第4話 八木駿矢



 

 翌日の朝、学校に着くといつもなら誰も座らない空白の席に、確かに駿矢は座っていた。クラスメイトたちはチラチラと駿矢の様子を窺いながら、声を潜めて会話をしている。


 クラスメイトに僕と駿矢の関係性を知っている者はいない。今この教室で最も注目を集めている駿矢に、できることなら関わりたくなかった。


 頼むから、話しかけて来ないでくれ。


 座った状態のまま、駿矢が片手を上げてこちらに呼びかける。



「よう、春人って学校来るの割と遅いんだな」



 3秒前に抱いた期待はあっけなく散り、諦めて駿矢の相手をすることにした。


 僕が机の上に荷物を下ろすと、駿矢は席から立ち上がってこちらの席へと向かってきた。立ち上がってしまうと高身長な駿矢はさらに目立ってしまう。



「遅くはないし、別に普通だよ。逆に駿矢の方こそ、学校に来るとしても遅刻して来ると思ってたから意外だった」


「言っただろ。最近の俺、真面目だから」



 こうなるだろうと分かってはいたけど、周囲から嫌な視線をちらほらと感じる。


 あいつらって仲良かったの? という小さな声が背中から聞こえた。



「駿矢のせいで、変な注目浴びてるんだけど」


「そりゃあ、どういたしまして」


「いや感謝してないし迷惑だよ」


「……そういうことは普通なら思っても言わないんだけどな。ま、春人らしいからいいか」



 駿矢はあまり大きく口角を上げずに口元だけで控えめに笑う。子どものときからずっと、駿矢はそういう笑い方をした。



「まぁ、安心しろ。今は悪目立ちだろうけど、すぐに良い意味で目立つようにするから」



 これも小さい頃から一緒にいたから分かる。明らかに何かを企んでいる目だ。


 幼少期、この目をした駿矢に幾度となくいたずらを仕掛けられ、喧嘩をした記憶がある。


 学校に来てから突然何をしでかす気でいるのかは予想つかないけど、僕の平穏な日常が脅かされそうな予感がした。


 それから、駿矢は妙な言葉を付け加えた。



「その代わり、春人は俺を見て嫌な気分になるだろうけどな」


「……勝手にしてくれ」


 変。今日の駿矢は、変だ。


 百合恵さんが亡くなって落ち込んでいたけど前向きに戻れた、とかじゃない。


 いつもの駿矢とところどころ噛み合わない。そもそも最初に話しかけてきたところからまずおかしい。駿矢は大した用もなしに朝からいきなり話しかけてくるような奴じゃない。


 なんというか誰かが駿矢の着ぐるみを着て、駿矢になりすましているような心持ちの悪い違和感があった。


 しかし、自由人の思考を読み解こうとしても仕方がない。もしかしたら僕と同じように空いている心の穴を、必死に埋めようとして無理に振る舞っていたりするのかもしれない。というような考えで、自分を納得させることにした。


 それと、これは個人的なことだが、駿矢との関わり合いは厄介だと気付いた。


 きっと三人でいた思い出が多かったからだろう。駿矢といると、どうしても百合恵さんのことを思い出してしまうのだ。またズキリ、と空いた穴から痛みが生じた。


 窓側にいた駿矢を視界から消し去るために、首を回して教室の入口の方を見やると、一人の女子と一瞬だけ目があった。


 背が低く、映えた茶髪が肩までかかっている。


 僕は全然知らない生徒だけど、この教室の誰かに用があるのかもしれない。


 しかしその女子生徒は、教室に入ったり誰かに声をかけたりすることもなく、ただ口を少し開いた状態でじっと教室の中を見ていた。





 ようやく、午前最後の授業終了を告げるチャイムが鳴った。


 一人の人間のせいで、とても長く感じる午前だったことは間違いない。


 僕は混乱していた。

 そして僕だけじゃなく、教室内の人たちもまた混乱していた。


 クラス内に変わったやつが加わったからだ。


 授業中、背筋をピンと伸ばしながら先生の話に熱心に耳を傾けている生徒が現れた。普段はいないはずの存在に先生は戸惑いつつも、その生徒に問題を解答するよう促すと彼はいとも容易く問題に答える。


 休み時間になるとその存在は誰彼構わず話しかけにいき「趣味とかあるの?」とアイスブレイクをしていた。


 突如クラスに現れた謎の人物。

 それは当然、駿矢のことである。


 おそらく、気が狂ってしまったのかもしれない。


 僕以外の人からすれば、不安視される噂はあれどこれまで不登校だった奴が実は陽気な人だった、ぐらいに収まるのかもしれない。


 けれど今まで親交のあった僕に言わしてみれば、もはや別人だ。誰だよ、お前。


 駿矢はそういう人間じゃない。


 悪口みたいになるけど、事実として駿矢は本来もっと冷たい性格の持ち主だ。


 大抵のことに興味関心を示さないし、中学生の時なんてクラスメイト全員を見下していたような奴である。


 面倒くさい、ダルい、つまらないが口癖だったのに、今は男女5人組のグループに混ざって会話をしている。


 今までに見たことがないニコニコとした笑顔で


「そのバンド、俺も知ってる! ライブは行ったことなくてさ、一度行ってみたいと思ってたんだ!」


 本当に誰なんだよ。怖いって。


 いつもはキリリとした横長な目が威圧感を放っているのに、今に至っては普段なら絶対にしない口角の上げ方とも相まって、その瞳が親しみのある柔らかな丸形に錯覚して見える。


 ホラーじみた展開に戸惑いつつも、さっき駿矢が伝えたことの意味を理解した。


 僕が嫌な気分になる、と駿矢は言っていたけどその理由に納得した。


 駿矢が別人のようで恐怖したからじゃない。

 僕は取り繕った人間が大嫌いだ、と中学生のときに伝えたことがあったからだ。


 ただしそれは昔の話であって、今はそんな風に思っていない。現在の僕は取り繕う人間を蔑んだり、否定したりするつもりはない。交流を持つ上で時に必要なスキルだと理解もしている。


 あくまで僕が絶対にそうしないと決めただけで、他の人にまで強制させるつもりはない。


 そのような意識の変化を駿矢に伝えていなかった僕も悪いが、駿矢も随分とおかしなことをしている。


 駿矢は僕が取り繕う人間を嫌っていると考えているのに、今こうして自身を偽りながらクラスメイトたちの輪に溶け込もうとしている。


 だから僕に対して忠告をしたのだろうけど、そこまでして一体何がしたいのか分からなかった。


 友達を増やすため?


 不登校だった期間を取り戻し、今から高校生活を謳歌するため?


 そうだとしたら駿矢らしくはないと思った。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る