第9話「江の島3」

 聡太「さ、さぶい。どこかっ! ファミレス入ろう! 寒くて死ぬ!」

 翔太「おう! そーだな。134沿いにあるだろ」

 茂樹「よし! じゃあ俺様の『ひばり』に行くことを許そう。 たしかあの辺に⋯⋯ あった。ここを左折な」

 聡太「何でもいいから早くしてくれぇー!」


 江の島大橋の袂、「江の島入口」交差点を隊列で曲がっていく6台のオートバイがいた。

 彼らが走る国道134号線は湘南海岸に沿って走る目抜き通りだ。海からの風が心地よいオープンテラスで、爽やかな陽射しを浴びながら食事を楽しむ事ができるレストランやカフェが建ち並ぶ。その中にあるファミリーレストランもまた、他のチェーン店舗とは違うお洒落な佇まいになっている。


 (ピヨピヨピヨ〜♫)

店員「いらっしゃいませ〜」

茂樹「あ⋯⋯、大人7人で」

店員「お席をご用意するので少しお待ち下さい」

 海に落ちてズブ濡れになった聡太は、しばらくテトラポットの陽だまりで服と髪を乾かしていたが、つま先から頭の天辺まで海に沈んだ人間は、そう簡単に乾くものではない。


 翔太「聡太、水! 足元に水がたれてる」

 聡太「いや、だってまだ乾いてないから」

 大輝「ブルブルってやれよ、犬みたいに」

 聡太「できんて!」

 成久「うわっ 磯くっさっ! 近づくな聡太」

 聡太「なにー! 感染うつしてやる! うりゃ! どりゃ!」

 茂樹「や、やめろコラ、なんで俺にやる!?」

 雅「カニ、ポケットからカニが出てる!」

 怜「⋯⋯⋯⋯ 店員見てるぞ」

 ウェイトレス「あのぉ お客さま?」

 全員「なんでもないっす!!」


 店内に入ると怜たちと同じ歳くらいのウェイトレスに席へ通された。ソファー席に倒れ込むように座る。ヘルメットは窓際の空きスペースへ。転がすように無造作に置くのがいつものお作法だ。お冷が運ばれてくるのを待つ間、茂樹がメニューのウンチクを語っても誰も聞いちゃいない。


 茂樹「やっぱ、『ひばり』はラザニアだよなぁ」

 翔太「俺はいつもチーズインハンバーグだね」

 大輝「チキンガーリックステーキ、うまそー!」

 雅「やっぱマヨコーンピザでしょ!」

 茂樹「すみませーん、オーダーお願いします! 社食割使うんで! よろしくです!」 

 皆、思い思いのメニューを選び、ウェイトレスが注文を持ち帰ると、ファミレス独特の緩い空気にウトウトし始める。


 意識が途切れてどれくらいたった頃か、怜は唾液腺と胃袋を刺激する香りで目を覚ました。テーブルの上にはウェイトレスが運んできた料理が並んでいた。自分が夢の中にいたことに気づかないほど安らかな眠りだった。皆はまだ夢の中にいる。忘れていた尿意に気づいた怜は、周りを起こさないよう静かに席を離れた。

 天井に吊るされたトイレの印を頼りに店の奥に進む。突き当りの壁を眼前にして、トイレ前が騒がしいことに気がついた。

「なんだろう?⋯⋯」

 左は男子、右側が女子トイレになっているトイレ前の小フロアに洗面台があった。どうやらそこが騒ぎの元らしい。数人の女性客がキャーキャー言って騒いでいた。

 そこを通らないとトイレに行けない事もあるが、好奇心半分で怜も覗き込む。そこには江の島の海の生き物を展示したアクアリウムがあった。

 「なんだ。これを見て騒いでいるだけか」

 ホッとしてトイレに入ろうとすると、客の一人が「店員さん呼んでこようか」とそのアクアリウムを指さした。

 怜があらためて見直すと、それは色とりどりの海藻で飾りつけれた江の島の磯を再現した「洗面台」だった。

 「ワシャワシャ、ブクブク、カサカサ」

 中には数匹の磯蟹がいて、香しい磯の香りを振り撒き、生命の音色をたてながら元気に駆け回っている。

 それを見て怜はすぐに大輝の顔を思い浮かべた。

 入店してすぐ怜たちはまず磯臭い手を洗いに交代でトイレに行った。その時珍しく大輝が「一番乗り」の名乗りを上げなかった事を思い出した。そして最後にトイレに行ったのは確か、大輝と雅だ。雅はあれで茶目っ気が過ぎるところがある。たぶんこれは二人が仕立てたアクアリウムだ。

