第23話 イロハの死


 普段は舞台が上演される劇場の二階で、あたしは壇上に立つ立夏を見つめていた。

 カメラのフラッシュがが眩しく輝く。壇上に他の出演者の人たちと並び立つ立夏は一等輝いて見えた。

 やっぱり、あたしの一目ぼれは間違っていなかったなぁとしみじみと思う。あんなに綺麗で、可愛い人が、あたしに向かってスポットライトの中から手を振ってくれるのだから。

 嬉しそうな笑顔を浮かべる立夏に記者のフラッシュが一斉に焚かれた。それは隣に飾られている映画のポスターの凛とした姿とは対照的だった。

 あたしは立夏に招待された関係者席の一角に座り、その姿をじっと見つめていた。


「あたしの彼女最高すぎる」


 ここにいないはずの綺羅のため息が聞こえた気がした。

 この後は上映会がある。立夏はこの上映だけ見た後、他の映画館に移動して挨拶をするらしい。

 あたしが彼女と一緒に入れるのはこの劇場が最後になる。そう思うと、一層感慨深く劇場を見つめた。


「最高の映画だったね!」

「ありがとう。イロハにそう言ってもらえて嬉しいわ」


 上映会も無事に終了した。全員が満足そうにスタンディングオベーションをしていたから、この映画は成功だろう。

 いつもより緩い表情をした立夏があたしの前で微笑んだ。

 昨日は緊張していたようだから、お客さんの反応を見てほっとしたのだろう。彼女の瞳はいつもより柔らかく、どこか安心したようにも見える。


「この後も都内を回るんだよね?」

「うん、しばらく忙しくなりそう」

「そかそか……寂しくなるなぁ」


 ユニット活動はしばらく控えめになっていた。

 あたし自身の活動はほぼモデルだけで、女優としての仕事は単発のものに限られている。今日いなくなっても影響が出ない範囲にした、つもり。ちょっとした混乱は起きるだろうが、それは許してもらいたい。

 あたしの呟きに立夏は小さく笑うと、イロハの頭をそっと撫でる。

 優しく手のひらの感触にイロハは目を閉じる。


「すぐ帰ってくるわよ」


 あたしはそれを迎えることはできない。

 きっと彼女が次、あたしを見る時は、あたしは動いていない。

 それをあたしだけが知っている。

 あたしは沸き上がる寂しさに蓋をして笑顔を作った。


「うん、身体に気を付けて仕事してね」

「妙に心配性ね。イロハこそ、無理しすぎないでね」

「大丈夫。しばらくはモデルの仕事ばっかだから」


 立夏がちらりと時計を見る。そろそろ移動する時間なのだろう。

 主演女優となると、宣伝のためにテレビ番組への出演も多くなる。

 あたしより忙しいはずなのに、立夏はいつもあたしの心配をしてくるから困ったものだ。そりゃ、立夏よりは体力はないけれど、病弱なわけでもない。仕事に穴を開けたこともない。


