”シンデレラ” のその後の話 〜あの子に王妃は荷が重すぎない?!〜

@baudayo

”シンデレラ” のその後の話 〜あの子に王妃は荷が重すぎない?!〜

ーーーーー来たわね。




 王子とその従者たちが堂々と門をくぐる姿を、私はカーテンの隙間から見つめていた。


 王子は整った顔に自信満々な笑みを浮かべている。その後ろでは、従者たちが厳かにガラスの靴を掲げていた。




 「今こそ、昨夜の舞踏会で私と踊ったご令嬢を見つけ出すのだ!」




 そんな感じのことを言っている。まるで英雄の大号令だ。


 私の隣では、母がハンカチを握りしめながら震えている。


「これで王宮に嫁げるわ…!」


と目を輝かせている姉・トリシャは、鏡の前で髪をいじるのに余念がない。




ーーーーーだが、そうはさせない。




 ドンドンドンッ!


 扉をノックする音が響き、母が慌てて居住まいを正す。




「ごめんください。我々は王子陛下のご命令を受け、ガラスの靴がぴったり合う乙女を探しております」




 母が私と姉を手招きし、トリシャは「さぁ!」と華麗に髪を振りながら前に出た。しかし、私はその瞬間、全身の力を込めて膝を折り…




「申し訳ありませんでしたぁあああああ!!!」




 土下座した。


 従者も母も姉も、目を見開いている。


 だが、私は止まらない。




「エラ!!!エラ!!!こっち来るのよ!!!」




 勢いよく立ち上がると、玄関の奥へと駆け出した。納屋の鍵を思いっきり蹴飛ばし、ドアを開け放つ。


 埃まみれのシンデレラ——本名エラ——が、驚いた顔でこちらを見ていた。




「……ステラシアお義姉様?」




 私は彼女の手を取り、颯爽と玄関へと戻る。そして、王子が見守る前で、ガラスの靴を履かせた。


 ピッタリだった。


 素晴らしい!!!完璧!!!


 私はエラの肩をぐっと掴み、目をキラキラさせながら言い放った。




「エラ!!!王子といってらっしゃい!!!うちのことは気にしなくていいから!!!!」




 エラは唖然としていたが、王子が感動した表情で彼女の手を取ると、ついに観念したように彼に従った。




 そして私は、彼らを見送りながら改めて考える。




 ——そう、私はこの世界が「シンデレラ」の物語であることを知っている。なぜなら、私は前世の記憶を持っているからだ。




「シンデレラ」——それは誰もが知っているおとぎ話。


 継母と義理の姉たちにいじめられた美しい少女が、魔法の力で舞踏会に行き、王子と恋に落ちる。ガラスの靴を落として帰るけれど、その靴を手がかりに王子が彼女を見つけ出し、めでたく結婚して幸せに暮らしました……っていう、よくある「ハッピーエンド」の話。




 そして、いじめていた義理の妹は、このおとぎ話の主人公。


 このまま物語が進めば、王子と結ばれ、めでたしめでたし。


 ……とはいえ、本当にそれでハッピーエンドになるのか?


  私は知っている。このままでは、シンデレラは幸せになれないことを。


 だからこそ——




 「このまま終わらせるなんて、バカみたいじゃない?」




  私は一つため息をつき、立ち上がる。


  まだまだ、やることは山ほどあるのだから。




**********




 私が前世の記憶を思い出したのは、王宮の舞踏会の夜だった。


 それは、本当にくだらない出来事だった。姉のトリシャと髪飾りの取り合いをしていたとき、勢い余ってお互いの額をぶつけてしまったのだ。




「これ、私のよ!」


「は? 私のに決まってるじゃない!」




ーーーガツンッ。


 鈍い音が響き、私は一瞬、目の前が真っ白になった。


 そしてーー次に気づいたとき、頭の中がざわざわと騒がしくなっていた。


 なんだこれ? なんか、知ってる。見たことある……いや、これ、知ってる話じゃない?


 額の痛みなんて忘れるほどの衝撃が、私の中に広がった。




「……マジ?」




 気づけば、手にしていた髪飾りをポトリと床に落としていた。トリシャがそれを素早く拾い上げ、勝ち誇ったように私を見下ろす。




「ふん、初めからそうしてればいいのよ!」




 トリシャは得意げに鼻を鳴らして鏡の前に戻っていった。相変わらず、救いようのない“意地悪な姉”そのものだ。でも、問題はそこじゃない。私も同じようにエラをいじめていたという記憶が、今まさに頭を締め付けるように蘇ってきたのだ。




「……ヤバくない?」




 本気で鳥肌が立った。


 だって、今日はもう舞踏会の夜。すでに私は、物語の中で悪役ルートを突っ走ってるわけで。




「これ、もう手遅れだったりしない?」




 冷や汗が背中をつたう。トリシャは自分の髪型に夢中で気づきもしないけど、私は心の中で絶叫していた。


でも——




「いや、まだ間に合う。間に合わせる!」




 私は無理やり自分を奮い立たせ、急いで身支度を整えた。とりあえず王宮には行かないと怪しまれる。でも、目的は違う。


 母とトリシャと一緒に馬車に乗り込み、王宮へと向かう間も、私の頭の中はフル回転だった。どうやってこの状況をひっくり返すか、それだけを考えていた。




 王宮に着くや否や——




「じゃ、ちょっと用事思い出したから!」




 私はそう言い放ち、従者たちの驚いた顔を背に馬車を引き返させた。母もトリシャも気づいていない。いや、気づいてもきっと「またステラシアがヘソ曲げた」くらいにしか思わないだろう。都合がいいことこの上ない。




