ずかしいという感情があったんだから、自分からおねだりするはずも無い。


「ん」


 とりあえず私は昔の頃みたいに今度は鏡に背を向けた。そして後ろに立つ親友を真正面に見据えると両手を広げる。


「えっ」

「今度はなに?」

「さ、さすがに背中だけだよね?前も?」

「昔も背中だけだった?」


 親友が押し黙る。

 目が合う。

 その瞳には熱が孕んでいた。


 しばらくお互いに黙ったまま見つめ合う。

 その間、私は彼女の目を見つめながらも意識は先程見た彼女の胸に行っていた。


 先に目を逸らしたのは親友だった。

 折れたのも親友だった。


「わかったよ。もう、さきちゃん、感情は無くなっちゃったのにむしろ前よりも甘えたさんになったの?」


 くすくすと笑いながら親友はボディソープを手に取った。

 頬が赤いのは、きっとそのモジモジとした態度から何かに対する羞恥心があるのだと読み取れた。


 ボディソープを手に取りながら、モジモジとまたもや胸や陰部を隠そうとする親友。


 私はその姿をただマジマジと無表情で見つめる。


「あの、さ」

「?」

「その、身体洗うときも目を瞑っててくれないかな?」

「どうして?必要ある?」

「いやその、あんまり身体を見られるの、恥ずかしいかなぁ、って。ほら、あの頃よりも色々と、その、ね?成長して大人になってる訳だし」

「私は恥ずかしくない」

「いやそりゃ、さきちゃんは感情が……」


 が言いづらそうにまた更に頬を染める。

 私は何故か、目を瞑るという親友の要求を受け入れたくなく拒絶する理由を考えていた。


「あかりは、私に見られるのはいや?」

「うーん。その聞き方は嫌かな。逃げ道を塞ぐような聞き方は誰が相手でもあまり好きじゃないよ」

「そう。ごめん」

「うふふ。さきちゃん、感情が無くなってからは、すぐに素直に謝れるようになって偉いよね」


 それは、、、


 きっと感情が無くなったなんだと思う。

 相手を不快に思わせてしまったことへの反省をしている訳でも無いけれど、私には反抗的な感情がもう消えてしまっているからなんの抵抗もなく謝罪が出来る。

 出来てしまう。


 ただ、それだけ。


「さきちゃん、わたしは本当に恥ずかしいだけだから、今回はさきちゃんの親友のお願い、聞いてくれる?」

「………うん。わかった」

「ありがとう」

「ん。それじゃ――」

「うん。洗うね」

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