 部屋を出ようとする立夏の後姿に最後だと思ったら手が伸びた。気づけば彼女の服の裾を掴んでいた。 薄いドレスの生地が広がる。

 ぴんと張りつめた感触に立夏は驚いたように振り返った。


「立夏」

「なあに?」


 名前を呼べば、甘い笑顔が返ってくる。これが、あたしが欲しかった幸せで、あたしが見たかった未来。

 だけど、今はなぜか見たくないと思ってしまった。

 あたしは少し背伸びをすると、立夏に唇を寄せた。


「っ、どうしたの、突然……」


 柔らかい感触を少しだけ味わって、身体に覚えこませる。

 仕事場でキスするなんてなかったから、立夏は子供みたいに目を丸くしていた。今までで一番驚いた顔を見たかもしれない。

 立夏の顔をじっと見つめ、あたしは微笑んだ。


「ん、本当に良かったなって。立夏の主演姿、すごく綺麗だった」

「ありがとう。イロハと出会ってから、私の人生が変わった気がする」

「ほんと?」


 そう言ってもらえるなら、良かった。

 肩に置いていた手を滑り下ろし、両手を繋ぐ。立夏もすぐに握り返してくれた。


「うん……だから、これは半分イロハのおかげだよ」

「嬉しい」


 もっと伝えたいことはたくさんあって、もっとやりたいこともたくさんあった。

 だけど、あたしが言えたのはその一言だけ。

 優しく微笑んだ立夏はあたしの頬に唇を寄せると名残惜しそうに去っていく。

 部屋を出ていく立夏の背中を、あたしは目に焼き付けるように見つめた。

 扉が静かに閉まる。 


「時間だ。イロハ」


 綺羅が現れる。いや、彼はずっといたのだ。

 あたしは振り返ることもなく、静かに頷いた。まだ立夏が出ていった扉を見ていたかった。


「わかってるよ……ありがとう、綺羅」

「お礼は死んだ後でいいよ」

「相変わらず最悪の趣味」


 綺羅の変わらなさに、あたしは少しだけ救われた気持ちになる。

 あたしの命をとっていくは綺羅なのに、綺羅はきっとあたしがいなくなっても何も変わらずに生きていく。それは良いことだと思った。

 人が一人いなくなっても、大変の世界は変わらずに過ぎていくのだから。

 あたしは軽さを含んだ笑みを綺羅に投げかけた。 

 綺羅はふいと顔を逸らすと、ぼそぼそとらしくない音量で呟く。


「まっしぐらに死に向かう人間にこんな複雑な感情を抱いたのは初めてだよ」

「なんか言った?」


 あたしの問いかけに綺羅はただ首を横に振るだけだった。


「何も。さぁ、行こうか」


 小さく頷く。あたしは、小さな鞄だけをもって部屋を出た。


 *


 平日ということもあってか、思ったより町に人は少なかった。

 夕方に差し掛かった時間帯なのに冬だからか、頬を撫でる風は冷たい。

 ちくちくとした感触から逃げるようにマフラーに顔を埋め、死ぬ前でも寒いものは寒いんだなと思う。

 あたしが好きなたい焼き屋さんを通り過ぎる。とても良い匂いがしたけど我慢。最後に食べた記憶は立夏と一緒が良かった。

 ぷよかわも買いたくなるけど、今買っても飾ることさえできない。

 大好きなアーケードを抜ければ、線路が目に入った。


「なんで、ここなの?」

「ここはあたしと立夏が一番デートした町だから」

「そんな幸せな場所で死にたいの?」


 綺羅の問いかけに、あたしは小さく頷く。

 線路沿いを歩く。踏切を選んだのに大した理由はない。

 ただ、立夏がよく思い出してくれる場所で、好きな商店街に迷惑をかけない場所が良かった。


「この近くを通っただけで、立夏があたしを思い出してくれるなんて最高でしょ」

「君のその考えも、結構趣味が悪いんじゃない?」


 綺羅にそう言われて、あたしは初めてその可能性に気づく。

 確かにそんなことになったら、その場所を通らなくなる気もする。

 特に立夏は強そうに見えて繊細な所があるから、と考えて、あたしは少しだけ顎を上げて空を見た。


「んー……でも、忘れてくれてもいいとも思ってる」

「どういうこと?」

「あたしとの思い出は楽しいものだけ覚えててくれればいいかなって。こんな終わり方ばっか思い出されるのも嫌だし」


 それも本当。どうせだったら、あたしとの思い出は大切な宝物のように閉まってくれた方が嬉しい。

 たまに取り出して眺めて元気をもらう。そういうものになってくれるのが一番だった。

 そうすればあたしは立夏の中にいつまでも存在できるから。

 踏切が近くなるにつれ、警報器の音が徐々にはっきりとしたものに変わる。


「どうせなら、びっくりするくらい長生きしてほしい」


 立夏が立夏らしく、最後まで生き抜いてくれたら本望だ。


「……ここまで来ても立夏のこと。君は最初から最後まで変わらなかったね」


 あたしの言葉に、綺羅はもう諦めたように首を横に振る。

 この悪魔みたいな男からここまで呆れられるのは、あたしくらいじゃないだろうか。

 ただこの5年を諦めずに過ごせたのは、綺羅のおかげもあった。


「そうでもないよ。綺羅がいたから、ここまで立夏に必死になれたし、そう考えると綺羅のおかげもあるかもね」

「君はやっぱりおかしな奴だ」

「今までありがとう」


 あたしは色んな意味を含めて綺羅にお礼を言った。

 踏切の前に立つ。車はいなかった。人もほとんどいない。これならあたしが飛び出しても疑われるような人もいないだろう。自殺として扱われる。実際、自殺だし。

 そうなれば数ヶ月で事件は風化して、皆、元に戻る。

 

 遠くから車体が光を反射して近づいてくるのが見えた。警報音が鳴り始める。遮断機がゆっくりと降りてくるのを避けて、あたしは一歩中に入った。

 綺羅だけがあたしを見ていた。


「立夏」


 最後に呼ぶとしたら、考えるとしたら彼女のことが良い。

 そんな想いはさすが傲慢だろうか。ここまで好きに生きた。だから、悔いはない――はずだった。


「好きだよ……もうちょっと長くいたかったな」


 結局、最後まで思うのはそんなことで。

 悔いのない人生なんてないのだと思いながら、あたしは電車の前に飛び込んだ。


 *


 イロハが飛び込んだ瞬間、電車のブレーキ音がけたたましくなった。

 綺羅は周りの音を消すと、もう跡形もないイロハに近づく。

 ふわりとペンダントが宙を舞う。深紅の液体に満たされたそれが、綺羅の手の中へと落ちた。

 その蓋を開け、中の液体を飲み込む。


「極上……君は僕の見込んだとおりだった」


 綺羅は呟く。高潔なまま絶望できる人間は少ない。

 イロハはそういう意味で、まっすぐに死ぬ迎える稀有な人材だった。

 目の前の見ず知らずの女子高生のために命を懸けられる子供が、惚れた女の人のために命をかける人間に成長するのは、正しい予想というものだろう。

 嬉しいはずなのに――次の瞬間、頬を一筋の涙が伝った。


「美味しすぎて涙が出るよ、イロハ」


 斜光さす夕日が、ペンダントの紅を鈍く照らしていた。

 

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