 家に戻ると、こっそり庭の木陰に身を潜めた。しばらくして、私の予想通りの光景が目に飛び込んできた。




「ビビデバビディ・ブ〜♪」




 出た、魔法使い。


 魔法と共に現れる、あの輝くようなドレスに、かぼちゃの馬車。物語通りにことが進んでいく様子を、私はじっと見守った。




「いいですね、午前0時の鐘が鳴るまでには帰ってくるんですよ」




 魔法使いの優しい声に、エラはしっかりと頷いた。


 そして、キラキラのドレスをひるがえしながら、かぼちゃの馬車に乗り込んでいく。


 私は思わず、肩の力を抜いて深呼吸した。






「ふぅ……とりあえず、ここまでは順調」




 魔法使いも同じくほっとしたのか、杖を肩にかけて庭を見回していた。ーーその隙を、私は見逃さなかった。




「ちょっと待ったぁあああああああああ!!!!!!」




 私は木陰から全力で飛び出した。魔法使いが驚いて杖を落とす。エラの馬車も心なしか、走りながら少し跳ねてた気がする。でも、そんなの知ったことじゃない。




「アンタ! 魔法使い! ちょっと魔法、私にも教えなさいよ!!!」




 魔法使いは目を丸くして私を見つめ、しばし口をパクパクさせたあと——




「な、なぜあなたがここに?!予言では、あなたは王宮にいるはずじゃ…!」




 と慌てふためく。


 は? 予言?


 その言葉に、私は眉をひそめる。




「予言?」




 私は一歩詰め寄った。




「ちょっと、それってどういう意味? やっぱりこの世界って『シンデレラ』の世界ってこと?」




 魔法使いは明らかに狼狽えて、視線を泳がせた。




「そ、そのシンデレラってのはよくわからないのですが……私は師匠の予言通りに動いているだけなので……」




 師匠の予言? ますます訳がわからない。




「その予言ってのは何なのよ?」




 魔法使いは観念したように、ため息をつきながら説明を始めた。




「その……幼少から二人の義姉と継母に虐められている、エラって名前の娘がいてですね。その子を舞踏会に私が行かせると、その娘は靴を一つ忘れて帰ってくる。それで王子がその靴に合う乙女を探し出して、エラを見つけて結婚する……という予言を、私の師匠がしたのです。だから、私は師匠の命を受けて、こうしてあの娘に魔法をかけたんですが……」




「……」






 聞けば聞くほど、まんま『シンデレラ』じゃないの。




「やっぱり、この世界ってシンデレラの世界じゃないのよ……」




 私は呆然と呟いた。だけど——そんなこと考えてる場合じゃない。




「って、こんなことしてる場合じゃない! 魔法を教えなさい、魔法!! じゃないと大変なことになるのよ!」




 魔法使いはキョトンとした顔で私を見た。




「え? なんでですか?」




 呑気すぎる魔法使いの態度に、 私は思わず額を押さえた。




「師匠の予言は絶対なんですよ?」




 と、魔法使いは言葉を続ける。




「回避しようとしても必ずその通りになるし、回避行動を取ろうとすると時空が捻じ曲がってしまいますから、無駄です。しかも、エラが王子と結婚してハッピーエンドなら、何の問題もないじゃないですか?」




 とぼけたその顔が、余計にイラッとくる。




「もしかして、自分が王子と結婚したかったとか?」




魔法使いがクスクス笑う。




「いや別に……!」




 私は顔が熱くなるのを感じた。乙女心や恋心からくるものではない。シンプルに、記憶を取り戻す前の自分が「王子と結婚したい〜」と宣い、「王子にふさわしいのはあたしよ。こんな灰だらけのエラじゃなくてね!」とか言っていた自分を思い出して、ものすごく恥ずかしくなったのだ。…って、違う! そういう問題じゃない!


 そんな私にお構いなしに、魔法使いは続ける。




「ガラスの靴に足をフィットさせるための、足を小さくする魔法はあるけど…かけられないですよ。ーー普通に、バランス悪くなって歩けなくなるからね」




「いや、だから結婚したいわけじゃ——って、バランス???? ちょっと、魔法なのにそういうところは融通効かないわけ?」




「物理法則は無視できないからね」




「いやいや、足が小さくなること自体が物理法則ガン無視でしょうが!」




 私は思わずツッコんでいた。自分でも驚くほどの大声だった。




「ーーーって、だから! 私は王子と結婚したいわけじゃないってば!!」




 魔法使いは首をかしげた。




「じゃあ、何がいけないのさ?」




 その問いに、私は息を深く吸い込んで——




「問題なのは、エラが結婚しても幸せになれないってことよ!」




 魔法使いの目がパチパチと瞬き、沈黙が流れる。




「……え?」




 信じられないって顔してんじゃないわよ! 私は魔法使いのローブを引っ張りながら叫んだ。




「結婚して終わりじゃないの! その後の生活が大事なのよ! エラはこのままだと、王宮で地獄を見るわ! だから、助けなきゃいけないの!!」




 魔法使いは首をかしげたまま、私の顔をじっと見つめている。どうやらまだ納得していない。




「……だから!」






 私は思わず身を乗り出した。




「王子と結婚してハッピーエンドに見えるかもしれないけど、現実はそんな生易しいものじゃないのよ!」




 魔法使いは瞬きを一つして、静かに私の言葉を待っている。私はその視線に後押しされるように、熱を込めて語り始めた。




「王宮ってのはね、ただの豪華なお城じゃないの。そこには権力争いとか、嫉妬とか、いろんなドロドロが渦巻いてるの! 平民出身のエラが王子と結婚することで、周囲の貴族の令嬢たちが黙ってるわけないでしょ?」




