第15話 焼肉屋と情報収集


 日が落ちかけた夕暮れの道路を一人で歩く。堀さんから紙を貰ってから、すでに何度か足を運んだ場所だった。

 空には茜色が広がり、雲の輪郭をあわく色づかせている。その下で煌々とした白い街灯が光り始めていた。

 帰り道なのだろう。待ちゆく人々の足取りもどこか軽く、仕事帰りのサラリーマンや買い物袋を提げた主婦たちが多くみられた。

 おしゃれでも何でもない普通の住宅街。そんな日常の中に、焼肉末廣はあった。


「こんにはー」

「いらっしゃいませ、おひとりですか?」

「はい」


 あたしはもはや来慣れ始めた扉をくぐり、一人用の椅子に座った。

 焼肉末廣は個人経営のお店らしく、店内はそんなに広くない。一人用と言っても対面にソファもあり、綺羅はそこに座っていた。とはえい、おしぼりも水も綺羅には出ないのだけれと。

「いらっしゃいませー」と声がかかる度に、あたしは店内を見回す。

 そんなあたしに綺羅が肩をすくめながら呆れたように言った。


「君、やっぱり、もの好きだね」


 庶民的な雰囲気の焼肉屋さんだった。

 派手な装飾はないが、古びた味わいのある木の看板が通りに面して掛けてある。堀さんに教えられなければ絶対通り過ぎていたと思う。

 あたしは目立たない程度に店内を見回す。

 テーブル席には既に数組の客が座っており、そこかしこから煙がゆるやかに立ち上っている。その間を立夏さんは慣れた様子ですり抜けていた。


「バイトしながら女優かぁ……凄いなぁ」


 綺羅の言葉には答えず、あたしは立夏さんの働く姿に小さく頷いた。

 白いシャツを少しだけ腕まくりして、黒いエプロンをかけている。髪はきちんとまとめられ、一本に結い上げられていた。


「すみませーん」

「はい、ただいまっ」


 ただの町にいるには綺麗すぎる姿勢で、手際よく動く姿はまるで舞台の上の役者のようだった。

 声もよく通る。舞台俳優さんはバイトで引っ張りだこになると聞いた気はしたが、その理由が分かる気がした。

 気取らず、でもどこか洗練された所作。いつ来ても立夏さんを見れる場所。それがあたしにとっての末廣になっていた。

 立夏さんはどんな場面でも全力なのだ。


「もう聞いてないし。知ってる? それ、ストーカーって言うんだよ?」


 あたしが立夏さんから目を離さない様子に綺羅が呆れたようにため息を吐く。

 ストーカーとは失礼な。あたしは立夏さんと知り合いだし、きちんと客として来ている。

 立夏さんの働く姿を視界の端に捉えたまま、あたしはメニューを広げた。


「違う、お客」


 パラパラとメニューをめくる。

 さぁ、今日は何を食べようか。実はこれが一番難しい。

 綺羅はメニューを前に悩むあたしを頬杖をつきながら見ていた。


「……食べてから言ったら?」

「う、そんなに食べれないんだよ」

「それでもお客のつもり? まったく、少食なんだから」


 綺羅の呆れた視線に、あたしはわずかに口を尖らせた。

 食べれるなら食べている。元々量が食べれない性質なのだ。

 頼むだけならできるけど、立夏さんの働いているお店で注文しておきながら残すのは絶対嫌。真剣に食べられる量とお小遣いを考える。

 それにしても。


「はぁ、カッコいい……」


 どうしても、立夏さんを目で追ってしまう。見てるだけでお腹いっぱいになりそうで、あたしはため息混じりに呟いた。

 視線の先では立夏さんがテーブルに次々と料理を運んでいる。細い腕なのに信じられないくらいたくさんの皿を持っていた。

 あの美貌なのだから、もっと少ない数でも文句は言われないだろうと勝手に思う。


「焼肉屋の制服にそんなにため息つける君が凄いよ」


 綺羅はあたしの様子に呆れながら、椅子の背もたれに身体を預ける。

