第17話 夢への挑戦

 昼下がりの陽光が窓から差し込み、事務所のフロアを柔らかく照らしている。

 この事務所に通うようになってから数年、ここはあたしの生活の一部になっていた。

 カタカタとキーボードを打つ音や電話対応するスタッフの声が響くなか、あたしは事務室の扉を押し開け、明るい声で挨拶をした。


「こんにちはー!」


 あたしの声に事務所内のスタッフさんが振り返り、何人かが手を振る。

 話したことがない人もいるが、ほぼ全員が顔見知りだ。

 笑顔で応えながら奥の部屋に向かおうとすると、角のデスクにいた男性スタッフさんがあたしを呼び止めた。


「イロハちゃん、今日も元気だね」


 パソコンのモニターから顔を上げたスタッフさんの顔には無精ひげが生えている。どうやら忙しい様子。

 笑顔を浮かべられてはいるが、疲れが見え隠れしていた。

 あたしは胸を張り、相手に元気を分けるような気持で返した。


「元気が取り柄ですから! 女優は体が資本ですよ」

「今日も撮影帰り?」

「はい。今日はモデルとしての撮影だけだったので、ダンスレッスンを受けようかと思って」


 そう言いながらショルダーバッグを軽く叩く。中にはこれから使うトレーニングウェアとタオル、飲み物が詰まっていた。

 高校を卒業して一年。この事務所に所属して三年。ありがたいことに女優としての仕事も徐々に増えてきていた。

 だが、まだ忙しいとまでは言えず、立夏さんと同じようにアルバイトをしながらレッスンに通っている。カフェでドリンクやスイーツを作る仕事は思ったより気に入っていて、たまに立夏さんが来てくれるのも嬉しい。

 売れっ子とは程遠い立場だけれど、地道に進んでいるように思えて、あたしはこの日々を気に入っていた。

 スタッフさんはあたしの元気に感心したように笑うと、奥の方を指さした。


「たはは、元気だわ。でも、それより堀さんがイロハちゃんに重要な話があるみたいだよ」

「え?」

「奥の部屋で待ってるみたい」


 重要な話。そんなこと堀さんは言っていなかった。

 きょとんとしたあたしにスタッフさんはもう一度奥を指さしにっこりと笑った。


「わっかりました、ありがとうございます」


 軽く頭を下げ、奥に向かう。レッスンまでは少し時間があった。

 ——重要な話ってなんだろう。

 堀さんがわざわざ呼び出すなんて珍しい。今までと同じような仕事だったら、確認だけで入れられている。

 きっとそれ以上の大きな仕事に違いない。

 予感が胸の奥をざわつかせる中、あたしはいそいそと奥の部屋へ向かった。


「こんにちは、堀さん」


 ドアノブを回すと軽く金属の音が響いた。

 堀さんはデスクから立ち上がり、あたしの方へ歩いてくる。

 あたしはあまり入ることのない部屋に所在なさげに立っているしかない。


「お疲れ様。今日の撮影は順調だった?」

「はい、室内での撮影だったので、数が多い以外は問題もなく終わりました」

「モデルとしても女優としても依頼が増えてきているのは良い傾向だわ」

「ありがとうございます」


 堀さんのデスクの上には、何冊ものスケジュール帳や資料が積み上げられていた。その一部に、自分の名前が書かれている紙が見えた気がする。

 あたし以外にも数人のタレントさんの管理をしているのは知っていた。立夏さんは違う人が担当らしいのだけれど、色々融通してもらっているとは思う。


「それで、あなたに話があるのだけれど」


 今の仕事の話がひと段落すると、堀さんにそう切り出された。

 あたしは動悸が強くなる胸元を抑えながら静かに堀さんを見つめる。


「朝ドラのオーディションを受けてみないかしら?」

「え? 朝ドラですか?!」


 思わず大きな声が出る。

 朝ドラ――朝の連続テレビ小説。日本全国で幅広い世代に視聴され、そこから人気女優が誕生することも珍しくない。

 その分つまらないと酷評されることでも有名だけど、女優としては大きな一歩だ。

 そんな作品のオーディションをあたしが受けられる?

