空想の中で生きること。
みてぃあ
1. 失くした記憶
その日の夜も、僕はジョン・レノンの「Imagine」を聴いていた。夜にベッドの中に入って、これまでの人生のこととか、これからの人生のことを考えることは、僕の習慣になっていた。大学生活4年間を終えて、明日が卒業の日───この日はいつもよりもたくさんのことを空想した。まずはこれからのこと。4月からは新しい環境で新しいことばかりする毎日だ。住む場所もここからずいぶん離れたところになる。新しい場所でやっていけるだろうか、友人はできるだろうか、上司は怖くない人だといいな。欲を言うなら、いい出会いがあるといいけど。
未来のことを考えるのは期待もあるけれど、いささか不安が募りやすいものだ。僕は少し空想してから、過去のことを考えることにした。4年間で出会ってきたたくさんの友人、就活のことなんて忘れるくらいに熱中したサークル、培ってきた知識。そして、4年間で唯一恋した存在、明日はその人に最後に会いに行くんだった。その人の名前は───
───そこで僕は眠ってしまった。まるで意識が急に途絶えるように。
次に意識が覚めた時、僕は妙な違和感を覚えた。いつもなら冬の寒さに耐えられずしばらく毛布にくるまっているのに、今日はむしろ少し暑さを感じるくらいだ。いつもの肌を突き刺すような朝の寒さではなく、肌を包み込むような暖かな空気。僕は寝坊したと思った。焦ってベッドの脇に置いてあるアラーム時計の時間を確認する。時間は7:10だった。よかった、なんならもう少し寝れるだろうか。そう思いながらもう一度布団に潜り込もうとした。ただ、時間を確認してもなお自分の中の焦りと違和感の感覚は消えなかった。
不安になってもう一度アラーム時計を見る。時間は7:12、まだ起きるには早い時間。日付は当然───ここで僕はこの違和感の正体に気づくことになる。日付は約3年前、4月5日。それは僕が大学2年生として初めて登校する日だった。
僕はしばらくの困惑をしたのち、スマートフォンでニュースページを開いた。アラーム時計が壊れているだけかもしれない。そんな可能性に頼って今日のニュースを見る。ニュースページのトップ画面、そこに表示されている日付はやはり2年前だった。
ここで普通の人なら2年前にタイムリープしたことの意味だとか、科学的にそんなことが起こり得るのかとか、そんなことを考えるのだろう。でもこの時の僕は、そんなことを考えるよりもっと大きな不可思議の感覚があった。記憶が欠けている。この事実に気づくまでに時間は要らなかった。そもそも僕はなぜ寝坊したと思ったのだろうか、そういえば何か予定があった気がする。誰かに会う約束。えっと、会う予定だった人は......思い出せない。予定があったことは覚えているし、タイムリープしたという事実がわかるくらいには記憶もある。けれど、どうしてもこの部分だけは思い出せなかった。
それから僕からはもっと多くの記憶が欠けていることがわかった。大学2年生以降に出会ったはずのすべての人の記憶を無くしていた。多くの人に出会ったことは確かに覚えているのに、2年生になって初めて出会う後輩のことだとか、新しく学部の講師になった教授のことだとか、2年生から入ったサークルで出会った友人のことだとか、たくさんの人に関する記憶がなくなっていた。この記憶の不可思議なところは、その出会うはずの人がどういう関係で、どうやって出会うのかだけは覚えていることだった。新しく教授が学部の講師になることも、たくさんの後輩とどこで出会うのかも、サークルでどれくらいの人と友人になれるのかも、全部覚えている。けれどそれが誰なのか、という一番大切な部分の記憶だけは失くなってしまっていた。
とりあえず、僕は大学に行ってみることにした。これからどんな場所でどんな関係の人に出会うのかということを全て覚えているのに、その相手が誰なのかはわからないというこの状況に、気持ちが落ちつかなかった。だから僕は答え合わせをするために大学に向かった。その日は学年ごとの学部オリエンテーションが終わった後、新入生歓迎会があった。中庭で何十サークルもの団体が続々と歩いてくる新入生に声をかけて入部生を奪い合う。みんなあの後輩は好感触だったとか、あの後輩は興味なさそうだったなとか、そんな反省会を隅の方でやりながら勧誘を続けている。大学が始まって最初の一大イベントということもあって、みんな楽しそうだった。
僕にとってもこのイベントは楽しいものだった。あの新入生は自分の所属しているサークルに入ってくれるかな、入ってくれるとしたら僕とどういう関係になるのだろう。これは謎解きの感覚に近かった。たくさんの記憶というヒントがあるけれど、そのヒントはところどころ欠けていて不完全なもの。そんな不完全なヒントから答えを探す、そんな感覚だった。
タイムリープの初日を終えて疲れ切った僕は、家に帰るとすぐにベッドに潜り込んだ。この日も僕は習慣の空想を始めた。いつもの「Imagine」を流しながら。
この記憶の欠けたタイムリープは悪くなかった。ある程度新鮮な感覚で1日を終えることができたし、1周目とは違った視点で人生を送ることができる気がした。誰しも過去に戻ることを一度は夢見るだろう。過去に戻ることができたら、神童になろうだとか、あの人とは距離を置こうだと、恋をした相手に違うアプローチをかけてみようだとか、そんなことをたいてい考えると思う。だけど、今の僕にはそれは不可能だった。3年前に戻るだけでは神童にはなれないし、どの人が自分にとって苦手な人なのかとか、恋をする相手なのかがわからないからだ。これではタイムリープのメリットがあまりない。ああ、せめて競馬とか株とか宝くじとか、そんなものを僕がやっていればよかったな......と思うけれど、あいにくそういったものには興味がなかった。この日ほどギャンブルをしておけばよかったと思った日はなかったね。
そういえば、一つだけタイムリープしたメリットがあった。僕は大学2年生の夏、恋をすることになっていた。もちろんその相手は誰かわからないし、その相手のどこに恋をしたのかもわからない。けれど、これはチャンスだと思った。僕は過去、ここでいう過去っていうのはタイムリープする前の2年生の夏、この人に告白して振られたんだ。今回も順当にいけば振られることになっているだろう。だから、2周目はもっと慎重にいこうと思った。やり方さえ間違えなければ、もしかしたら次こそは恋人になれるんじゃないかって期待をした。後から考えるとこの選択は失敗だったと言わざるを得ない。この選択がなければもっと違う形で出会えたはずなんだ。それをここで言っても何も変わらないけれど。
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