今も、昔も、大好きだったよ

佐倉

今も、昔も、大好きだったよ



―もう、なにもかも、全部、捨ててしまいたい。


全部、捨てて、遠くに逃げちゃいたい。

一年前の寒い冬の日。あの日から、わたしの日常は、苦しい。




…お母さんと、ずいぶん久しぶりに大喧嘩をした。


頭が冷えた今思えば、お母さんは悪くない。

ケンカの内容は、話す必要もないくらい、くだらない。

真冬なのに、上着も着ないで家を出てしまった。


冷たい風が、わたしの頬をなでる。


どうしよう。帰ろうにも帰れない。

お母さん、絶対、怒ってる。

ふと、空を見上げる。


どんよりとした灰色の空。

今にも雨が降ってきそうな、暗い、…まるで、わたしの心を映したかのような空模様だ。


……日も、こんな天気だったな。


脳裏にあの人の顔が浮かび、わたしはブンブンと首を横に振る。

ダメだ。考えないって決めたのに。

どうして、よりによってこんなときに、思い出しちゃうんだろう。


「……もうさいあく…」


ずるずると、その場にうずくまる。

…今の顔、ひどいだろうな。


心も体も、冷たい海に浸ったかのように凍るのを感じた。



「—あの、大丈夫ですか?」



この声…どこかで聞いたことがある。

…ああ、そうだ、あの人の声だ。

ついに、頭がおかしくなっちゃったのかもしれない。幻聴が聞こえる…。


ゆるゆると、力なく顔を上げる。


なぜだか、視界がぼやけていて、目の前がよく見えない。

目をごしごしこすり、ようやく視界がはっきりする。

「……えっ、ちょ、本当に大丈夫ですか!?なんで泣いて―」

…泣く?わたしが?

そっと頬を触ってみる。確かに、涙が伝ったような、そんな跡がある気がする。


その場にしゃがみこんで、彼はポケットからハンカチを取り出した。

見覚えのあるチェックのハンカチ。



「……快斗かいと?」



やだな、そんなわけないのに。

名前を呼んだって、来てくれるはずない。

知らない人の前で、名前を呼んだって、迷惑なだけだ。

ハンカチを差し出そうとしてくれたのか、その手がピクリと止まる。


「もしかして…亜美?」


「………え?」


自分の下の名前を呼ばれて、わたしは目を丸くして、しっかりと、顔を上げた。

そこには―もう、忘れようとしていた顔が、あって。


♢♢♢


わたしが薄着なのに気が付いて、自分の上着を脱いで、わたしに貸してくれた。

断ろうと思ったけども、大きなくしゃみが飛び出してしまい、仕方なく借りることにした。


場所を移動することもなく、わたしの隣に腰かけた、快斗。


一年前、別れた、元カレだ。

今、一番会いたくなかった人。どうしてこんな時に限って。


快斗は元カノとかそんなの気にしていないのか、近くの自販機でおしるこを買ってきた。


「はい、おしるこ。好きだったろ?」

「……うん」


…わたしがおしるこ好きだったの、まだ覚えてるんだ。

もう忘れてるかと思ってたのに。

プルタブを開けて、ふぅふぅと息を吹きかけながら、口をつける。

冷たい体に、あたたかいおしるこがじーんと染み渡り、連続で、一口、二口と飲んでしまう。

その様子を見ていたのか、快斗が苦笑した。


「はは、なんか全然変わってないな」

「…うるさい」

「うわ、それ一年前も言われた…」


…快斗自身、一年前と、全然変わってない。

笑う姿も、こうやって、おしるこかなにかを買ってきてくれるとこも。

…快斗の口から飛び出した、一年前という言葉。

快斗は、全然、気にしてないみたいだけど。

ズキン、と心臓が痛む。


…彼は、どうして別れようなんて言ったのかな。


どうして、あの日、泣きながら別れを告げたのかな。

わたしのどこが嫌いになったのかな。

そう思い始めると、とめどなく思いがあふれてゆく。

ぐちゃっ、と視界が歪んだ。

ぽたり、と涙のツブが落っこちて、アスファルトの地面にシミを作る。

それに気が付いた快斗が、ぎょっと驚く。


「え、急に泣き出して…どうし」

「ねえ快斗、」


わたしは立ち上がり、快斗の目をまっすぐ見つめた。

もう、やり直しは不可能だ。

けど、これだけは―。




「…わたしはっ、昔、今、っ大好きだった」




わたしは、もう諦めなくちゃならない。

おしるこの入った缶が音を立てて倒れ、中身がどろりと流れ出す。


「好きな人…別にいるんだよね?」

わたしは、へにゃっと笑って見せる。

酷い顔だろうけど、必死に笑う。

快斗が何か言いたそうにノドを動かす。

それを見て、わたしははじかれたようにその場を駆け出した。


快斗が、後ろでなにかを叫ぶ。


けど、わたしはそれを無視して、走って走って、ひたすら走った。

気が付けば、家の近くの公園にいた。

息も、胸も苦しい。

胸がいっぱいになって、視界が一気に、ぐちゃりとぼやける。


…わたしは、いつもロケットペンダントを身に着けている。


快斗とわたしのツーショットが入ったものだ。

けど、これも捨てなくちゃ―。


その場にヒザから崩れ落ち、ロケットペンダントを両手に包む。


「うっ…うぇ…」


苦い苦い失恋の味がよみがえる。

嗚咽のような泣き声が、歯のスキマから漏れる。

わたしは、彼を忘れるように、声を押し殺して泣いた。

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今も、昔も、大好きだったよ 佐倉 @okome914

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