 魔法使いは少し目を見開いたが、私は止まらない。




「王妃って職業は、ただドレス着てお茶飲んでるだけじゃないのよ! 政治の知識も必要だし、外交のマナーも完璧じゃないといけない。だけどエラはどう? 今まで掃除と洗濯しかしてこなかったのよ?… いや、させてたのは私たち家族だけど!」




 自分で言っていて、胸が痛む。でも、事実は事実だ。




「このままじゃエラは、例えば——舞踏会で令嬢たちに嫉妬されて、飲み物かけられたり、侍女にいびられたり、嫁姑問題に苦しんだり、晩餐会で、わざとマナー違反を誘発されて、貴族たちに笑い者にされるのよ!」




 私の声はどんどん大きくなっていく。魔法使いは少し後ずさりしながらも、真剣に耳を傾けてくれている。




「結婚してしまうのは予言だから仕方ないわ。でも、その後——どうにかしてエラを救い出さなきゃいけないの!」




 私は拳を握りしめ、息を切らしながら魔法使いを見据えた。


 沈黙が流れる。


 しばらくして、魔法使いはぽつりと呟いた。




「貴族とか王族って……えげつないんですね……」




 ……そこか。


 でも、まぁ、理解してくれたならいいわ。




「わかりました」




 魔法使いは真剣な表情に戻り、静かに頷いた。




「あなたを魔法使いにします」


「えっ、そんな簡単にいいの?」




 私は思わず聞き返した。あまりにあっさりした返事に、逆に拍子抜けしてしまう。


 魔法使いはクスリと笑いながら、説明を続けた。




「魔法使いは生涯で1人までしか弟子を取ることができないんです。私はまだ弟子を取ったことがないから、あなたにすることにしました」




「え、でも……そんな貴重な弟子枠、私が取っちゃっていいの?」




 私が戸惑いながら尋ねると、魔法使いは少し照れくさそうに微笑んだ。




「だって、君があんなに熱心に妹を救おうとしている姿を見て……なんというか、心を動かされたというか…」




その目が、まっすぐに私を見つめてくる。




「君のことを、もっと知りたくなった」




 ……なに、それ。


 急に真面目な顔しないでよ……。


 今まで気づかなかったけど、よく見ると魔法使いのフードの奥から見える顔立ちは、意外にも整っている。柔らかな瞳、すっと通った鼻筋……そしてその声が妙に心に響いて——


 少し、ドキッとしてしまった。


 いやいやいや! 何考えてるの、私! これはエラを助けるためでしょ!?


 でも、鼓動が少し速くなっているのを自覚しながら、私は魔法使いの手を取った。




「……お願いね。絶対、エラを助けるわよ!」




魔法使いは優しく頷き、しっかりと私の手を握り返した。




「ええ。二人で、絶対に」




 この物語をただのハッピーエンドで終わらせないために——私は魔法を学び、エラを救い出す。それが、今の私の使命だ。










「じゃあ、早速魔法使いになる儀式を始めましょう」




 魔法使いは、まるで「さぁ、クッキーでも焼きましょうか」くらいの軽さで言った。私は思わず眉をひそめる。




「え、そんな今すぐできるものなの?」




 もっと神秘的で、儀式的で、何なら満月の夜にでもやるんじゃないの? と首をかしげる私に、魔法使いはあっさり答えた。




「あ、はい、できますよ」




 ……なんか、拍子抜け。




「じゃあ、手を出してください」




 言われるままに手のひらを差し出すと、魔法使いはその細い杖を取り出して、私の手のひらをそっとなぞった。




ーーピキッ。




「痛っ!」




 鋭い痛みが走り、一滴の血がふわりと空中に舞い上がる。思わず手を引っ込めそうになったけど、その前に魔法使いが自分の手も切り、同じように血を一滴取り出した。




 二つの血が空中でふわふわと浮かび、ゆっくりと混ざり合っていく。


その瞬間、血は輝き出し、形を変えていった。赤黒い光が渦を巻き、やがてそれは一本の杖へと姿を変えた。


 長さはおおよそ18インチ。


 美しい木目が光に反射し、握るとしっとりと手になじむ。




「……これが、魔法の杖……」




 私は思わず見とれてしまった。自分だけの杖。これからこの杖で、魔法を使ってエラを助けるんだ。そう思うと、胸が熱くなった。




「さて、魔法の呪文についてですが——」




 魔法使いが真面目な顔で続ける。




「杖が生成されてから10日間は、杖の表面に呪文が書かれます。10日で消えてしまうので、絶対に覚えてくださいね」




 私は慌てて杖を見つめ直した。




「私の場合は『ビビデバビディ・ブー』ですけど、ステラシアさんはどんな呪文なんでしょうね。ちなみに、私から受け継ぐ魔法は『ビビデバ』から始まる呪文になってるはずです。師匠は『ビビデ・バビデ・ブゥーア』でした」




