第26話「追走」
「怜、どっちで行く? 出走まであと15分、今ならまだ、代えられるぞ?」
茂樹が怜に、雨のセッティングで行くのか、路面の乾きに賭けて晴れ用のセッティングに換えるるのか、最後の確認を迫った。
怜の予選出走時間の直前、雨はやんでいた。
ギヤ費はどうする?
キャブレターのセッティングは?
タイヤチョイスは、前半のアドバンテージで逃げ切る作戦で、レインタイヤで行くか?
もし予選時間の後半晴れてきたら、高摩擦のレインタイヤが作る走行ラインのアスファルトが乾いてきたら、コンパウンドの柔らかいレインタイヤは、特殊アスファルトの摩擦熱でボロボロに溶けてタイムアタックどころではなくなる。
後半に賭けて、高粘度のスリックタイヤで行くか?
茂樹やチームメカニックは最後まで迷ったが、怜は初めから雨のセッティングに決めてコースに入っていた。
結果的には、雨のセッティングは失敗だった。
雨はしだいにあがり、コースの走行ラインは、アスファルトが白く乾いて最速の道を拓いていた。
怜は、まだ濡れている黒い路面をつなぎ合わせて疾走する。
もっと速く、もっとタイムを詰められる。
(ダダダッーーダダダッーーー!!!!)
カーブの度に大きく後輪をスライドさせて、怜はオートバイを最高に楽しんでいた。
「もっと、もっと、もっとだ!!」
予選であることなど忘れ、怜はそのままコースアウトした。
突き抜けてしまった。
それほど調子は良かった。
怜はコースアウト直前のタイムで、スターティンググリッド二列目を獲得した。
「はあ、はあ、はあ、⋯⋯茂樹、トップはどこにいる!?」
予選の翌日開催された決勝レースは、既に中盤を向かえていた。
怜はスタート直後の第一コーナーで起きたクラッシュに巻き込まれ、大きく順位を落としていた。
筑波サーキットは、全長2キロ強のショートコースだ。コース幅は狭くクネクネとカーブが連続する、追い抜きが難しいレイアウトだ。
怜はかろうじて転倒しなかったが、事故に巻き込まれてコースアウトした。
タイヤの溝にはコースサイドの泥がこびりつき、それが取れるまで、ペースを上げることが出来ずにいた。
怜はコースの所々に出来た雨水の川で泥を洗い流しながら、順位を落とさないように追撃の時を待った。
トップとの差は、大きく拡がっていた。
茂樹が出すピットサインは、トップまで「+10秒」。
残り周回数から逆算すると、ふつうなら絶望的なタイム差だ。
しかし、この雨の怜なら、まだ可能性はゼロではなかった。
(ンラアーー、パァパアパァアァンーー ズフォッ!! カァアアアーー!!)
「よし、⋯⋯泥は⋯取れた。
行こうぜ!俺たちの力を見せてやろうRS!!」
怜のすべてをかけたレインダンスが始まった。
282mの短いメインストレートを、ブレーキポイント50m看板を振り切ってフルブレーキ。
スピードを殺しきらないまま、複合の第1コーナーに滑り込んでいく。
怜のブレーキポイントは、乾いた路面の時と変わらない。
(パァう、パゥパゥパゥーン⋯⋯ラァァァアアアーーアアーアーアー!!)
奥に行くほどキツくなるカーブをクリアすると、滑るように次のコーナーへと加速していく。
コーナー進入で2台、立ち上がりで1台抜いた。
(シャンシャン⋯、シャーン ゥアアアアアアーパァゥアアアア!!)
左、右と忙しく続くS字カーブをヒラ、ヒラと舞いながら、怜はどのマシンより速く駆け抜ける。
S字カーブから第1ヘアピンにあるわずか数メートルの直線も、余さず加速してスピードに乗っていく。切り返しで1台抜いた。
(ゥアゥゥゥゥーー ンラアアアアーー!!)
