第6話 大好きだった人‥裏切り
仕事の関係で知り合った、
"一人の男"がいる。
その男はずっと昔、
まだワタシが子供だった頃から
その名をどこかで、聞いていた。
聞き覚えのある名前だった。
仕事先で
その名前を聞いて
ああ、あの
あの人だと思った。
ワタシの父親のような年齢の、
だけど
すらっとしたその姿
その優しい眼差し、薄い唇、
"国宝級"美男子、いい男、イケメン、
こんな年齢になっても
こんな褒められ方をされるような、
男だった。
あなたのことは、
知る人ぞ知るという
名の知れた男だった。
だけど、ワタシは最初、
彼に興味は無かった。
さすが〜
"ゲイノージン"は、実際に見ると素敵なんだな〜
紳士的だし、若い頃はモテただろうな
くらいにしか思っていなかった。
年齢的にワタシとは親子ほど違い、
娘と同じ年齢のようだし
恋愛対象としては高齢過ぎるし、
普通に考えたら、あり得ない。
ただの、
身近にいる有名人に過ぎなかった。
ワタシは、
彼の妻とも親しかった。
仕事を通してだったが、
信頼して、信頼されて
色々なことを話して
笑ったり、相談したりされたり。
ワタシは
彼の妻のことも
好きだった。
あなたがワタシに
興味を持っていることは、
その態度で
容易にわかった。
わからないふりをしてきたけれど
わかるように、
接近してきていた。
彼はどういうつもりで
ワタシに手を出してきたのだろう。
最初に見たときから
いいなと思ってたんや。
ワタシのことをあなたは
「綺麗やねん」
と言って
好きやねんと、手を握りしめてきた。
紳士的なんてイメージ
勝手にまわりがそう言っているだけや。
俺だって普通の男や。
伝統的な、由緒ある家に生まれ
その名を受け継ぎ
芸を伝える立ち場のあなたは
籠の鳥のように
妻に囲われて、自由を失い
全てをお膳立てされるような人
そして
ファンに夢を与える立ち場のあなたは‥
恋愛も、
ひとを好きになるということも
もう
諦めることが当たり前のような、
そんな年齢のあなたが
空気のような存在の妻には飽き足らず
新鮮さや、ときめきや、胸の高鳴りを
"女"
ほかのオンナに求めていた。
それを求めているように見えた。
そしてその年齢でも
彼は"男"だった。
妻は妻で大切なくせに。
あなたはずるい。
妻という絶対的なものを持っているのに。
そしてあなたが何もしなくても
そこにいるだけで、
まわりから女は面白いくらいに
寄ってくる。
美味しいところ取りも大いにできるのに
何をワタシに求めたというのか。
「綺麗な人はたくさんいるのに、
なぜワタシなの?」
あなたが「欲しているもの」を
ワタシに求めたのなら。
それに"応えようと"
思っていたのに。
自惚れていた。
テレビや雑誌で見るような立ち場の、
本当なら手も届かないところにいるはずの
あなたが
こんな「ワタシ」を必要としている。
好きだと言われ、熱い眼差しで欲され。
何度、抱きしめられたことだろう。
何百、何千というファンがいるあなたと
あなたとワタシが今
キスをしている。
抱きしめられている。
ワタシはあなたのために
いや、ワタシのためだけに。
誰にも負けたくないと思った。
触られた時、
がっかりされたくなかったのだ。
ワタシは、
脂肪吸引豊胸手術までしたのだ。
美容系のメンテナンスと嘘をついて。
頑張って働いた貯金をそれに充てた。
200万円もの金を、
豊胸手術にかけた。
80歳という年齢は
ワタシの中に入ることは出来なかった。
「もう出来ないんや」と、
あなたは目を逸らした。
ワタシと‥
したかったんだろうな
‥とワタシは悲しくなった。
あなたは兄の死を悲しんで
ワタシを抱きしめ、
ワタシの胸で涙を流した。
長い時間、抱き合って
あなたは泣いた。
2人だけの朝の時間。
とても楽しかった。
あなたは隣の部屋で寝る妻がいるのに
毎日ワタシを抱きしめた。
あなたは細い身体なのに、
とても体温が熱くてそれが伝わってきて
ワタシはいつも汗ばんだ。
あなたが死ぬまで
ずっとそばにいようと思っていた。
妻や家族と団欒するあなたを見て
ワタシはここで何をしているんだろうと、
バカバカしくなり
やるせなくなり、
それを目の前で見せるあなたの、
無神経さや気持ちを疑い
何度も別れを告げて
あなたの気持ちを試した。
家族団欒をこっそり抜け出して