 流派とか、あるんだ……。


 私はそんなことを思いながら、杖の表面をじっと見つめた。


 そこには、くっきりとこう書かれていた。




『ビビデババァデブー』




……。




「何よこれ!!!!!」




 私は叫び声を上げて、杖を振り回しそうになった。




「なんでよりにもよって、『ババァ』とか『デブ』とか書いてあるの?! これ、絶対に私のことバカにしてるでしょ!!」




 魔法使いは肩をすくめ、困ったような笑みを浮かべた。




「ああー、こうなっちゃいましたか。とはいえ、呪文は完全にランダムで生成されるので……まぁ、ある意味逆に運がいいと思えば!」




 どこが運がいいのよ!


 私は思わず頭を抱えた。こんな悪口みたいな呪文、誰が堂々と唱えられるっていうのよ!




「こんな呪文、誰が使うかー!!!」




 庭に響き渡る私の嘆き声。それに応えるのは、夜の虫の声と、隣で肩を震わせている魔法使いの笑い声だけ。


 ……いや、笑うな!


 でも、どれだけ叫んでも、この呪文は変わらない。


 『ビビデババァデブー』。なんでこんな名前になったのか、全く理解できないけど、これが私の運命らしい。




「……はぁ」




 私は杖をじっと見つめた。こんな恥ずかしい呪文、絶対に使いたくない。 でも、使わなきゃエラを助けることなんてできない。


 もう、どうしてこうなったのよ……。




 そうやって頭を抱えながらも、結局私はその日から魔法使いに魔法を教わることになった。


 最初は恥ずかしくて仕方なかったけど——


 「ビビデババァデブー!」と叫びながら、木を爆発させたり、石を浮かせたりしてるうちに、少しずつ慣れてきた自分が怖い。


 いや、慣れちゃダメでしょ!


 でも、それ以上に大事なのはエラを救う作戦だった。


 ガラスの靴を持ってきた王子がエラを連れて王宮に帰った後、魔法の練習の合間に、魔法使いと作戦会議を重ねた。王宮の構造、貴族たちの動き、エラがどんな風に過ごしているか——すべてを考慮して、最善の方法を練っていく。


 結婚は避けられない。予言だから仕方ない。


 でも、その後、エラが苦しむ未来だけは絶対に変えてみせる。


 そう思いながら、私は今日も魔法の杖を握りしめる。


 ……まぁ、呪文は気にしないことにしよう。




**********




 エラが王宮に引き取られてから、どれくらいの月日が経っただろう。


 彼女がこの家から姿を消したその日から、家の中の空気はガラリと変わった。




「ステラシア! 暖炉の掃除がまだじゃないの!!」




 はいはい、今日も絶好調ですね、お母様。


 お母様のヒステリックな叫び声が、毎日欠かさず家中に響き渡る。この家の朝のBGMと言っても過言じゃない。……まぁ、できることなら音量下げてほしいけど。


エラがいなくなったことで、この家からは掃除をする人がいなくなった。でも、それ以上に大きかったのはーーー母と姉が当たり散らす相手がいなくなったことだ。


 エラは完璧なターゲットだった。静かで反抗しないし、何をしても泣き寝入りする。お母様と姉にとって、彼女は理想的ないじめの標的だった。


 でも、そのエラがいなくなった今ーー。


 すべての鬱憤は、末の妹である私に向けられた。




「ステラシア! 洗濯物が乾いてないわよ!」


「アンタのせいでエラが玉の輿に乗ったんだから、責任取りなさい!」




 掃除の手抜き、食事の味付け、果ては天気の悪さまで、何でもかんでも私のせいにされる。お母様もトリシャも、事あるごとに私を責め立てるのが日課になっていた。


 どうやら、エラが王子と結婚したことが相当悔しかったらしい。そして、そのきっかけを作った私に怒りの矛先を向けることで、どうにか自分たちのプライドを保とうとしている。




 いじめる人がいなくなったら、また別のターゲットを見つけていじめるーーー。


ーーーー本当に、救いようがないわね。




 そう思いながらも、私だって前世の記憶を思い出す前は同じようにエラをいじめていた側だった。文句を言う資格なんてない。


 ……でも、だからこそエラを助けなきゃいけない。




 ふと、前世で読んだシンデレラの物語を思い出す。原作では、私たち義姉妹はガラスの靴を履くために踵やつま先を切り落としたり、小鳥たちに目を潰されたりするっていう、かなりエグい展開だった。


