第189話 全く仲良くない親戚と出会ったときのような気持ち
洞窟の出口から外を見ると、そこは寒々とした印象の針葉樹林のようだった。
空には暗い雲が薄く広がり、朧げな月がわずかに森を照らしている。
木々は俺の目の錯覚ではければ、灰色や黒に近い色付けがなされた幹と枝に、紅葉のような赤い針状の葉をつけている。
そうでないものは、白く枯れていたり、変に拗れたりしていて生気がない。
少なくとも、まともに光合成する気があるようには見えなかった。
足元もまた栄養のなさそうな灰色の土が広がり、ポツポツと生えた木々の間にこれまた不気味な緑赤の草が生えている。
道と呼べるほどの道はない。だが、通るのを躊躇するような藪なんかも、見える範囲には広がっていない。
時折、大きめの岩が転がっていて、その表面に赤いシダ植物と、人の皮のような何かがこびりついている。皮苔とでも名付けようか。
端的に言えば、日本の森をイメージしてもかけらも出てこないような、死んだ森に見えた。
「さすがに、ダンジョンだな」
思わずこぼれたのはそんな感想だった。
人間の生存圏ではない、魔物の領域。
それを森で露骨に表現するとこんな感じになるのではないだろうか。
『ここで食料を探しますか?』
「……いや、ちょっと、保留で」
クミンの言葉に、俺は断腸の思いでそう答えた。
まだ、まだ分からないから。
ぱっと見は森の恵み的なものが何一つ無さそうなフィールドだけど、それはまだ探索してないからそう思えるだけで。
このまばらに生えている攻撃的なつくしみたいな赤い草だって、もしかしたら美味しいかもしれないし。
だが、今はチャレンジするにはまだ早い時間だ。
まずやるべきことは、スケルトンスカウトを屠った何者かの調査である。
「今夜は、とりあえず敵が居ることが判明している場所に向かい、その調査をする。可能な限り隠密状態で進むけど、見つかった場合、基本は逃走優先だ」
『倒せそうなら倒さないんですか?』
「ゴーレムを当てて様子を見るくらいにしたいな。無いとは思いたいけど、フィールド型だと、モンスターがトレインする危険性もあるから」
俺がフィールド型のダンジョンで一番怖いのは、モンスターの総数がまるでイメージできないことだ。
これまでの通路型のダンジョンなら、基本的に戦闘は一パーティ基準で行われていた。
ゴーレムは特殊な例だから除くとしても、スケルトンだって基本的に二つ以上のパーティが合わさることは──階段前を除けば──なかった。
それは、通路という特性上、モンスターの群れが一定以上離れて配置されていたのが大きな理由だと考えている。
要するに、たとえ壁の一枚向こうに他のモンスターの群れがいても、通路を進んでこなければ合流できなかったということ。
ものすごく近い場所にいれば合流したかもしれないが、そのあたりのバランスはダンジョン側が保っていたのだろう。
しかし、フィールド型のダンジョンであれば、そういう距離的な制限はだいぶ緩和されてしまう。
戦闘音が聞こえた場所にまっすぐ向かってくることができてしまうからだ。
もしかしたら、倒せると思ったモンスターと戦っている間に、戦闘音を聞きつけた他のモンスターに囲まれて死亡──なんて可能性もあるのだ。
そうならないためにも、最初は逃走を前提とした様子見。
このダンジョンなら、最悪大量のモンスターをトレインしてしまっても他の人に迷惑をかけることはないし、俺たちなら逃げ切れるだろう。
俺とクミンで逃げきれないなら、もうおしまいだよこの階層。
というわけで、モンスターの習性を観察し、ゴーレムあたりをぶつけてステータスも確認し、作戦を立てた上で適切に狩れると判断したところで初めて狩りに移行したい。
「五階層まで到達し、気分がかなり高揚している自覚があるんだ。だから、興奮を極限まで抑え付けて、今日は可能な限り戦わないでおきたい」
ダンジョンに潜っているときの、浮き足立つような感覚を俺はようやく客観的に見られるようになってきた。
少しでも油断をすれば『HPもCPも満タンなんだし一発ぶつかって見ようぜ!』とか言いたくなる俺がいる。
それを自覚し、意識して切り離すことで、俺はどうにか冷静な自分を取り繕っている。
並列思考のスキルを獲得したことによる、思わぬ副産物である。
だが、そんな俺でも、実際に戦闘を目の当たりにしたらどうなるかは分からない。
だから、クミンには今の段階で作戦を共有しておくのだ。
何かあった時に、俺を止めてもらえるように。
「というわけで、最初はスケルトンスカウトに先行させながら、俺とクミンは隠密状態で後を追う。スケルトンスカウトがやられたあたりに近づいたら、クミンが『夜のカーテン』を使ってくれ」
『それで、モンスターの様子見ですね』
夜のカーテンについては、おそらくあまり意味はないとは思っている。
夜の時間にスケルトンスカウトを狩っている時点で、十中八九暗視持ちではあるだろう。
だが、それに合わせて俺とクミンに『闇纏』まで発動すれば、スケルトンスカウトよりは隠れていられると踏んだ。
「一応、吸血鬼関連で想定できるモンスターとしては、狼、コウモリ、カラス、人狼、そのあたりか」
パッと、吸血鬼の眷属になっていることが多いモンスターをあげてみる。
当然だが、この中なら人狼が最悪だ。
なにせ俺たちは銀製の武器なんぞ何一つ持ってないからな。
……まぁ、俺が持っている吸血鬼に効きそうなアイテムも、我が家においてあった数少ない薬味であるニンニクチューブくらいなんだけどな。
「せめて十字架くらいは用意しておくべきだったか」
