推し変
山田貴文
【ショートショート】推し変
アイドルの特定メンバーのファンになることを「推す」という。だから自分の好きなメンバーのことを「推し」と呼んだりする。
その日、ぼくは一年ぶりにとある女性地下アイドルのライブ会場へ足を運んだ。地下アイドルというのはメディア露出などをせずライブ活動を中心に行う、いわばマイナーなアイドルのことだ。
ちょうど時間が空いたので、久々に顔を出して見ようと思ったのだ。そう、アイドル好きのぼくとしては本格的にそこを推しているわけではなく、 ちょっと興味があるあまたのグループのひとつだった。
一年前、ライブ後に青いコスチュームのA子とツーショット写真を撮った。これはある程度メジャーなアイドルグループでも共通して言えるのだが、彼女たちの主な収入源はライブの入場料ではなく、メンバーとの有料ツーショット写真やグッズ販売なのだ。
ライブ前、ぼくは今回もA子と写真を撮るつもりだった。だけど終了後に待てよと思った。今日は赤いコスチュームのB子がとても可愛く見えたのだ。ツーショット写真代はもちろんグループによっても違うが、地下アイドルのグループでもそんなに安くはない。サラリーマンの平均的なランチ代二回分はする。そう何枚も撮れるものではない。
A子と写真を撮ったのは一年前だし、しかもその一回きりだ。ぼくのことなどどうせ覚えていないだろう。そう考えてぼくはA子ではなく、B子とだけツーショット写真を撮った。
たぶん、そこで帰ればよかったのだ。だが、その日は特別にメンバー五人全員と無料で握手をできるというプログラムがあった。A子と握手するのは気が引けたが、ぼくはしれっとそれに参加した。
C子、D子、E子と握手して次はB子。彼女は満面の笑みでぼくを迎えてくれた。
「さっきはありがとう!」
ぼくも笑顔で二言、三言B子と会話して、最後にA子。ささっと握手して、その場を離れるつもりだった。
するとA子はもの凄い力でぼくの手を握った。
「ひ・さ・し・ぶ・り」
ギャーッと悲鳴を上げそうになる。恐怖のどん底。一年前に一回だけ写真を撮ったぼくのことをおぼえていたなんて。息が止まりそうになった。
彼女はぼくの手を離してくれなかった。むしろ、握った力がどんどん強くなり、たまらなく痛い。そして、ゾッとする笑顔で言った。
「ねえ、私のことを推していたんじゃなかったの?推し変したの?」
推し変とはファンが別のメンバーへ推しを乗り換えること。おわかりいただけると思うが、元推しから面と向かって言われるのは地獄だ。
「ごめんなさい。今日はたまたまB子ちゃんと写真を撮ってみたくて」
ぼくは泣きそうになりながら言った。
「私とは撮ってくれないの?」
手にますます力が入る。骨が折れそうだ。
「痛い、痛い。ごめんなさい。今日はお金の持ち合わせが足りなくて」
「あら。クレジットカードも使えるわよ」
「知らなかった。撮る、撮ります。ツーショット撮らせてください」
「ほんと?キャーッ、嬉しい!」
A子は手を離し、ぼくに抱きついてきた。アイドルは普通こんなことをしない。でも、ホッとした。助かったのだ。
すると、B子がA子とぼくの間に割って入ってきた。
「A子、やめなさいよ。この人は私の方がいいと言ってるんだから。何を無理やり引き戻そうとしているの?」
「B子こそ、私のファンに色目使って、どんどん横取りするじゃない。いい加減にしてよ!」
もともとこの二人は仲が悪かったらしい。あっと言う間にぼくの奪い合いが始まり、取っ組み合いになってしまった。
それを見ていた他の男性ファンたちは面白くない。いつしかA子派とB子派に分かれて、そこでも喧嘩が始まった。そして、それは会場全体を巻き込む大乱闘に発展した。
ぼくもさんざん殴られたが、誰に何発やられたのかわからなかった。確かアイドルの誰かにも靴で殴られていたような。
「やめなさい、離れて、離れて!」
そこに集団をかき分けるようにして制服の警官たちが入ってきた。誰かが通報したらしい。
ようやく離れたぼくたちに向けて警官が言った。
「この喧嘩の原因は何?誰が悪いの?」
すると、会場にいた全員が一斉にぼくを指さした。
なんでだよ。
「ちょっと君、署で話を聞こうか」
というわけで、ぼくは今、警察署にいる。事情聴取されたので、経緯を説明したが、警察官には今ひとつピンと来ていないようだ。
トイレで鏡を見た。顔は痣だらけ。服はボロボロに引き裂かれていた。
財布と免許証とスマホが入ったバッグを失った。警察官に訴えたが、あとで探せと相手にしてくれなかった。何しろぼくは暴力事件の容疑者なのだ。
ここで言いたい。アイドル界はやわな世界だと思われがちだが、全然そうじゃない。ぼくからみなさんにアドバイスするとしたら、ひとつだけ。
推し変するなら命がけでやれ。
(完)
推し変 山田貴文 @Moonlightsy358
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