 背中が熱くなり、熱を発している気がした。


「そう。次の朝ドラの内容はわかるかしら?」


 堀さんがあたしの反応を楽しむように軽く微笑む。

 あたしはパニックを起こしそうな頭を必死に回転させて、答えを引っ張り出した。


「田舎に住む女の子が地元のアイドルになって町おこしをする話でしたよね?」

「大体あってるわね。その主人公のライバルグループの一人の役よ」

「ライバルグループってことは、大人数なんですか?」


 主人公の女優さんはもう発表になっていた。

 フレッシュさが売りの、あたしより年下の女の子。露出も増えて順当な配役と言われていたのを思い出す。

 あたしは堀さんの言葉に首を傾げる。

 グループアイドルなら、それなりの人数が必要になるだろう。あたしのような無名の女優に声がかかるのもわかるし、アイドルは自分で言うのもなんだが向いている役だった。

 だけど、堀さんはゆっくりと首を横に振る。


「いいえ、人数は二人。グループというよりデュオね」

「二人? その人数であれば、もっと適役がいるんじゃ」


 デュオなら確実に台詞がある。経験も少ない自分が呼ばれるのは不自然に思えた。

 そんなあたしの疑問は堀さんの次の言葉で吹き飛んだ。


「一人はもう立夏に決まってるの」

「やります」


 立夏さんの相手役。

 そう聞いた瞬間、あたしは立候補するように手を挙げると迷いなく答えた。


「……相変わらず、早いわね」


 堀さんは驚くでもなく、呆れたように目を眇め苦笑する。


「立夏さんとコンビを組めるってことですよね? そんなの、受けるに決まってます」


 あたしは堀さんに詰め寄るよあに尋ねた。

 立夏さんと同じ現場で役が貰えて、しかもユニットの役なんて——そんな夢みたいな話、絶対に逃すわけにいかない。

 不思議なことに、この話を聞いた瞬間にあたしはもう受かった気でいた。そして、綺羅が言っていたタイミングが近づいたことも。


「あなたの立夏好きはどこから来るのかしら。まぁ、情熱があるのはいいことなのだけど」

「やっとですよ? 今までほとんど一緒の現場になったことないです。年に数回の事務所の打ち上げくらい……かな?」


 堀さんは腕を組み、不思議そうにあたしを見つめる。

 何も不思議なことはない。あたしは唇を尖らせる。 ずっと目で追いかけてきたけれど、共演はほぼない。

 それが今回ついに隣に女優として並ぶことができる。

 あたしは胸の奥に火がついた気がした。


「確かにね。あなたたち二人だと不思議な雰囲気があるから、オーディションに受かりさえすれば売れるわ」

「頑張ります!」


 堀さんの言葉に深く頭を下げる。

 どこかであたしの命をカウントダウンする時計の音がした。


 *


 ほくほくした気持ちで事務所を出ると、ほのかに赤みを帯びた夕暮れの光が迎えてくれた。まだ生ぬるさの残る風があたしの髪を揺らす。

 日が落ちるのが早くなった。あたしは目を細めると、ゆっくり足を踏み出す。

 隣にはいつものようにいつの間にか綺羅が歩いていた。


「綺羅、これがカウントダウンの始まりかな?」


 あたしが幸せになるとしたら、きっと立夏さんの隣に立つときだ。

 その入口はあたしにすれば死への入口と同じ意味だろう。

 確認の意味しかない言葉に綺羅は面倒くさそうに肩をすくめた。


「よくわかってるじゃん。受かったら死期を早めるだけだよ。辞めるって選択肢も、ないわけじゃないんだよ?」

「辞めるわけないでしょ」


 おかしなことを言う。

 あたしが順調に幸せになったほうが綺羅は嬉しいはずなのに。何よりあたしの願いは立夏さんの隣にいることなのだ。

 綺羅を横目で見てあたしは軽く笑う。


「うん、知ってた」


 綺羅は諦めたようにを苦笑いを浮かべる。あたしの横顔に綺羅の視線がザクザクと剣山のように刺さる。

 自分の命が尽きるとわかっていても、それでも走り続ける。

 あたしはそうすると決めている。


「だって、あたしがそうしたいんだから」


 立夏さんを助けるために命を差し出して、立夏さんの隣にいることで死に向かう。

 不思議なものだとしか言えない。あたしの人生はまるで立夏さんのためにあるようにさえ感じる。

 でもあたしは空を仰ぐ。

 星はビルの光に負けて見えない。それでもあたしには目を閉じても見える星がある。

 それを掴むために、あたしは走り抜けると決めた。

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