『十字架ですか?』
「ああ。吸血鬼に特効だと信じられているアイテムなんだ」
まぁ、俺は十字架的な神様に対する信仰は今ひとつなので、助けてもらえる気はあんまりしないのだが。
いざとなったら土石魔術で適当にこさえることにしよう。
さて、いつまでも出口のところでうだうだしていていも仕方ない。
俺とクミンは、新たにサモンしたスケルトンスカウトを先頭において、ようやく洞窟の外に出た。
後ろを振り返ると、なるほどスケルトンスカウトたちが扇状に広がっていた理由がわかる。
「この洞窟は、崖の中にくりぬかれている感じなのか」
俺の目には、洞窟の穴以外は入れそうなところが見当たらない、壁のような崖が広がっているのが見えた。
オートマッピング先生によると、少なくとも見える範囲には崖の切れ目などはなく、見上げる範囲でも崖の頂上は存在しないようだ。
「これがゲームだったら、逆走して崖の上までたどり着くと隠しアイテム──なんてのが意外とあるんだけどな」
『ウチが探ってきましょうか?』
「…………いや、無駄骨になる気がする。クミンの壁登りも無制限ではないし」
俺がもしそういう隠しアイテムを仕込むとしたら、少なくとも目に見える範囲にゴールを設定すると思う。
ステータスを得て相当強化された俺の目でもっても見えないくらいの頂上は、到達不能と言っても差し支えない。
そういう探求は、茉莉ちゃんを救い終わって時間が余って仕方ない時に、命の安全を十分に確保してから行えばいい。
「今はスケルトンくんを追おう。ずっと待たせっぱなしだ」
「カチカチカチ」
呼び出すだけ呼び出しておいてずっと待機状態だったスケルトンくんは、俺の声に応えるようにカチカチと歯を鳴らした。
それから、薄暗い森の中をスケルトンくんより少し遅れるようにして付いていく。
オートマッピング先生によると、やられた二体はそれぞれ離れた場所で敵と交戦している。
戦ったのは違う群れだろう。
そいつらがどれくらい移動するのかは分からないが、フィールドには徘徊用の道もないのだし、向かったところで遭遇できないかもしれない。
そういう可能性も考慮しつつ、俺は足元の植物をふと眺める。
相変わらず、人間に美味しく食べられることは微塵も考えていないような、攻撃的な色だ。
春の野草であるつくしを彷彿とさせる形をしているが、サイズはそれよりも大きい。三十センチくらいの長さがある。太さは二センチほどか。
簡易鑑定を軽くかけてみたところで、返ってきたのはこんな表示。
──────
草?
状態:正常
──────
(もはや草かどうかも自信ないのかよ)
簡易鑑定は本当に、呪腐魔病の診断以外に使えることないな。
声に出さないようにした俺のツッコミを受けて、俺よりほんの少し前を歩いていたクミンが振り返る。
(食料探しは保留なんじゃ?)
(食料と思って見た感じじゃないんだけどな)
本当にちょっと気になっただけだった。
俺はしゃがんで、何とは無しに草を一つ採取してみようとする。
そして根元で茎を手折ったところで、後悔した。
(うぉっ!?)
俺は、思わず採取したつくしもどきを手放した。
そのつくしもどきの切りとった断面からは、まるで血液のような赤い液体がじゅくじゅくと溢れ出していた。
(上杉さん怪我しましたか!?)
(いや、してないけどっ)
(でも、すごい血の匂いですよ!?)
(まじか)
血液のような液体と思ったけれど、本当に血液を垂れ流しているのか、このつくしもどきは。
思わず背筋に寒いものが走る。
吸血鬼の森林樹海だ。吸血鬼の生態は知らないが、もしかしたらこれらのフィールドは、吸血鬼たちのための楽園のようなものだったりするのだろうか。
(とりあえず、この場所を離れましょう。この香りが何かをおびき寄せるかもしれません)
(ああ──っ!!)
そう思ったのも束の間だった。
俺とクミンは、揃って目を一方向に向ける。
その先にいるスケルトンスカウトも、ほんの少し体を強張らせたような気がした。
直後、クミンは『夜のカーテン』を起動した。
俺もまた、闇纏で俺とクミンを覆い、鍾馗にも重ねがけしておく。
そこまでやったあと、俺たちは散開してスケルトンスカウトを見張りつつ、自身は隠れられるポジションについた。
手頃な岩の陰と、少し葉付きのいい木の枝の中。
そのあたりで、何者かがこちらに向かってくるような足音を耳が拾う。
四足歩行の獣の足音ではない。
土の上を歩いているので分かりづらいが、硬質な何かの足音とも感じない。
かといって、足音を殺すような独特の気配も微塵もない。
まっすぐ、本能に従ってこちらにゆっくり向かってくるような、二足歩行の何かの足音。
スケルトンスカウトが身構え、そいつらは姿を現した。
一体、二体、三体──そう数えている間に続々と増えていく、その人型のモンスターを見て、俺は悲鳴をあげるのを懸命に堪えていた。
高揚など、とんでもない。
胸に去来するのは、思い出したくもない恐怖と、理不尽への怒り。
鍾馗の柄を血が滲むほど握りしめながら、俺はそいつらを凝視していた。
不意にそいつらは、スケルトンスカウトに気づいて、うめき声をあげた。
「グゥルルルル」
「グルゥウゥウウ」
まるでいたぶる獲物を見つけた、犬のような声で。
吸血鬼になり損なった、死体のできそこないのような動きで。
その、犬のような顔を持った、人型のモンスター。
グールの群れが、スケルトンスカウトに襲いかかるのを、俺は静かに目撃した。
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