第3話 エリザ視点
「もう、どうして?! どうしてなの?!」
「落ち着いてください、お嬢様――じゃなかった、奥様!」
「大丈夫よリエッタ、あなたにとって私は永遠のお嬢様――なんて言ってる場合じゃないわ」
「ええ、そのようでございますね、奥様」
「うーむ、これはどうしたものか」
厨房である。
クローバー家自慢の厨房である。
そこで私と侍女のリエッタ、メイド長のケイシー、そして料理長のジェフが調理台の上にある『モノ』を囲んでいる。
「何で? どうして? 私、溶かしたチョコを固めただけよ? ね? 見てたわよね? ね?」
「見てました! 私! ちゃあんと見てました!」
リエッタが、瞬き防止に指でしっかり上下の瞼を押さえてこくこくと頷く。うーん、さすがにそこまではしなくて良かったんだけど。
「わたくしも見てましたとも!」
さすがにケイシーはそこまでしていないけれども、それでも目はかっ開いた状態だ。
「私もしっかり見ていました」
この道ウン十年の大ベテランである料理長のジェフも、調理台の上のチョコレートをじぃっと見つめている。
「そうよね? そうよね?! 私何も悪いことしてないわよね?!」
「してませんとも! 神に誓って、お嬢様は市販のチョコレートを溶かしただけです!」
「そうですとも! そして、それを冷蔵庫に入れただけでございます!」
「そうです。その冷蔵庫は我々も普段使用している、何の変哲もない――保冷力と収納力が自慢というだけの、何の変哲もない冷蔵庫です」
「料理長だって、普段これでチョコレートのお菓子を作るのよね?」
涙目になって料理長を見ると、彼は私から少し目を逸らして大きく頷いた。
「もちろんですとも。ありとあらゆるスイーツをこれで冷やしてきました」
「料理長、どうして目を逸らすのかしら? ちゃんと私の目を見て言って!」
「も、申し訳ございません奥様。あの、あまり見つめると坊ちゃまに申し訳ない気がして」
「そんなのイチイチ気にしなくて良いわよぉ! アレクのことは一旦置いといて! ちゃんと私を見てぇ!」
なんか不安になるから! プロから目を逸らされたら、なんかすんごい不安になるからぁぁぁ!
お願い、こっちを見て、と料理長の腕を掴む。
「お、奥様、ちょっと声を押さえて。坊ちゃまの耳に入れば大変でございます!」
「入らないわよ! ルーベルトさんにお願いしたもの、アレクを絶対に近付けないで、って。それに厨房の扉の前にはメグが――」
立ってて、と出入口の方を指差す。
「え」
その指の先に、彼がいた。
「な、何で、アレク」
いつもと変わらぬ無表情だったけど、私にはわかる。きっとあれは、ものすごく絶望した顔だ。きゅ、と拳を握り締めて、眉間にしわを寄せている。
「君と、話がしたくて」
「で、でも、メグが。私、絶対にここには入らないようにってお願いしてて」
「だが、彼女らの主は僕だ」
「そう、だけど」
無理やり命じて退かせたってこと?
「済まなかった。そうまでして、僕を避けたかったとは」
「え」
「料理長だったのか」
「は、はい?」
「君が心を奪われている相手は」
「ちょ、何言ってるの?」
「僕は、祝福するべきなのだろうか」
「坊ちゃま? 何を」
「済まないエリザ、料理長。僕は狭量だ。君達を祝福することは出来ない」
「アレクサンドル様、何か誤解をなさっておいでなのでは?」
「そうよアレク、誤解よ! 私、料理長とは何も――」
「良いんだエリザ。僕も彼のことは信頼している。少々年齢差はあるが、まぁ、うん」
そう言うなり、彼はくるりと回れ右をして、扉に手をかけた。
「少々どころじゃございません! 私、もう六十ですよぉ!?」
料理長の言葉を無視して、キィ、と扉を開け、その身を滑り込ませるようにして彼は出て行った。
あまりのことに、その場の全員が一瞬フリーズした。え、何? これ、何? アレク、完全に勘違いしてたわよね? そう思いながら全員と目を合わせて小さく頷く。そうしてから――、
「いや、こんな悠長なことしてる場合じゃないわ!」
「そ、そうですよ、お嬢様!」
「追いかけてくださいまし、早く!」
「私、死んだ妻に刺されます! お願いします、奥様!」
亡くなった奥様はそんなことしないんじゃないかしら? と突っ込んでる暇はない。とにもかくにも追いかけて誤解を解かないととんでもないことになる。下手したらいまごろ遺書の文面を考えているかもしれない!
急ぐのよ、エリザ!
と駆け出してから、一応これも、と調理台の上のチョコレートを掴んだ。ラッピングも何もしてない、むき出しのものだ。だけど、一応、一応ね! だって今日はバレンタインですもの!
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