 とはいえ、綺羅は実際に食べることはできない。座ることはできてるのに不思議だ。綺羅が食べれるのは人の命と感情だけ。

 あたしはメニューを一度畳んで机に置いた。


「なんていうか、立夏さんて全部に真面目なんだよね」


 出された手元の水を一口飲みながら、立夏さんをじっと見つめた。

 綺羅の皮肉交じりの言葉にも慣れたもので、あたしは自分の想いを口に出す。


「ああ、聞いてない。ていうか、それ独り言だからね。他の人から僕見えないんだから」


 苛立ちを誤魔化すためか綺羅は黒い髪の毛を乱暴に乱した。

 あたしを見る視線はまるで拗ねた子どものようで、とても人の命を食べる存在には見えなかった。

 あたしは綺羅のお決まりのセリフに鞄から台本を取り出す。


「はいはい……いざとなったら、台本読みしてたって言うし」

「そういう悪知恵は回るね」


 机の上に出した台本を軽くめくる。

 大したセリフもない、小さな端役の台本。

 けれど、それでも現場の雰囲気を知るには絶好の機会だった。


「まぁ、実際、無理言って入れてもらってる部分もあるし、貰ったチャンスは生かさないとね」


 ぺらり、と台本をもう一度めくる。

 台本は貰ったが、ほとんどセリフはない。主人公が買いにくるコンビニ店員の役だから、それも当然だ。セリフ自体はすぐに暗記してしまった。

 でも問題はそこではなく、前後の流れや主役の人の空気にどう合わせるか。それと、主演はどうやって演技をするのかを知りたかった。


「前向き、諦めない……その上、努力までする。君、生きてて疲れないの?」


 綺羅の問いにあたしは台本をなぞっていた指を止め、ゆっくりと顔を上げた。

 綺羅は目を細めじっとこちらを見ていた。その視線に首を傾げる。


「疲れる?」


 台本を持ったまま綺羅の言葉を繰り返す。

 自分のしたいことに向かって進んで、ぶつかって悔しくて、時間がないと泣きたくなる。

 それでも諦められないから、前に進む。


「生きるって、そういうことでしょ?」


 少なくとも今のあたしにとって、疲れている暇はない。

 たまに休んでも、眠くなっても、努力をすることは止めないだろう。

 だって、そんな時間はないのだ。

 あたしの言葉に綺羅は笑みを消して、理解できないものを見る顔であたしを見た。


「……僕は今、初めて君を選んだのは失敗だったかなって思ってる」

「ほんと? それはありがとう」


 そのまま命をとるのも止めて欲しい所だ。きっと聞いてはくれないけれど。

 あたしは軽く微笑むと、途中になっていたメニューをもう一度開く。

 とりあえず何か頼もう。肉じゃなくてもいい。

 視線を落としていたあたしの頭に綺羅の声が響く。


「どうやったら君を絶望させられるかな」

「それ本人に聞く質問じゃないから」


 あたしはメニューを閉じて、呼び出しボタンを押した。

 綺羅の言葉に肩をすくめながら、水をもう一口飲む。

 絶望なんてしている暇はない。今のあたしは立夏さんの隣に立ちたくて仕方ないのだから。

 軽く流してはいたが、なんとなく綺羅のことがわかってきた気がした。

 店員そんが近づいてきたのであたしは決めたメニューを明るく注文をした。


「あ、すみません。このミニサンデーください!」

「焼肉屋でそれ?」


 綺羅は呆れながら額に手を当てる。

 店員さんは特に反応もせず、メニューを繰り返すと戻っていった。

 あたしはメニューを端に寄せ、それから綺羅に言った。


「いいの」


 あたしはそれで満足だった。ミニサンデーを食べながらお肉を考えよう。

 その方が長く立夏さんを見てられる。

 あたしは静かに立夏さんの観察と、台本の読み込みを続けるためにテーブルに視線を落とした。

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