第12話 やっぱりかわいそかわいい

 京子はバッキバキに充血した目を見開いて、僕の両肩をつかんできた。


「私には、あなたの言っていることが、理解出来ないの……」

「え? い、いや、理解も何も、言ってるままのことで……華乃さんは、実際……」

「いいえ。あなたがどう感じていようと、それは浮気ではないの……誰がどう見ても、白石華乃はあなたの恋人として完璧な存在なの……あなたをからかったりしているのであれば私も身を挺してあなたを守るけれど、彼女はただただあなたを男として立てているだけなの……毒馴染みの私なんかに口出し出来ることは何もないの……」

「は……?」


 かすれる声で訴えてくる京子。さっきと言ってることが正反対になってる。ツッヤツヤだった肌から潤いが失われている気がする。


「い、いや、なにを言ってるんだい、京子。君だってその目で見たはずだ。華乃さんは他の男を、あの郷土豪樹とかいう不良を、からかいまくってるんだぞ!?」

「知らないわよ、そんなの……赤の他人が誰に貶められようが関係ないじゃない……だいたい今時、不良なんて揶揄される対象になっても仕方ないもの……」

「は……はぁ?」


 マジで何を言ってるんだ、京子まで。華乃さんは、そんな不良男子と「からかい」しちゃってるんだぞ!? 僕というものがありながら……う、浮気セックスしてるんだ!!


 ダメだ、やっぱり言語化してしまうと、吐き気が……! 言語化クソすぎる。言語化死ね。


「あ、あはは……もしかして、また橘さんが何か勘違いして、一太に変なこと吹き込んじゃったってことなのかな?」

「えっ」


 さっきから「え」「え」言いまくってるのは僕だが、この呆けた「えっ」は京子から漏れ出たものだ。十日前までの凜とした京子からは絶対出るはずのない、間抜けな音だった。


 一方の華乃さんは、一見優しげな、だけど少し気まずげな、ちょっと呆れたような、そして微かに憤りが含まれたような、複雑な苦笑を浮かべ、


「うん、わかってるよ? 一太のためを思っての行動だったんだよね? でも、ちょっと、わたしに対する偏見が行きすぎちゃってるのかな? さすがに、浮気がどうだとかはさ、一線越えちゃってて、笑って流したりできないかなーって。橘さん、一太を独り占めしたいがために、変なバイアスがかかっちゃってるとゆーか、些細なことを、自分に都合の良いように考えちゃうようになってるんじゃない?」

「バリボリ」

「何でいまお菓子を食べ始めるの? 橘さんの方からわたしを呼び出したのに、そうやっていろんなことから逃げるのやめた方がいいよ」

「バリ……ボリ……」

「ねぇ、橘さん。自分に都合の良いようにって、さっきわたし言ったけどさ。具体的にどんなことが橘さんにとって都合が良いことなのか、わかる? わかるはずだよね、自分のことだもん」

「もぐもぐ」

「わからないなら、わたしから言ってあげるけどさ。橘さんは一太を昔の、子どものころの一太のまま、自分に縛りつけておきたいんだよね? 成長した一太が自分を必要としなくなって、自分を置いてけぼりにしてくのが怖くて仕方ないんだよね。『京子がいなきゃ何もできない』って一太を洗脳してきたんだよね。でもさ、一太はとっくに一人の立派な大人の男性になってるんだよ? わたしの大好きな彼氏なの。その事実を見ないフリして、『この子には私がいなきゃダメ』って自分に言い聞かせて……ホントのところ、ずっと一太に依存してきたのは、橘さんの方なんだよね?」

「ごくん……え、あれ……? ない……バリボリが、なくなっちゃった……ど、どうしよう……一太……! バリボリがないと私、体の震えが止まらなくなっちゃうの……!」

「落ち着いて、橘さん。橘さんはきっと、一太に必要とされなくなった孤独感を、そのチョコレートで埋めているだけなの。そーゆーの、代償行動って言うみたい。スポーツとかに昇華できるんならいいけど……そーいえば橘さん最近、ずっとそのチョコレート食べてるよね。しかもカロリー補給が目的というより、大きな音を立てて噛み砕くことが目的になってないかな? 授業中にも注意されてたよね? 不健全で不健康なのは、良くないと思うの」

「かはっ……!」


 京子が久しぶりに血を吐いた。ブラックサンダーを探そうと、僕に縋り付いてポケットなどを必死でまさぐっている最中だったので、僕のワイシャツに思いっきり血がぶっかかった。ドス黒かった。


 しかし、今の僕はそんな京子に声をかけてやることもできない。こいつと同じように、いや、それ以上のダメージを、僕も受けていたからだ。とりあえずアプリでタクシーだけ呼んだ。


「大丈夫、安心して、橘さん。優しい一太は、大切な幼なじみさんを置いていったりなんてしないから。橘さんは、ずっとずっと一太の大事な幼なじみさんだから」


 崩れ落ちていた京子に寄り添い、背中をナデナデしてあげる華乃さん。その顔にはもはや敵意も憤りもまるでなく、ただただ深い同情心だけが溢れていた。


「白石、さん……わ、私……っ」

「しっかりカウンセリング受けて、克服しようね、橘さん。そうじゃなきゃ、わたしたちだって困るもん。友人代表の挨拶は、橘さんにお願いしたいなーって思ってるから。頑張ろうね、橘さんっ!」

「かっは……ッ!」


 ローファーまで幼なじみの胃から出た血で染まってしまったが、そんなことに気を留めている余裕もない。


 僕は、大きなショックを受けていた。華乃さんが浮気をしていた――もちろん最初のショックはそれだ。

 でも、こうやって彼女とのやり取りを通じて、自分が大きな間違いを犯していることに気づいたのだ。


 華乃さんは自分の不貞を、不貞だとも思っていなかった。僕たちにとっての「からかい」の重要性を彼女が理解していないはずなんて、なかったのにもかかわらず。


 では、この認識の齟齬は一体どこから生まれてしまったのか……そんなのは決まっている。初めから僕は、そこに思い当たるべきだった。


 だって、華乃さんが自らの意志で、僕を裏切ったりするわけがないのだから!


 つまり、黒幕がいる。華乃さんをたぶらかした、本当の犯人がいる。

 そして、それはもちろん、華乃さんに浮気をさせて得をする人物――つまり、間男――郷土豪樹しかいないのだ。


 華乃さんは、何も悪くなかった。被害者だった。そうに決まってる。


 それなのに僕は、華乃さんを疑って、彼女を責め立てるような真似を……! 僕は、華乃さんのたった一人の恋人だというのに……!

 最低だ。最低最悪のゴミ彼氏だ。そんな自分の最低さにようやく気づき、僕はショックを受けたのだった。


 だけど、もう気づいた。やるべきことにやっと真っ直ぐ向き合えた。

 僕がやらなきゃいけないのは――華乃さんを騙し、華乃さんを僕から奪おうと策略するあの卑怯者――郷土豪樹を成敗することなのだ!


 決闘だ!!

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