ワタシの元へ抱きしめに来るアナタの手を
振り払った。
その振り払った手をきつく引き戻されて
もっと強く抱きしめられるように。
手に入れること振り向かせる快感を
男の本能的に求めていたのだろう。
後になって、
そう感じた。
恋愛が始まる前のときめきとか、
そういう感覚に
喜びや楽しみを見出していた
‥だったのだろうと
後になって、ワタシに興味が薄れた頃、
一人であなたを解読した。
それならば、
ずっと手に入れられないワタシでいて
その曖昧な関係を、
駆け引きを、
ずっと楽しめば良かった。
ワタシは"簡単"だった
簡単なオンナ、過ぎた。
栄介に傷付けられた心の傷
必要だった心の拠り所
離婚裁判が長期間して
栄介の存在すら忘れ去るほど
あなたのような存在を
ワタシは、欲していた。
あっさりと
ごく簡単に。
悪い男の誘惑に負け
するりとワタシのこころに潜りこんできた。
最初はこちらに向けられる、
興味を惹きつけることで
あなたより"上"にいたはずだったのに
いつのまにか
あなたを欲する私に、
立ち場が逆転していた。
あなたのようなスターは
ワタシのような女がいること
当たり前だった?
芸の肥やしとやらは必要なもの?
あまりにも存在を軽んじられているような
必要とされていないような、
飽きられたような、
そんな気がして。
あんなに送られてきていたLINEが
こちらからのものにしか
返事はなくなり
ワタシに送られてこないLINEが
妻には届いていることが
どうしても悔しくて
それがただの連絡事項だとしても
どうしても耐えられなかった。
わざとに何度も駆け引きをして
あなたに引き留められるように
別れたい
妻がいるでしょうと
思ってもいないことを口にした
あなたがワタシを引き留めことを
期待して
それをわかっていて。
あなたはずっとワタシを
引き留めてくれた。
必要としてくれた。
でも
「何も言えん。この立ち場では」
と言われた。
ワタシが何度も
あなたの気持ちを確かめようとして
何度も試したのが‥
だめだったの?
それが悪かったの?
今でもわからない。
あなたが
週刊紙に載ることを
他の女と密会していたことを
知った時
どうして
私とじゃないんだろうって。
悔しくて情けなくて
本当に苦しかった。
誰かに促されるまで
ワタシの存在なんて忘れていたかのように
自分の置かれた立ち場と、世間体に
言われたから、
言い訳したの?
週刊誌の内容は嘘も多く
たぶん嵌められたのだろう言っていた。
だが、
ワタシはそれを全て
読むことができなかった。
どうしても。
あなたは
その女のことを
遊びの、風俗のようなもんだ
と、言った。
嵌められた、騙されたと。
ワタシの存在感とは全く別物だと
あんなもの、と。
それを聞いて
嬉しかった‥
確かに嬉しかったのだ。
でも
あの時あなたは
あの女と
ワタシと顔を合わせながら
あなたはあの女と連絡を取り合い
そういう時、
あなたはワタシのことを
どう見ていたの?
どう思っていたの?
惨めで、情けなくて
自分の存在を消してしまいたかった。
逃げ出してしまいたかった。
落ち込んで
泣いて
体調を崩したあなたの妻の
一番近くにいて
そして
あなたの妻を励ましたのは
このワタシで。
心の中で葛藤して
もうなにがどうなっているのか
仕事も普通にしなければならないし、
落ち込んでいるところも見せずに
普通の顔で
尋常でない精神状態で
いなければならなかった。
あのときの自分は、
何をどう、していたのか
思い出せないほどただ。
ワタシは
何をしているんだろう?
こんな辛くて、悲しくて、
こんなにも過酷な状況に
自分を置いて。
仕事を辞めたいと
何度も言った。
本当は辞めたくなんて
なかった。
本当に大切な仕事で
本当は辞めたくなんてなかった。
離れたくなんて
本当は、なかったのに。
だけど
辞めると言えば
きっと
あなたは引き留めてくれる
そういうやり取りを期待して。
でもこれだけは‥
この週刊誌沙汰は
どうしても許せなかった。
こんなにも惨めで、情けなくて、
どうしてこんなことが、
起こるんだろう。
何度もあなたは
ワタシに謝罪して
涙も見せた
妻にも見せなかったのに。
最初はあなたを励まして、
ワタシがいると言った。
どうしてそこまでも
善人面をしなければならないんだろう?