待ち構える左180度ターンのヘアピンに備えて、他車はS字出口の加速を抑えて進入姿勢を整える事を優先する。
怜は、この僅かな直線をフルスロットルで加速して、また2台パス。
ここでスピードに乗ると、マシンが右に傾いたままヘアピンに進入する事になる。
怜は、右側に倒れたまま進入し、フロントブレーキをジワリと握って、前輪と路面の摩擦抵抗でマシンを起こしていく。
前走者の空いたイン側に、前輪を滑り込ませて並ぶ。
乾いたグリップの高い路面でこれをするライダーはいるが、怜は雨のスリッピーな路面でもやってのける。
(⋯⋯ゥパァゥン、パウパゥゥパゥン!!)
スリップダウンギリギリのグリップを探りマシンを起こすと、目の前に迫ったヘアピンコーナーのブレーキをワンテンポ遅らせて、並んでいたマシンを振り切る。
(グギュッ、ブブッ⋯ブブブブッ⋯⋯)
タイヤがスリップするギリギリで発する振動を、怜は全身で聴いてブレーキをコントロールする。
マシンが直立するとフルブレーキ。
フロントフォークがフルボトム。
前輪に全車重が乗りジャックナイフで後輪が浮き上がる。
つんのめる減速Gの中、後輪に残った慣性力がドライブチェーンを押して、エンジンの回転を乱す。
怜はリアブレーキを巧みに操り、慣性力をチェーンの張りで相殺すると、後輪のスイングアームは暴れるのをやめ、スムースに沈み込んでゆく。
アクセレーションで後輪に荷重をかけるとノーズダイブは安定し、マシンはカーブを舐めるような低重心で旋回し始める。
(シャーン⋯⋯ シャーー!! パァアアアア アアァァアアーー!!)
カーブのクリッピングで1台パスする。
続くシケイン切り返しで1台、第2ヘアピン進入で、また1台パス。
「ぅわぁぁー!! アァー!!」
コーナー毎に設置された観戦スタンドから、ため息とも悲鳴ともつかない歓声があがる。
怜だけが1.5倍速で合成された映像を観ているような違和感が、観客を不安にさせる。
(パァゥアア、パァゥアアアア、パァゥアアアアァァアア、パァゥアアーーー!!)
バックストレートを全走者のスリップストリームに入ってフル加速。
身体を小さくたたんでカウルに押し込む。
少しでも空気抵抗を少なく、シフトアップのロスを限りなくゼロとなるように加速度をつないでいく。
(ゴオオオオオオオオオオオオーーー!!)
バックストレート、最終コーナー入口までの距離を示す看板が、左視界の後方へ吹き飛んでいく。
このコース最高速度で前走車3台が作る風の谷間から、怜はイン側に車体1台分飛び出す。
(バフォォォーー!!)
超低気圧から飛び出すと同時に、カウルにたたんだ上体を起こして大気の壁を使ってエアブレーキをかける。
(パァアア、パンーーッ!!)
ギアを2足落として、軽いタッチのフロントブレーキでキッカケをつくり鋭くカットイン。
100Rから90Rにキツくなる最終コーナー入口で2台パス。
荷重の抜けた後輪をユラユラ揺らしながら、バンクの内側を滑るように旋回し、メインストレートへの加速競争で1台抜いてグランドスタンドに躍り出る。
すぐ目の前に、次のグループが迫る。
今日の怜のライティングは、全ての動作が洗練され、美しさと力強さで躍動に満ちている。
怜は、周を重ねるほど水を得た魚のようにコースを泳ぎ、レース終盤にはこの日最速のタイムを叩き出した。
茂樹からのピットサインは、「トップ+4秒」
「あゝ、楽しい⋯⋯、『オートバイ』は、なんて楽しいのだろう!!」
怜は、輝が先頭を走るセカンドグループに追いついた。
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