 でも——そこはうまく回避できた。


 つくづく、大師匠(私の師匠である魔法使いの師匠)の予言がざっくりしていて助かったわ。


 もし予言が細かい描写にも及んでいたら、私の足も目も今ごろ大惨事だったかもしれない。




 お母様やトリシャのいびりは確かに面倒だけど、家の雑用を全部任されるようになったのは逆に都合が良かった。


 掃除を命じられている間、私は堂々と魔法の練習や作戦会議に時間を使えるし、掃除なんて師匠から教わった魔法でチョチョイのチョイ。




「ビビデババァデブー!」




……呪文は今でも腹立たしいけど、便利なのは確か。


誰にも見られない場所で、私は魔法の杖を振り、家中の埃を一瞬で吹き飛ばす。




 それに、師匠の水晶玉を使えば、エラの様子も常にチェックできる。


 最初の頃は、エラも夢見る乙女の顔だった。豪華なドレスに、王子の隣で微笑むその姿はまさにおとぎ話のヒロインそのもの。


 でも——。


 その輝きは、日を追うごとに消えていった。


 王宮での生活は、エラが思っていたほど甘くはなかった。


 侍女頭はエラの小さなミスを見逃さず、貴族たちは平民出身の王妃を冷たい目で見下ろしていた。エラは必死に頑張っていたけれど、王子さえも次第に彼女を遠ざけるようになっていった。


 水晶玉に映るエラの姿は、かつての明るさを失い、疲れ果てた瞳がそこにあった。


 物語のハッピーエンドは、ただの幻だった。


 私は水晶玉を見つめながら、深くため息をつく。




「……そろそろね」




 隣で静かに佇む師匠が、私の言葉にこくりと頷く。


 次の新月。私たちはエラ救出作戦を実行する。


 そのときには、私もこの家とおさらばだ。


 お母様もトリシャも、もう私のことをこき使うことなんてできないんだから。


 暖炉の煤がふわりと舞う中、私は密かにガッツポーズを決めた。




——さあ、反撃開始よ。




******




 月が地球の影に完全に隠れる頃、あたり一面が漆黒の闇に包まれた。風は冷たく、木々の葉が擦れる音が静かに耳に残る。遠くでフクロウが一声鳴き、森の中は一層静まり返る。完璧な夜。 これ以上ないタイミングだ。




「準備はいいかい?」




 師匠が静かに私に問いかける。その目には、いつもの穏やかな光とは違う、鋭い決意の色が宿っている。


 私は小さく頷くと、ポケットから数匹のネズミを取り出した。もちろん、ただのネズミじゃない。




「ビビデバビディ・ブー!」




 師匠の杖が光り、ネズミたちは一瞬で立派な馬に変わる。白銀に輝くたてがみが月の光を反射して、美しいったらありゃしない。




「よし、出発よ!」




 私と師匠は馬にまたがり、王宮へと向かった。夜の闇を切り裂くように、私たちの馬は疾走する。




 王宮に到着すると、師匠が袋の中からゴソゴソと何かを取り出した。手にしていたのは、透明マント。


 おとぎ話でお馴染みのアイテムだけど、実物は驚くほど……地味だった。くすんだ布のようで、特別な輝きなんて全くない。もっとキラキラしたものを期待していた私は、少し拍子抜けした。




「これ、本当に効くの?」




 疑わしげに尋ねると、師匠は落ち着いた声で答えた。




「見た目は普通でも、効果は保証しますよ」




 そう言われては試すしかない。私はマントを肩にかけ、そっと一歩踏み出した。


その瞬間、体が空気に溶けるような感覚がした。自分の手足が見えなくなっていくのは不思議で、少し怖さすら感じた。




「……すご」




 私は思わず感嘆の声を漏らした。


 驚きを噛みしめつつ、私は師匠に向かって親指を立てた——もちろん、彼には見えていないけど。




「私は逃走ルートを確保しておきます。あなたはエラの元へ」




 師匠の声が背中を押す。私は頷くと、王宮の高い壁を軽やかに乗り越えた。








 王宮の中は、驚くほど静かだった。


 月のない夜は闇が深く、廊下の燭台も最小限にしか灯されていない。壁に揺れる影が不気味に伸びているけれど、私はその闇をすり抜けるように進んでいった。


 重厚な扉や絢爛な装飾が並ぶ廊下を、私は音も立てずに歩いた。床に敷かれた絨毯が足音を吸い込み、私の存在を完全に消してくれる。


 途中で侍女たちの小さな笑い声や、警備兵たちの足音が聞こえたけど、透明マントのおかげで誰にも気づかれない。


 透明マント、超便利。


 でも、足元の石に躓きそうになるのはいただけない。師匠、これもう少し改良してもいいんじゃない?






 ついにエラの部屋の前にたどり着いた。


扉の前で一瞬立ち止まり、深呼吸をした。心臓の鼓動が耳に響く。


 行くわよ、ステラシア。


 私は静かに扉を押し開けた。




 そこに広がっていたのは、予想通りの光景だった。


 エラはベッドの端に座り、膝を抱えて静かに泣いていた。月の光も差し込まないその部屋の中で、彼女の細い肩が震えているのが見える。


 部屋の隅には数匹のネズミたちがいて、彼女を見守るようにチーチーと小さな声を上げていた。彼女の寂しさを少しでも紛らわせようとしているのか、その姿に胸が締め付けられた。


 私はそっと一歩踏み出した。その瞬間、ネズミたちは私の気配に気づき、活発に鳴き声を上げて私の周りを駆け回り始めた。




「そこに誰かいるの? もしかして……魔法使いさん?」




 エラのか細い声が部屋に響いた。その声はどこか頼りなく、希望と不安が入り混じっている。


 私はゆっくりと透明マントを外した。


 その瞬間、エラの顔が驚きと戸惑いで固まった。




「ステラシア……お義姉様?」




 エラの声は震えていた。無理もない。


 最後に会ったとき、私は納屋の扉を蹴破って彼女を助けた。でもそれまでの間、何年間も、彼女をいじめ続けてきた義理の姉だ。そんな私が突然目の前に現れたら、誰だって警戒する。


