二人の未来

第24話 選択の踏切


 ――イロハが死んだのは君のせい。

 立夏が綺羅の言葉に呆然としていると世界は再び踏切へと戻ってきていた。

 元の世界に戻ったと言うべきか、現在に進んだというべきか。立夏には判断がつかなかった。

 立夏は目だけで周囲を見回した。イロハが自殺した踏切の前。あたりは静まり返り、人っ子一人いない。白黒の動かない世界に自分だけが迷い込んだみたいだ。

 

「私のためにイロハは死んだの?」


 立夏はまだ信じられない気持ちだった。

 イロハと小さい頃に会っていたことも、自分の命がイロハに救われたことも、イロハがそれを知りながらあたしを応援してくれたことも。

 自分の命を使って生きながらえる恋人を、イロハはどんな思いで見ていたのだろうか。

 怖くて考えたくない、と立夏は手を握りしめる。 

 すると不意に背後から、聞き慣れてきた皮肉交じりの声がした。


「そうだよ。イロハの絶望は驚くほど美味しかった」


 立夏が振り返ると、そこには綺羅が立っていた。

 元々、白と黒しか色彩がないような男だから、この世界にも十分に馴染んでいた。

 軽薄な笑顔を口元に浮かべ、無造作に手をポケットに突っ込んでいる。

 立夏はすぐさま綺羅の胸元に掴みかかった。


「あなたねぇ……!」


 イロハが死んだのは自分のせいだということが、消化できない。そんな消化不良の状態で、綺羅はイロハが美味しかったと言った。

 自分への怒りと綺羅への怒りがごちゃ混ぜになり、立夏の中で怒りが一気に爆発していた。

 今すぐこの男に殴りかかりたい――そう思うほどに。 だが、綺羅は立夏に噛みかかられても気にした様子もなく、肩をすくめるだけだった。


「おっと怒っても無駄だよ。だって、そういう契約だもの」


 綺羅の胸元を掴んだ拳が震えていた。反論しようとしても、言葉が出ない。イロハが結んだ契約は立夏のためのもの。その事実が何より胸の奥深くに突き刺さり、動けなくさせる。

 そんな立夏を見て綺羅は満足そうに目を細めた。


「だったら私とも契約して! イロハを助けて頂戴っ」


 イロハの命で立夏が助かったなら、立夏の命でイロハを助けることもできるはず。

 一縷の望みをかけて、立夏は綺羅に詰め寄った。


「それはできない。だって、イロハはもう死んじゃったから。しかも、君はもう絶望を味わってるじゃない」

「え?」


 イロハはすでに死んでいる。なんて無慈悲な響きだ。

 歯噛みしていた立夏は一瞬、何を言われたのかわからなかった。

 綺羅はまるで小さい子供に物を教えるように、立夏に向かって笑いかけた。


「僕は絶望の中で死にそうな魂としか契約しない。イロハっていう最愛の恋人を、人生の絶頂で失って……しかも、その結果が自分のせいなんだから。これ以上の絶望はないよね」


 綺羅が大きく口の端を吊り上げた。不気味な笑みは、まるでそのまま人を喰ってしまいそうに見える。

 

「……っ」


 立夏は息ができなくなった。綺羅の言葉通りなら、イロハは絶望の中で死んだことになる。そう聞いただけで胸が痛い。

 思い浮かぶイロハはいつも笑顔だったから、特に。だって、立夏の前でイロハはいつでも楽しそうに笑っていたのだ。

 くるくると変わる表情が本当に可愛くて、愛しくて、いつの間にか後輩から大切な人に変わっていたのだから。

 胸の奥にブラックホールができて、立夏のすべてを吸い込んでいくような気さえした。


「じゃ、私はイロハのために何もできないの……っ?」

「できないわけじゃない。むしろ君にしかできないこともある」


 震える立夏の声に、綺羅はぱちんと指を鳴らした。

 その瞬間、世界がゆっくりと動き始めた。

 風が吹き抜け、遠くの車の音が戻ってくる。立夏たち以外の人々も現れ、その中に、立夏は信じられない人を見つけた。イロハだった。


「イロハ!」


 立夏は声を上げ、駆け出した。

 なんで彼女がいるのか。この場所はイロハが自殺したあとの踏切ではなく、イロハが自殺する直前の踏切なのか。

 頭では様々な疑問が回っていたが、今したいことは一つだけ。イロハを止めることだけだ。

 けれど、イロハは聞こえていないようにまっすぐ踏切に向かって歩いていく。


「イロハ、やめて!」

「まだ聞こえないよ。僕は、結構イロハを気に入ってるんだ」


 綺羅がどこか愉快そうに言う。

 気に入っている?

 彼の言葉の意味がひとつも理解できないと立夏は思った。


「何を言って……なら、助けてくれてもいいじゃない!」

「それはできない。僕の食事だからね。でも、君に選択肢をあげることはできる」


 綺羅がふわりと宙に浮かぶ。立夏の視界に膝が来るくらいの浮き方だ。そのままイロハの上まで進むと、わざとらしく空中で座ると足を組んだ。

 両手を広げ無邪気な笑みを浮かべながら、立夏とイロハを見下ろす。


「君はこのまま生きれば、女優としての成功が約束されている」

「女優としての成功……」


 立夏がずっと目指してきたものだ。そして、綺羅の言葉が嘘でないことも何となく肌でわかった。

 朝ドラで売れて、ユニットを組んだ相手が主演映画公開の日に自殺する。そして映画は大好評。下手なことさえしなければ、波に乗るだけで女優として生きていける。

 だけど——立夏は顔をしかめた。

 そんな立夏の様子を見て綺羅は楽しげに続けた。


「イロハが一番見たかった君の人生だね」

「なんで、そこまで」

「僕はずっとイロハを見て来たから」


 そう言われて、立夏は言葉を失う。

 確かに、イロハはいつも自分が成功することを願っていた。 ずっと一番に応援してくれていた。

 立夏の中で迷いが生まれる。


「ただ、君がイロハのいない人生が嫌だと言うなら……一緒に死ねる。イロハも喜ぶね」


 綺羅の指が、まっすぐイロハを指し示す。

 喜ぶ、だろうか。絶望の中で死ぬイロハが、立夏と一緒に死ぬことを喜ぶだろうか。

 いや、違う。イロハがいない世界を私は生きていくことができるかを綺羅は聞いていると立夏は思った。


「さぁ、どうする?」


 その瞬間、カウントダウンのように踏切の警報音が鳴り響いた。

 遮断機がゆっくりと降り始める。立夏の目の前で、イロハが一歩、また一歩と線路の中へと進んでいく。

 迷っている暇はない。

 選ばなければならない。今、この瞬間に。

 

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