 オーダーを取りに来たウェイトレスがトイレ前に到着し、アクアリウムを観て悲鳴をあげるところまで見届けて、怜はトイレを諦めて席に戻った。


 席に戻ると皆起きていた。ワシャワシャと磯蟹と似た咀嚼音を発て料理にガッツイていた。

 怜は自分の頼んだラザニアの無事を確認すると、奪われない内に食べることにした。トイレでの出来事など、この空腹に比べたら取るに足りない。ものの10分で全員完食した。

 満腹になった若者はオートマチックに眠くなる。

「食ったら寝る」

 魔法の呪文に誘われるように全員が再びトランス状態に堕ちた。


 すっかり静まったテーブルで茂樹は自分が食べた皿をナプキンで拭き始めた。ピカピカに磨かれた皿の上に皆が少しづつ残した「付け合わせ」を飾り始めた。

 ほうれんの草ソテー(ひと口)、フライドポテト(3本)、ニンジンのグラッセ(2個)、サニーレタス(1枚)⋯⋯。まるでレシピがあるかのようにバランスよく付け合わせが皿を飾る。その中央はポッカリと空いている。

 カチャカチャと食器の物音に気づいた怜がボンヤリ見ていると、茂樹は怜に向かって「クレクレ」の手招きをした。寝ぼけ眼の怜がポカンとしていると、横で薄目を開けていた聡太がニヤリと笑ってポケットから出した特大の磯蟹を茂樹に手渡した。

 怜は茂樹が何をしているかようやく理解した。茂樹はレストランでアルバイトをしている。たしか、この「ひばりマーク」のチェーン店の厨房だったはずだ。

 シェフ茂樹は、特大イソガニを使ったこの秋の新作メニューを盛りつけていたのだ。

 茂樹は聡太から受け取った磯蟹の背中をペシリと軽く叩いて大人しくすると、皿の真中に手際よく盛りつけた。仕上げはいつの間に持っていった怜のラザニアのチーズとミートソースを回しかけ、パセリを乗せて出来上がりだ。

 それはどこから見てもこの店が提供した「カニのソテーミラノ風」だった。


 優美な一皿に酔いしれて空想のチョビ髭をいじる仕草をしているシェフ茂樹を引きずって、怜たちは会計を済ませ店を出た。

 翔太と雅がバイトで帰る時間だった。

 店舗の横にある駐車場で暖機運転をしていると、厨房が賑わっているのが壁越しに聞こえてきた。

 「ガラん、ガラん」と鍋が転がるような音がした後、「わああぁ」と言う叫び声に変わり、一瞬静かになった後、「アハハハ」と笑い声が聞こえてきた。

 聞き耳を立てていた茂樹は、してやったりとネタがキマった芸人のようなドヤ顔だ。ヘルメットを被り出発の支度をしていると、レストランの裏口が突然開いて飛び上がった。

 皆、路地裏の野良猫が散るようにバイクの影に隠れていると、あのウェイトレスが出てきた。


 「料理が綺麗に残されてると思ったら、まさか生きた蟹だなんて、びっくりだよ。もー。面白かったけどさ、カニが可哀想じゃないか」

 独り言を言いながら、彼女は持っていたワシャワシャと騒がしいビニール袋の口を開いて、中の蟹たちを植え込みに逃がしている。

 怜たちは彼女が厨房に戻るまで一部始終を見守りながら、何だか姉貴に叱られた弟みたいな気持ちになって駐車場を後にした。


 帰路は来た道を戻った。見える景色も心持ちも往路とは全く違うものだった。

 すっかり暗くなった国道134号を茅ヶ崎方面に馬入川を渡り国道129号の起点に右折する。平塚市街の灯りをしばらく走って暗い工業地帯を抜けると厚木市に入る。東名高速道路のガードを潜ると見えてくる小田原厚木道路の入口を横目に直進。ジェットコースターのような陸橋の頂上を過ぎると国道246号と合流し、眼下には本厚木駅の賑やかな灯りが見えてくる。

 国道沿いに建ち並ぶ綺羅びやかなレストランは家族連れで賑わっている。片側3車線の大通りを抜ける。大きく右折していく国道246号と別れ129号で八王子方面を目指す。

 ここからは知った道だ。真っ直ぐ行けば母校が見えてくる。

 「帰ってきた」

 無意識に緊張が緩み、日常の空気が怜たちを包んだ。皆が同じように緊張が解けているのが伝わる。

 今日一日、楽しかった。慣れない道を走る緊張感、初めての隊列走行がつくり出す不思議な連帯感は怜にとって新鮮だった。

 楽しくて疲れた。でも心地のよい疲労感だ。

 いつもの見慣れた顔も今日は何故か違う顔に見えた。


「来た道と同じ道なのに、なんでこんなにホッとして、そして、寂しいんだろう⋯⋯」

 これまで怜にとってオートバイは独りで駆るものだった。バトルする時、峠道から帰る時、今日も無事に帰れたという安堵とは違う安心感は、なんとも心地よく、そしてその時間が終わってしまう寂しさは初めての経験だった。


 怜はそれぞれの帰る場所が近づいてくるのを感じながら、まだこの余韻に浸っていたいと願った。寂しくて、でも温かなこの感情にもう少しだけ包まれていたい。

 校舎を過ぎ、一人また一人と自宅への枝路に散ってゆく。振る手に「また明日な」という声が聞こえる気がした。


 怜は、初めてのツーリングで、仲間の温かさと、楽しい一日が終わる寂しさと、帰れる場所が自分にもあることを知った。

 願えば「また明日」会える。

 そんな仲間がいることを知った。

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