 私は深呼吸して、一歩前に進んだ。




「ごめん、エラ……。あの、うまく説明できないんだけど」




 言葉が喉の奥で詰まる。こんな風に謝るのは、生まれて初めてだった。私は心の中で必死に言葉を探しながら、少しずつ打ち明けた。


 今までのいじめを謝罪し、改心したこと。大師匠の予言のこと。このままだとエラが幸せになれないと思って、助けるために魔法使いに弟子入りしたこと。


 前世の記憶のことはややこしいから省略したけど、それ以外は全部正直に話した。




「今更、都合のいいことを言ってるのはわかってる。でも、このままだとエラはここで不幸になっちゃう。私と一緒にいることでエラが幸せになるかどうかは……正直わからない。でも、絶対にもう虐めたりしない。1人の人間として、パートナーとして一緒に暮らさない?」




 言葉を言い終えた瞬間、心臓がドクンと大きく鳴った。返事を待つこの時間が、一番怖い。






 エラは最初、明らかに戸惑っていた。目はまだ警戒心でいっぱいだった。でも、私の話を聞くうちに、その瞳から少しずつ緊張が解けていくのがわかった。




「ずっと……誰かに見守ってもらってる気がしてたの」






 エラは静かに呟いた。




「最初は天国のお母様だと思っていたけど……お義姉様だったのね」




 その言葉に、胸がギュッと締め付けられた。


 私は本当に、こんなに優しい子を……。


 エラは涙をこぼしながら、自分の気持ちを語り始めた。


 王宮に嫁いでからのこと。王子のキラキラに惑わされて、王族としての責任や使命を甘く考えていたこと。努力しても正解がわからず、やることなすことすべて馬鹿にされること。王妃からはいびられ、孫をせがまれる毎日。




「王子と掛け合っても、王子は王妃の味方しかしないの。最近はもう、会ってくれもしないわ」






エラの声が震える。




「私を王宮に引き込んだのは王子なのに、結婚した後は完全に放置。でも、執着心はすごくて、別れたいって言っても別れさせてくれないの」




 私はゆっくりとエラに近づき、そっと彼女を抱きしめた。エラの体は細く、驚くほど冷たかった。その震える肩を、私は静かに包み込む。




「もう大丈夫。私がいるから」




エラはしばらくの間、私の肩に顔を埋めて泣き続けた。


どんな困難があっても、もう二度とエラを一人にしない。


それが、私の決意だった。




 エラが私の肩に顔を埋めて泣き続ける中、私は彼女の背中をそっと撫で続けた。少し時間をおいて、 静寂の中で、エラの嗚咽が少しずつ静まっていくのがわかる。


 私は彼女の顔をそっと覗き込んだ。




「エラ……私と一緒に逃げましょう」




 エラの目が驚きに見開かれた。私は続ける。




「森の奥に小さな小屋を買ってあるの。そこで師匠と一緒に、3人で暮らそう」




 エラは少し戸惑いながら、首を振った。




「でも……お義姉様にご迷惑をおかけしてしまうのでは……?」




 私は思わず吹き出してしまった。




「私を誰だと思ってるの? お義姉様であり、偉大なる魔法使い様よ」




 冗談交じりに肩をすくめると、エラも小さく笑った。その笑顔が見られただけで、私は胸がじんわりと温かくなるのを感じた。




「……はい、お義姉様」




 エラはそっと私の手を握った。その手の温もりが、私たちの新しい始まりを告げている気がした。






 しかし、ここからが本番だ。透明マントは一人用なので、脱出には使えない。 2人での脱出となると、慎重に進む必要がある。


 城の外で逃走経路を確保している師匠は、王宮の地図を持っていて、私たちの耳には師匠と繋がるピアスがつけられていた。




「ステラシア、聞こえる?準備は万端だ」




 師匠の落ち着いた声が耳元に響く。私はピアスを軽く指で触れながら答えた。




「バッチリ。これからエラと一緒に動くわ」


「了解。今、北東の廊下の警備が少ない。そこを通るといい」




 師匠の指示に従い、私たちは静かに廊下を進み始めた。絨毯の敷かれた廊下は足音を吸い込んでくれるけど、油断は禁物。私はエラの手をしっかり握り、息を潜めながら歩を進めた。




 とはいえ、地図だけでは警備員の正確な配置がわかるわけもなく、ところどころは賭けだった。廊下の角を曲がるたび、誰かと鉢合わせしないかと冷や汗が背中を伝う。


 でも——。


 なぜか、ギリギリのところで人に出くわさない。


 廊下の向こうから警備兵の足音が聞こえたかと思えば、「わ!なんだ、ネズミか…?」と、すんでのところで別の通路へと回避できる。まるで誰かが私たちの進む道を整えているかのように、タイミングが完璧すぎる。


