第5話 エリザ視点

「待って! ねぇ、待ってったら! アレク!」


 ドレスの裾が乱れることも構わずに、長い廊下を走る。大丈夫、アレクは見失っていない。彼が走っていたら確実に追い付けなかったけど、アレクはいつものように、背筋をぴんと伸ばした状態ですたすたと歩いていた。後ろ姿はいつもと変わらないように見えるけど、彼はものすごく傷ついているはずだ。何がどうなって私と料理長が、なんて勘違いをしたのかわからないけど、思い込みの激しい彼のことである、これはきちんと説明しないと、確実にとんでもないことになる。


「きゃっ」


 普段走ることなんてあまりないから、足がもつれてしまう。手をついたお陰で顔から転倒する、なんて事態にはならなかったけれど。でも、持っていたチョコレートは床に落ちて転がってしまった。


「エリザ!」


 焦った様子の声が聞こえて顔を上げる。

 数メートル先にいたアレクが、真っ青な顔で(※あくまでも顔色のみです)こちらに向かっているのが見えた。


「済まない。僕のせいだ。君を走らせるなんて」


 そう言って、膝をつき、手を伸ばす。こんな時だって彼は優しい。その手を取り、逃がすか、と強く握った。


「良いのよ、これくらい。ねぇ、それよりもお願い、話を聞いて?」

「君の話ならいつだって聞こう」

「さっき聞いてくれなかったじゃない」

「……そうだったか?」


 廊下のど真ん中である。

 幸いなことに、周囲には誰もいなかった。もしかしたら、空気を読んで外してくれているだけかもしれないけど。


「私、あなたにチョコレートを贈ろうとして」

「え」

「何よ。『え』って。いらないの?」

「まさか! そんなことはない!」

 

 てっきり、もらえないものかと、と無表情のまま俯く。


「何で?! あなた私の夫よね!? どこの世界に夫にチョコを渡さない妻がいるのよ! ねぇ、今日はバレンタインよ? バレンタインって何の日か御存知ないのかしら?!」

「知ってるさ、もちろん。女性が男性にチョコレートを贈る日だ」

「違うわ」

「え」

「『好きな男性』に、チョコレートを贈る日よ」


 私が好きでもない人に贈るような女だと思って? と意地悪く言うと、アレクは、首がもげて飛んでいくんじゃないかってくらいに高速で首を横に振った。首の骨が疲労骨折しそうだからやめて?


「あのね、ええと、それで、実は毎日練習してたの」

「練習?」

「だってまさかあなたに贈るものなのに、料理長に作ってもらうわけにもいかないでしょ? 私が作ったものを食べてもらいたくて」

「君が、僕に……?」

「だけど、あの、笑わないで聞いてね?」

「僕は笑ったりしない。知っているだろう? 僕がなんて呼ばれているかを」

「あぁ、まぁそうなんだけど」

 

 そりゃあ鉄仮面伯爵ですものね。むしろ鉄仮面が笑ったらホラーよね。いや、そうじゃなくて。


「何度作っても、ガチガチに硬くなるの」

「うん? 硬く? チョコレートというのは、固まっているものではないのか?」

「そうなんだけど、そういう次元じゃないの」

「キャンディのようになったということか?」

「そんな次元の硬さじゃないの」

「ということは、もしかして――」


 私は、神様から加護を授かりし聖女だ。

 私が賜った加護は『石』。それも、『堅牢の石』と呼ばれる、それはそれは硬い硬い、ガッチガチに硬い『石』の加護だ。


「石並みに硬いの……」

「石並みに、といっても所詮はチョコレートだろう? 口の中で溶かせば」

「溶けないの! 溶けなかったの! 試しに嚙んでみようとして、あまりの硬さに歯が欠けると思ってやめたの。それでハンマーで叩いてみたんだけど、びくともしなくて。あのね、私じゃなくて、料理長の力でよ?」

「御年六十とはいえ、男の力でも砕けないとは」

「何度やっても駄目だったの。申し訳なくて、どうしようって毎日悩んでて。今日こそは、って思ったんだけど」


 それにいま転んだ拍子に床に落ちちゃって、とハート型のチョコレート(らしきもの)を見せる。掃除が行き届いているお屋敷だけれども、それでも床に落ちた物はさすがに不衛生だ。


「エリザ」


 優しい声色に、じわ、と涙が込み上げてくる。


「ごめんなさい、アレク」


 どうして私は石の加護なんて賜ってしまったのだろう。こんなの、噴石が直撃しても平気ってくらいのメリットしかないじゃない。


「エリザ、謝る必要なんてどこにもない」

「だけど」

「良いんだ。僕は、その気持ちだけで嬉しい。君が僕のために用意してくれようとしたことが嬉しいんだ」

「でも私」

「お願いだ、エリザ。謝らないでくれ。僕のためにしたことで、君が傷つくことはない。僕は嬉しい。本当だ」


 アレクの言葉に嘘はない。

 この人は元々嘘をつけるような人ではないのだ。

 だからきっと、本当に嬉しいと思っているのだろう。


「もし良ければ、それを僕にもらえないだろうか」

「でもこれ、食べられないわよ? いくらアレクでも」

「さすがにハンマーでも砕けないものは僕だって食べない」

「じゃあどうするの?」

「飾る」

「え」

「いずれにしても、君からもらったチョコレートはどうにかして永久保存するつもりだったんだ。だから、問題ない」

「え、っと?」

「だけど心優しい君のことだ。食べずに飾るなんて言ったら、きっと悲しむだろうと思っていた」


 だけどこれなら心置きなく飾れる、と言って、彼は私だけに見せる特別な笑みを向けた。


 え、ええと。えっとぉ……。これは、ハッピーエンド、ってことで?


 良いのかしら。

 良いのかしら?

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