第25話 その手を離さないで
立夏はただ、綺羅をまっすぐに見つめた。
イロハはすでに踏切の前まで来ているが、まだ中には入っていない。
踏切の遮断機が下り、赤い警告灯が点滅するのを視界の端に捉えながら、立夏は自分の中の答えを作り上げる。
ずっと動いていたのだろう遮断機がが軋むような音を響かせ、静まり返った世界に響いていた。不思議と自分と綺羅以外の音が遠くのもののように思えた。
「イロハは私が死ぬことを喜ぶような子じゃなかった」
いつも笑って、立夏の仕事を応援してくれて、追いかけてきてくれた。
人と関わるのが上手くないと思っている立夏にとって、イロハの明るさとコミュニケーション能力の高さは眩しくて――嬉しかった。
たまにストイックすぎると言われる立夏に直接憧れていると言って、追いかけてきたのは彼女だけだったから。
冷たい風が吹き抜け、立夏の髪を揺らす。綺羅は少しだけ顎を上げ、退屈そうに目を細めた。
「どうかな? 君より、僕の方がイロハには詳しいよ」
「あなたが私の知らないイロハを知っていたとしても、私は私の知っているイロハを信じるだけ」
綺羅の言葉に立夏はもう動揺しなかった。綺羅しか知らないイロハは確かにいるのだろう。だけど、もう私には関係ないことだと立夏は感じていた。
だって、自分のことさえ不確かな世の中で、自分以外の人のことをすべて知ることは不可能なのだ。
だから、立夏にできるのはイロハが見せてくれた竜山イロハという存在を信じることだけ。
少しずつ赤みを強くする夕日の中で、立夏の眼差しだけが強く光っていた。綺羅が人を小ばかにしたような笑みを浮かべると、手を大きく広げた。
「ふぅん、どうぞご勝手に……じゃ、女優としての道を生きるんだね? イロハを見殺しにして」
少しだけ綺羅の言葉に棘が混ざった気がした。
その棘の理由は苛立ちなのではないか――そんな疑問が頭を過る。
考えてみれば、最初からこの男の行動はおかしかった。
(なんで、綺羅は私の前に現れたのかしら)
イロハの命を奪ったこの男は、イロハが死んだ後に立夏の前に現れ、駅のホームで立夏の背中を押した。その結果、電車の前に飛び込むことになり、訳の分からない過去への逆行が始まったのだ。
立夏はまだあの時の電車の運転士の顔を覚えていた。死ぬ瞬間のことは覚えているものだと変に感心したくらいだった。
綺羅の言葉に立夏は小さく首を横に振った。
「イロハ一人を死なせるわけないじゃない」
一瞬で綺羅の表情が変わる。耳を疑ったように、立夏に向けて耳を向けた。
「何だって?」
「イロハが死なないで欲しいと思ってても、私にとってイロハがいない世界はもう意味がないもの」
イロハの望みをかなえるために生きたい。そう言うことは、きっと物語的にすごく正しい答えだろう。
だけどよく考えて欲しい。その生きる世界が意味のないものだとしたら、きっとそこは地獄でしかない。
だから、立夏にできることはイロハのいる世界を選ぶために行動すること。イロハを生かす道を作ること。それが綺羅の望むことじゃないかと立夏は思った。
「イロハの願いを破るんだ?」
「私は私の願いを突き通すだけ」
立夏は胸に手を当てた。
イロハの願いを裏切ることになる――わかってる。
女優としての成功を手放すことになる――わかってる。
それでも、イロハのいない世界で成功することを望まない。私はイロハのいる世界が欲しいと立夏は綺羅を見返した。
「だって、それがあなたが私をここに連れてきた理由な気がするから!」
綺羅の表情に驚きが生じる。それはほんの一瞬だった。すぐにいつものように、乾いた笑みが浮かぶ。
「イロハもおかしかったけど、君もなかなかおかしいね」
指が再び鳴らされる。
その瞬間、世界がすべて普通に動き出した。遠くから人が生活するざわめきが聞こえる。イロハが踏切の中には入り、立夏はそれを追いかけるように遮断機をくぐった。
踏切の中にいるのは、ただ二人。
「イロハ!」
「立夏っ、なんでここにいるの?」
イロハの瞳が驚きに揺れる。立夏はとにかく彼女を踏切からだそうと、手を掴む。
が、まるで運命がそう決めているように、イロハの足は動かなかった。
「あなたこそ、なんでこんなことしてるのよ!」
「それは……って危ないから、早く出て!」
遮断機の音が重く響く。イロハは線路の奥を見つめ、立夏の身体を引き離そうとする。その間も警報は鳴り続け、電車の接近を告げている。
イロハは立夏の腕を掴み必死に外へと押し出そうとする。しかし、立夏はその手を振り払うと、離れないというようにイロハの身体を強く抱きしめた。
「立夏?」
「出ないし、一人で行かせるわけないでしょ」
イロハの肩に額を押しつける。これが正解かなんてわからない。
でも、久しぶりに抱きしめたイロハの身体を離す気は微塵もなかった。
手が震える、足も震えてる。だが、この手だけは離さない。
イロハが立夏の腕の中で体を捩った。
「でも!」
「私たちは〝ベストパートナー〟なんでしょ?」
耳元でそういえば、イロハの体が強ばる。
きっと泣きそうな顔をしていると、簡単に想像できた。
イロハは涙もろい。ちょっとしたことですぐに泣く。何度も隣で、正面で、見てきたのだから。
「立夏には生きてて欲しいの!」
「私はあなたと一緒に生きたい」
イロハの願いを破ることになっても、それが今の立夏の譲れない願いだった。
綺羅だけが傍観者のまま、宙からこちらを見つめている。
もう電車はすぐそこだ。また運転席に座っている運転士の顔が共学に染まる。
「大好きだよ、イロハ」
どんな最後になっても伝えたいことはそれだけ。
電車の金属の車体が視界を覆う。踏切の警報が最高潮に鳴り響いた。
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