 不思議に思っていると、エラが小声で囁いた。




「お義姉様、ちょっと待ってください」




 エラは立ち止まると、小さな声で「ラララララ〜」と柔らかく歌い始めた。


 その歌声は、まるで空気を震わせるように澄んでいて、思わず私は聞き入ってしまった。でも、それだけじゃなかった。


 どこからともなく、小鳥やネズミが集まってくる。




「お願い、そこの通路の様子を見てきて」






 エラが小動物たちに囁くと、ネズミたちは素早く廊下の奥へ走り、小鳥は静かに羽ばたいていった。


 数分後、ネズミたちが戻ってきて、チチッと小さな声で報告している。エラはそれを聞いて頷いた。




「ふんふん……あ、ここの警備が増員されているみたいです。違う通路を探しましょう」




 私はその光景を目の前で見ながら、唖然とした。




「エラ……もしかして、あんた、動物と話せるの?」




 恐る恐る尋ねると、エラは首をかしげた。




「え? 話せないんですか?」


「いやいやいやいや! 普通は話せないのよ! どういうこと?!」




 エラは不思議そうに私を見つめた。




「でも、お義姉様、魔法使いなんですよね? 魔法使いなら普通じゃないこともできるんじゃ……?」




「いやいやいや、動物と話す魔法なんて聞いたことないし! 呪文も唱えてないじゃない! どういうことなの、これ!」




 私が困惑していると、耳元のピアスから師匠の声が聞こえてきた。




「……あー、エラさん。それ、多分彼女も魔法使いですね。おそらく」




「はあ?! どういうこと、それ?!」




「彼女の魔法は、私たちの流派とは違う”自然派”の魔法使いだね」




「自然派……また流派ですか?!」




「そうそう。自然派は魔法使いの中でも珍しい流派で、数も少ないんだ。呪文や魔道具に頼ることを嫌って、本来の含有魔法を受け継ぐ流派なんだよ」




「……は?」




 私はピンとこないまま、エラに目を向けた。




「エラ、もしかして、身近に動物と会話できる人、いなかった?」




 エラは少し考えてから、頷いた。




「はい……お母様が亡くなる前、一緒に動物とおしゃべりしていました」




「じゃあ、エラさんのお母様が魔法使いだったんだね」




 師匠の言葉に、私は思わず天を仰いだ。


 なんなのこれ、偶然すぎるでしょ! 義理とはいえ、姉妹で魔法使いだったなんて。しかも流派違い。


 でも納得がいかない。エラは美しい歌声で「ラララララ〜」と歌えば魔法が使えるのに、私は「ババァデブ〜」って。


この差は一体何なのよ……ちょっとズルくない?!




 そんなことを考えているうちに、私たちは裏口の近くにたどり着いた。絨毯の敷かれた長い階段を下り、あとは出口を抜けるだけ。


 もう少し……もう少しで自由だ。


 でも、その時だった。




「お前たち、そこまでだ」




 その冷たく響く声が、石造りの廊下に反響する。私とエラは同時に振り返った。


 そこに立っていたのは、王子だった。


 薄暗い灯りの中で、その顔には冷酷な笑みが浮かんでいた。かつてエラが憧れの眼差しで見上げていたその顔は、今や狩人が獲物を見つけたときのような歪んだ喜びに満ちている。




「俺の城から逃げられると思ったのか?」




 その言葉は、まるで鋭い刃のように私たちの心を切り裂いた。


 王子はゆっくりと歩を進めながら、さらに続ける。




「お前ら、何をしてるか分かってるんだろうな? 王子妃の立場を放棄して逃げるなんて、国家への反逆と同じだぞ」




「逃げるわよ!」




 私はエラの手を掴んで駆け出した。ここで捕まるわけにはいかない。 でも、その時——




「きゃっ!」




 エラが足を取られて転んでしまった。片方の靴が脱げて、石畳の上でカランと転がる音がやけに大きく響いた。


 くそ、こんな時にまで物語補正なんていらないわよ!!城から逃げるときは、どうしてもこの子は転ばなきゃならない運命なの?! 靴を片方脱ぐのももうやめて!


 心の中で叫びながらエラを引き起こそうとしたが、王子はすでに足早にこちらへ向かってきていた。




「ほら見ろ、やっぱりお前は俺から逃げられないんだよ」


 


 その声には絶対的な支配者の自信が滲んでいた。このままだとエラは捕まる……!




「観念して戻ってこい。王妃の務めを果たせ。お前みたいな平民が、どれだけの幸運に恵まれているか分かってないのか?」




 エラの顔が怯えと絶望に染まるのを見て、私は怒りがこみ上げた。


 使いたくない。特にエラの前では……でも。


 ええい、仕方ない!!


