第7話 水野ゆず
そして現在、三階にある空き教室で、僕はぽつんと立ち尽くしていた。
「じゃあ、呼んでくるから。ちょっと待ってて」
例の後輩を連れて来るため、椎名は離席している。
話によると、その後輩は椎名が所属する女子テニス部の後輩らしい。
僕たち二年生の後輩、ということは一年生だ。
新入生の入学式から一ヶ月以上経つが、帰宅部の僕にとって一年生と関わる機会なんて万に一つもない。そんな僕が頼れる先輩として役に立てるとは到底思えなかった。
そもそも、その後輩はいいのだろうか。
部活動の先輩ならともかく、初対面の先輩、それも異性の先輩にいきなり相談って滅茶苦茶ハードルが高くないか。
もし僕がその立場だったらどうだろう。
初対面かつ異性の先輩に僕が相談をする訳だ。
僕の心の穴を埋めてくれませんか?
無理だ。きもすぎる。一種の罰ゲームだろ。
でも要は、これが答えだ。
よくよく考えてみたら、すぐに分かることだった。後輩側も先輩側も、互いにどう接するべきか苦労するに決まっている。
相談に乗ったらアウト。だから今帰れば、まだ間に合うかもしれない。
教室のドアに手を掛けたところ、力を加えずとも勝手に扉が開いた。
視界に、椎名が現れる。
こういうときも椎名はしっかり目を合わせようとしてくるから、咄嗟に視線を逸らした。
「逃げようとしたんだ?」
「…………I’m sorry」
「私と話すときは第一声を必ず英語にしなきゃいけない縛りでもあるの?」
椎名は特に怒っているようには見えなかった。
しかし約束を破ろうとしたのは事実なので、その後に流暢な日本語でちゃんと謝罪した。
「それで、肝心の後輩は?」
「ゆずちゃんね。日直らしくて、もう少ししたら来るって言ってた」
後輩の名は、ゆずというらしい。
当然のことだけど、名前を聞いても誰かさっぱり分からなかった。男女関係なく、この学校の後輩を僕は一人も知らない。
やがて、ドタドタという足音が教室に近づいてきた。
「すみません! お待たせしましたぁ!」
いや、知ってたわ。
教室に勢いよく出現した人物は、ここ最近、駿矢を廊下から見つめている茶髪の女子生徒だった。
「一年二組の水野ゆずです! 今回は三島先輩に折り入ってお願いしたいことがあります!」
水野の声を聞くのは初めてで、想像よりも声量の大きいパワフルな人間だと知った。
それから、ぴしっとした九十度の精密なお辞儀をされて軽く後退りする。この学校のテニス部って、こんな熱血体育会系だったのかよ。
僕の名前をなぜ知っているのか
「三島先輩と同じクラスの、駿矢先輩のことでご相談がありまして」
まぁ、水野の一週間の行動を鑑みれば、そうだろうなとは思った。
「実は先々週、しつこいナンパに絡まれてたところを駿矢先輩が助けてくれたんです」
…………電話で言ってたあれ、マジだったのか。
呆然とする僕の隣で「すごいよね、少女漫画みたい!」と椎名が小刻みに拍手していた。
「そのときはお礼も言えなくて、名前とか学校とかも聞けずに逃げられちゃったんですけど、先週先輩たちの教室の前を偶然通りかかったときに、あのとき助けてくれた駿矢先輩がいたんです!」
隣から「きゃーっ、運命的っ」と小さな叫び。うるさいな。
「それで同じクラスの
水野は抑揚をつけた話し方をする。
椎名にも言えることだけど、普段から人と話をしているのがよく分かる上手な喋り方だ。
「まずはちゃんとお礼がしたいので、駿矢先輩と仲の良い三島先輩を、梓桜先輩に紹介してもらった、って感じです!」
「ねっ。いとこの三島くんが一番適任でしょ」
「あのなぁ、仲は良くないって否定しただろ」
「じゃあ悪いの?」「悪いんですか!?」
「いや、悪くは、ないけど、さ」
僕は椎名や水野と違う。
日頃から人と話すことが少ない人間だ。
つまりは会話のリスポンスに慣れていなくて、二人に詰め寄られると返す言葉の選択に困惑する。
こんな分の悪い環境に身を置いてしまったことを後悔した。
もう逃げられない。仕方なく協力するしか、道はないのかもしれない。
どうせ、駿矢へのお礼に何がいいかを答えるだけ。駿矢の好きなものでも言えば終わり。
いやでも、あれ? 駿矢って何が好きなんだ?
駿矢はずっと、百合恵さん以外に興味がなかったんじゃないか。
じゃあ、これもう詰んでないか。
頭の中で色々と考えていたら思考することに疲れてきて、僕はその場しのぎをすることにした。
「分かった。とりあえずだけど、僕は駿矢へのお礼の品を考えればいいんだな。今は思い付かないけど、何かいいものを考えておくよ」
一旦、保留しておく。
承諾は一応したから許してもらえるかと思ったが、水野は不満そうにかぶりを振る。
「違います。まずはって言ったじゃないですか。お礼は絶対にするって決めてて、その後は彼女になりたいです。どうしたら駿矢先輩と付き合えるか教えてください」
「……椎名、僕はこの件を降りるよ。あとは任せた」
「えっ、置いてかないで! 私もお礼の件しか聞いてなかったから今びっくりしてるの!」
珍しく椎名がテンパった。
そして問題の発起人である水野はというと、何やら自慢げな表情をしている。
この後輩、たくましすぎるだろ。
まるで別世界の人間。
僕が人生何周しても、こうはなれないと思った。
「もちろん、無理に協力して頂かなくても大丈夫です。手伝ってくれたら嬉しいなってだけで。私、駿矢先輩のことが好きで好きで仕方ないんです!」
比喩とかじゃなく、本当に水野が輝いて見えた。
中学時代、高校生になれば青春という二文字が勝手に降ってくるように思ったこともある。
けど、違った。青春を謳歌するためには、こういう心意義が必要なのかもしれない。
最近の若い子はすごいな。
年一つしか違わないけど。
そんな風に感心していたら、椎名が一歩、水野に歩み寄った。
「それなら、分かったよ。もし私にできることがあったら何でも言ってね」
椎名が水野の手を包みこむようにぎゅっと握る。
一方の僕はというと、少し引いた。
分かった、じゃないんだよ。
言葉にしっかり責任を持て。
すると突然、手を繋いでいた二人が、同時にチラリとこちらを見やる。まるで「三島くんは?」とでも言いたげに。
詰め寄るように見るのをやめろ。
何か、返す言葉を、考えなきゃいけないだろ。
頭がごちゃごちゃに整理されていない状態で、僕は口を開いてしまった。
「最低限の、ことなら、まぁ」
一番の馬鹿は僕だった。
頭を抱えた僕をそっちのけに、二人はイエーイとハイタッチしていた。
このあと部活動があるらしく、今回はここで解散となった。
半ば強制的に連絡先を交換されて、本格的に逃げ場を失った気がした。
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