第14話 通学路と決意の放課後


 朝の光が柔らかく差し込む中、あたしは爽やかな空気を楽しみながら歩いていた。アスファルトを叩くローファーの音も、たまに通り過ぎていく車の音も、今までと何も変わらない。

 周囲にはあたしと同じように登校途中の学生や、通勤を急ぐ大人たちの姿が見えた。パン屋さんの前を通れば美味しそうな匂いがして、つい買いたくなる。

 いつもと同じ日常の中で隣を歩く綺羅だけが、昨日との違いを示していた。


「ねぇ、あたしが死ぬのって、結局いつなの?」


 周りを見回す。周囲に人は少ない。独り言のような音量なら聞こえないだろう。

 あたしの唐突な質問に、綺羅は眠そうに見える瞳をわずかに大きくさせた。

 驚きとも呆れともつかない表情を浮かべながら、綺羅は軽く肩を竦めて見せた。


「こんな朝からよくそんなこと聞けるね」


 確かに朝の清々しい空気の中で話すような内容ではないと思う。けどそんなことを気にしていられないのも事実だった。

 あたしは綺羅の反応をスルーして通学鞄を揺らした。


「聞けるうちに聞いておかないと、時間が足りないとか嫌だし」


 明日死ぬなら、もう学校に行っている暇はない。だけど半年先なら立夏さんとの距離をもう少し縮めたい。

 立夏さんを好きになったのが10歳の時としても、実際に会ったのは昨日なのだ。

 あたしとしては同僚から、先輩後輩、そしてできれば恋人と着実にステップアップしたい。

 どうせ死ぬなら、できることはしておきた。そう思った。

 だが急に濃くならないのが人間関係で、そういう細かな計算をする時間があるのか、あたしは知りたかった。 


「普通の人間は死ぬのを嫌がるものだし、そこまでの期間も知りたくないと思うよ」


 あたしの言葉に綺羅は通行人とぶつからないように身を軽く避けながら言った。

 見えないのにぶつかると一応の衝撃があるらしい。それも不思議な話だ。


「そうかな? どうせ死ぬのが決まっているなら、そこまでにやりたいことは全部やろうとするんじゃない?」


 あたしは自分の影を追いかけるように歩きながら、ゆっくりと答えた。

 何もしなくても時間は進む。何もしなければ、世界は変わらない。

 あたしに残された時間は決まっている。なら、その時間でできるだけのことをしたい。

 それがあたしが考えた残り時間の過ごし方だった。


「君、本当に、前向きな人間だね……僕も色々楽しくなりそうで嬉しいよ」


 あたしの言葉に綺羅は大きなため息を吐いた後、髪の毛を掻き上げるとどこか楽しそうに笑う。

 綺羅の声は明るいが、彼が好きなのは絶望の中で死ぬ魂だ。

 ろくでもないことを考えているに違いない。


「あたしを絶望させる挑戦できて嬉しいってこと?」

「絶望が深くなりそうで楽しみってこと」

「綺羅、性格悪い~」


 念のための確認はばっちり当たっていた。

 くくっとまるでテレビアニメの悪役のように含み笑いをする。

 あたしはは顔をしかめる。綺羅の言葉を真に受けてても仕方ない。そう思えるけど絶望を願われれば不快感は拭えない。


「どうとでも言ってくれ。それで今日は何するのさ?」


 綺羅はひらひらと手を振ると、口元を緩めながらあたしを見た。

 あたしは晴れた空を見上げながら、なんとなく決めていた予定を口に出す。


「学校が終わったら事務所に顔を出す予定」

「用事があるの?」


 昨日まではなかった。レッスンは週末に組まれている。まだ入ったばかりのあたしは修業期間のようなものだ。

 あたしは一拍置いて、目を細めた。


「情報収集、かな」


 *


 学校が終わると、あたしは綺羅とともに真っ直ぐ事務所へ向かった。

 不思議なもので誰に見えなくても、視界の端に彼がいることに一日で慣れてしまった。

 元からずっと側にいたなら、それもしょうがないだろう。

 昨日ぶりのビルのガラス扉を押し開けると、受付の向こうには忙しそうに電話対応をしているスタッフの姿が見えた。

 平日だからか、昨日より多くの人がいる。

 あたしは小走りに奥へと進み、事務室と書かれた部屋に入ると視線を巡らせる。

 目当ての人はすぐに見つかった。


「堀さん!」


 少し遠くにいた女性が振り返り、あたしに気づくと柔らかい微笑みを浮かべた。あたしは手を上げたまま堀さんに近づく。

 堀さんはあたしをスカウトしてくれた人で、事務所とのやり取りもほぼ彼女を通して行っていた。

 スマホで行くことは伝えていたから、待っていてくれたらしい。


「あら、イロハちゃん。どうしたの?」


 急な訪問だったけれど、堀さんは微笑みを浮かべている。

 できる女の人って感じだ。

 あたしは小さく息を整え、昨日の興奮のまま口を開いた。


「昨日の初めてのレッスンで寅川立夏さんにお会いしたんです」

「ああ、立夏ちゃんはギラギラしてたでしょ」


 堀さんは小さく笑いながら答えた。

 ギラギラしていた。今も瞳の奥の星を思い出すことができる。立夏さんはあたしに燃え移るくらいギラギラしていた。

 端的に立夏さんを表す言葉に、あたしは何度も大きく頷く。


「はい、とても!」


 あたしの反応に堀さんはわずかに目を丸くした後、満足そうに頷いた。

 事務室のざわめきの中で、あたしの周りだけが違う空間のようだった。


「あたしも立夏さんみたいな女優を目指したいので、今のあたしにできることを教えてください」


 あたしはあたしにできることをするだけ。

 けど、あたしには時間がない。そのためには早足にならないといけない。なりふり構わず。

 堀さんをじっと見つめる。一瞬の沈黙の後、堀さんは腕を組みながらまるでこちらを試すように問いかけた。


「イロハちゃんは学生の間はセーブするんじゃなかった?」

「学校第一は親との約束でもあるんで守ります。だから、それ以外にできることは全部早くしたいんです」


 学校をないがしろにすることはしたくない。それこそ明日死ぬとかじゃない限り。

 学校は日常で、日常を壊さないで済む範囲で急ぎたい。

 あたしのの言葉に堀さんは少し考え込むように視線を落とした。そして、ゆっくりと頷く。


「……本気?」

「はい!」


 あたしは即答した。本気でければ、昨日の今日で事務所に来るわけがない。その即答に堀さんは軽く笑ってくれた。


「そう……じゃあ、まずここに行きなさい」

「ここ、ですか?」


 堀さんがスマホを見ながら、小さなメモ用紙に何かを書き写す。

 それから差し出された紙を受け取ると紙には【焼肉末廣】と書かれていた。


「あなたが学びたいものがあると思う。一応、目立たない格好で行ってね」

「わかりました」


 あたしは紙をじっと見つめた。

 この場所に何があるか分からない。

 だけど、あたしには取捨選択をしている暇はない。良さそうなものをすべてする。時間が来るまでひたすら。

 それだけが、竜山イロハが寅川立夏の隣に並べる可能性なのだから。

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