裏切られたのに。
でも支えているのは自分だと、
そんな時でもバカなワタシがいた。
あなたはワタシに救われたと
言ってくれたけれど。
だけど
だけど‥
どうしてもワタシはあなたを許せなくて
相手の女を貶し、
あなたを強く責めた。
いつまで経っても
機嫌の悪く、寝込む妻に
あなたは反省の色を見せたのか、
本当に自分勝手に、
寺の修行僧のように
もう色事はまっぴらとでも言いたげに
何も感じさせることのない態度で
ワタシにまで
"他人"のように
振る舞うようになっていた。
とても自分勝手な人
ズルくて
本当にズルい男で。
だけど
あなたが築いた、その"立ち場"は
崩れることも無く
何も無かったように
"安泰で"いた。
ファンが離れなくて良かったと
満席だとほっとしているのを見て
それを妻に話しているのを聞いた。
本当に‥
自分勝手な、狡い男。
ワタシがあなたがいる此処から
離れたら‥
そうしたら
あなたはきっと。
あなたが心の底で
ワタシのことを
本当はどう思っていたのかは
わからない。
寂しかったのか‥
本当にワタシを必要としていたのか、
ただの遊びだったのか。
ワタシは仕事も男も失った。
仕事を辞めて
あなたから離れて
あと数ヶ月で、
二年が経とうとしている。
あなたはきっと
ワタシのことを思い出すことも
無いのでしょうね。
そういう人だもの。
この2年間
本当に辛かった。
自分から離れて、去ったはずなのに
頭からあなたのこと
毎日離れなかった。
朝起きて、
理由も無く気分が沈む。
沈んで、浮かんでくることは無い。
あなたに会えないことが、
こんなに苦しいなんて 思いもしなかった。
会えないのに、
今頃、何をしている時間だと頭から離れない。
5年近く毎日一緒に過ごしたから
染み付いてしまっていたあなたとの、
色々なことが、全てが。
それが抜けるまで、
本当に毎日、地獄だった。
今でも胸がぎゅうっと苦しくなる。
大好きだった。
それに嘘はなかった。
離れて、
尚更そんなことに気が付くなんて。
ネットやテレビでは
あなたの"ワード"が目に入らないように
極力、避けた。
ネットのニュースも、テレビ欄も。
貼ってあるポスターも目に入らないように。
でもふとした拍子に
目に入ってくるあなたの名前
それはまだ
繋がっているから‥
などと期待なんて
あなたが"いる"はずの駅のアナウンス
この改札を出てエスカレーターに乗れば、
今月はあなたがいるかもしれない。
調べたらそんなことすぐにわかるけど
敢えて、見ないようにしている。
この駅で降りる人を見て、
もしかしたらあなたを観に行くのかと。
今日はそこにいるのかもしれないと、
どうしてもまだ気になるけれど。
そして今日雑誌の広告で
あなたを見た
まだお元気で頑張ってるのね
という、気持ちと
早く一線から引けばいいのに
という気持ちが入り乱れて。
自分だけがまた、
貧乏くじを引いたような
気持ちになる。
だけどその傷は
少しずつでも癒えているようで
引き摺りかたも楽になったようだ。
LINEも繋がっていたままだと、
なにかを期待してしまう。
届かないLINEを待つ苦しさ
来るかもしれない時間帯に
落胆のため息にも
朝、目覚めて見る何も無い画面も
いいかげんにもう、疲れてしまった。
だから
全てを断絶した。
あなたと繋がるすべてを
繋がらないことが
こんなに楽だったなんて‥
最後にあなたにLINEしたのは
去年のあなたの誕生日
まるで他人のように。
そして
それから一年経とうとしている。
大好きだったんだなあ。
あなたみたいな人と付き合ったから、
今では
周りにいる男が皆、
見劣りして
男に興味も無くなった。
ワタシはあなたのせいで、
全て失って
また
やり直さなければならなくなった。
だけど
心のどこかでまだ‥
あなたを。
栄介との離婚裁判にも
目処が立ち
心の整理がついた昨年末、
あることを思いついた。
あなたと抱き合う写真を
差出人無記名で、
週刊誌宛に送った。
ワタシの名前は書かずに。
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