感情が消えていく私が見つけた唯一の活路
紅日もも
第1話
私がその“奇病”にかかって、一番始めに無くした感情は『楽しい』だった。
高校受験を終えて卒業式を待つのみとなった中学三年生のとき、小学一年生からの付き合いである親友とお祝い会をしていた時にふっと、その感情は消えてしまった。
直前までは楽しかった。楽しめていた。そのはずなのに。
大好きな親友とのカラオケが。いつもはもっと盛り上がり楽しかったはずのデュエットが。まったく楽しいと感じられない。
親友の態度は何も変わらなかった。
その時は私が楽しんでいるフリをしたから。
楽しくないのに楽しんでいるフリをするのは大変で、とても疲れる。
でも親友を心配させたくはなかった。私にとって親友はとても大事な存在だったから。
私のことよりも親友の感情を優先した。
次に無くした感情は『喜び』で、その次は『悲しみ』だった。
次第に大事な感情が欠落していくことに恐怖と不安を抱え、私はある日、親友にやっとの気持ちで打ち明けた。自分の感情がどんどん消えてしまっている、と。
親友に「親には言ったの?」と聞かれ、首を横に振ったとき、親友は私に怒りの感情を顕にした。
私がまだ失っていなかった感情。私にもまだ許されていた感情だ。私のためを思って怒ってくれた親友に私は形容しがたい何かを抱いたのを覚えている。それが何か分からない。
けれど、怒りに似て非なるものだった。最も近づいた言い方をすれば、それは『興奮』。のように思えた。
親友に諭されてから初めて私が抱えるこの不安を親に言う気になれた。
親にはすぐに病院へと連れていかれ、私が奇病にかかってしまっていることが判明した。
感情が徐々に消えていく奇病だ。
親がお医者さんにどうにかならないかを必死に訊ねていた。親の表情からは明確な『焦り』という感情が読み取れた。
私はそれを見て、自分がこんな状況に置かれて不安は抱えども焦っていないことに気づいた。
私はいつのまにか『焦り』も失ってしまっていたのだ。
そして病院に行き治療法が無いと分かった次の日に、私は『不安』と『恐怖』を無くした。
朝、目が覚めてすぐに気づいた。
昨夜まで抱えていたものたちが私の胸の中にいてくれない。
そんな状況でも何も思えない。
そう、不安や恐怖でもまだあった方がマシの感情だった。もはや私にあと残された感情はなんだ。パッと思いつくものと言えば『怒り』だけ。
私は他人の前で表情を作ることさえも出来なくなった。
だって、常に私の感情は『怒り』でいっぱいだったのだから。
抜けた感情の穴を埋めるように怒りは大きくなって、表情豊かと親友に言われたことのある私の表情のレパートリーは怒り一つのみとなっていた。
無愛想で、冷たい女。
親友と同じ高校に入学して、周りから見た私の印象はきっとこんな感じだ。
事情を知っている親友が隣にいてくれることが唯一の救いで、事情を知らないクラスメイトたちは私を空気のように扱った。
思いきって状況を変えようと動く気には到底なれなかった。
内心で思っていることが「何も知らないくせに」とか「私の前で笑ったりするな」なんだから、状況が変わって好転したとしても、また後ろに戻るに決まってる。
親にも過剰に八つ当たりするようになって、クラスメイトたちからは距離を置かれ、親友は私を見限って離れてしまうのではないか。
そんな不安が頭を、、、過ぎらなかった。
そんな発想にすら至らなかった。
不安はもう消えたのだから。
私が持つのは今にも爆発しそうな怒りだけなんだから。
でも何故か、その怒りの感情が親友に対してだけは抱けなかった。
親友に遊びに誘われた時も。
親友の家でお泊まりをした時も。
親友が家に遊びに来た時も。
親友の前で、私はとにかく無表情のお人形だった。親友に怒りを抱けないなら、私は親友の前で何も思うことの出来ない生きたお人形。
親友はそんな私にも「さきちゃん、さきちゃん」と名前を呼んで笑顔でいてくれる。
私は、何も思わなかった。
そうして現在、一年が経ち、高校二年生になった私と親友。
n回目のお泊まり会は親友の家で。
私は親友に「今日は親が二人ともいないんだ」と告白された。
上も下もない一人っ子の彼女が「久しぶりにお風呂、一緒に入らない?」と誘ってくる。
彼女の頬がほんのりと朱に染まっていること、それから敢えて家族がいない今日を狙って誘ったことから、彼女が高校生になって一家の浴槽に親友と二人きりでお湯に浸かることに何かしらの感情を抱いていることは理解できた。
それが理解出来たとて、何も思えなかった。
脱衣所でお互いに背を向けながら服を脱ぐ。
「先に入ってる」
「う、うん!はやいね、さきちゃん」
「そんなことない。あかりも早く来て」
先に脱ぎ終わって待つ必要性が無いと判断した私は親友にそう告げてから見慣れたお風呂場へと入室した。
シャワーで身体にお湯をあて、お風呂場にある椅子に座って親友を待つ。
さほど待たずとも親友が入ってきたのが鏡越しに分かった。
親友の肌は健康的な色をしていた。
私は周りとくらべて少し白味が強いぶん、親友の肌色は羨ましいと思った。
「あかり?どうしたの?」
親友がそこはかとなく胸や陰部を手で隠しながら、私の後ろに立ったまま固まっている。
理由を追求しようと鏡越しに彼女の表情を読み取ろうすれば、視線がだいぶ下の方で固定されていた。
「あかり??」
「も、もちっと、、、。いや、むにっと?」
「――あかり」
何やらぶつぶつと呟く親友の視線は私が座る椅子とお尻らへんを見てるように思えた。
そこから考察すると、多分彼女はその境界を、または椅子に座ったことで圧がかけられた私のお尻を見たことで何かの感情を抱いたんだと思われる。
「あ、あー!ご、ごめんね、さきちゃん!」
「……大丈夫。それより、早く洗って」
彼女が私のお尻を見て何かを感じていたことに、何も思わなかった。
それよりも、お世話好きの親友とお風呂にまだ一緒に入っていたころ、彼女は毎度私の頭や身体を洗ってくれていた。
それを思い出していた。
だから、私はもう一度あかりに催促した。
「あかり、はやく。私の頭洗って」
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