 私は杖を握りしめ、心の中の羞恥心を振り払いながら、最悪の呪文を唱えた。




「ビビデババァデブー!!!」




 王子は一瞬立ち止まり、顔をしかめた。




「ん……?!」




 その瞬間、彼の身体がふらりと揺れ、次の瞬間には盛大に転倒した。


 ゴンッ! と頭を打つ鈍い音が、石造りの廊下に響き渡る。


 王子は呻き声を上げながら立ち上がろうとしたが、何かがおかしいことに気づいたようで、足元を見下ろした。


 そして、靴を脱ぎ捨てた瞬間——




「なんだこれぇぇぇーーー!!!」




 王子の叫び声が城中に響き渡る。彼の足は、まるで子供のように小さくなっていた。


 私は王子に向かって勝ち誇った声を上げた。




「ふん、師匠直伝『足を小さくする魔法』よ!その足、3日間はそのままだから、小さな足でじっくり反省しなさい!」




 しかし、王子は予想以上にしぶとかった。顔を真っ赤にしながらも、怒りに燃える目でエラを睨みつけた。




「お前……俺がどれだけ優しくしてやったと思ってるんだ?」




 その言葉に、エラの顔が強ばる。




「あの貧乏臭い家から救い出してやったのは誰だ? 床に這いつくばって掃除してたお前を、俺がどんな目で見てやったと思ってるんだ?」


「お前みたいな薄汚い平民が、王妃になれただけでも奇跡なんだよ。俺のおかげで豪華なドレスも着られたし、王宮の食事も味わえたじゃないか」




 エラの手が震え始めた。王子はその反応を楽しむように、さらに言葉を重ねる。




「お前みたいな無能が王妃になれたのは俺のおかげだ。お前は何もできないくせに、俺に感謝の一つも言わずに逃げ出そうとするなんて、恥を知れ!」




 私は拳を握りしめた。王子の言葉は止まらない。




「国民が知ったらどう思うだろうな? 王子の恩を裏切って逃げ出す薄情な女が王妃だったって。国民はがっかりするだろうな。きっと、全員お前を、『裏切り者』と呼ぶだろうよ」




 エラの目に涙が溢れそうになるのを見た瞬間——


 私は動いた。




「……パンッ!!!」




 私の手が、王子の頬を思いっきり叩きつけた。


 音が、石造りの廊下にこだまするように響く。


 王子は呆然としながら、張られた頬に手を当てた。




「……親父にもぶたれたことないのに……」




 私は王子の目を真っ直ぐに見据えた。




「この軟弱者!!!」




 一歩、王子に近づきながら冷たく言い放つ。




「無責任なのはどっちよ。エラに一目惚れして結婚するのはまだ許せる。でも、自分で平民を娶っておいて、その後放置するなんて何事よ。あんたがやったのは、エラを見せびらかすために王妃の冠を被せただけじゃないの。あんたのプライドを満たすためのアクセサリーにしただけ」




 王子の顔が引きつるのを見ながら、私はさらに言葉を重ねた。




「自分の無能を隠すために、エラの努力を無視して、王子妃の責任だけ押し付けた。彼女が泣いていたことも、苦しんでいたことも、全部見て見ぬふりしてきたくせに、今さら何を言ってるの?」




 私は深呼吸して、王子の目を鋭く見つめた。




「自分が惚れた女ひとり幸せにできないで、国民を幸せにできると思うな!!」




 その言葉に、王子は何も言い返せず、ただその場に立ち尽くした。




 すると、エラが私の隣に進み出た。彼女の目には、もう迷いはなかった。




「ごめんなさい、王子様」




その声は静かでありながら、確固たる決意が込められていた。




「私と、離婚してください」




 エラは静かに一枚の紙を王子に差し出した。


 その紙はまさしく離婚届であり、そこには、王子のサインがしっかりと記されていた。


 王子は目を見開き、驚きの声を上げる。




「え、そのサインは…?どこで……?!」




 エラは穏やかな笑顔を浮かべながら答えた。




「王子様の仕事書類に紛れ込ませておいたんです」




 私は思わず吹き出した。我が妹、そこそこ頭は切れるみたいね。というか、王子、書類仕事杜撰すぎない?…そういうところも妹にバレてた、ということかしら。




 王子は呆然としたまま、私たちを見送るしかなかった。頬に手を当てたまま、潤んだ目で何も言わない。……叩かれていないはずの、反対側の頬も、何故か赤く染まっていたのは、みてみぬふりをすることにする。




 私はエラの手をしっかりと握り、再び出口に向かって歩き出した。出口の向こうには、師匠が待っていた。




「よくやった」




師匠は短くそう言うと、私たちを馬に乗せた。3人で森の中を走り抜ける。エラの手の温もりが、私の中に確かな希望を与えてくれた。




 王宮ではエラがいなくなったことで大騒ぎになっていた。でも、師匠が森と交渉してくれたおかげで、私たちの逃走経路は完璧だった。木々たちが私たちを守るように撹乱してくれたおかげで、誰一人として追いつくことはできなかった。


 森の中を駆け抜けながら、私はエラの顔をちらりと見た。


 その顔には、もうあの悲しみはなかった。




**********




 あれから月日が過ぎた。


 エラの離婚届は無事に提出され、ついでに新聞社に立ち寄って、王家のゴシップ記事を書いてきた。


その日の見出しはーー




「面食い王子、王宮内での嫁いびり! ついには王子妃に逃げられた王家の末路!」




 インクが乾く間もなく、この見出しは街中の話題になり、王家の権威はガタ落ち。貴族たちは王家との縁を避けるようになり、今じゃ新しい嫁探しにも四苦八苦しているらしい。


 ーー自業自得ね。






 私たちは、森の奥にある小さな小屋で静かで穏やかな生活を始めた。


 私は師匠から魔法の教えを受けながら、村人たちに健康薬や魔法アイテムを売って生計を立てている。


 エラも、自分が魔法使いだったことを知ってからというもの、母親から教わることのできなかった魔法の知識を師匠と一緒に学んでいる。


 エラの自然派魔法は特別で、森の動物たちと心を通わせるその様子は、まるで森の精霊のようだった。小鳥たちは毎朝エラの歌声に合わせて囀り、ネズミたちはキッチンで勝手に掃除をしてくれる。おかげで私は掃除当番から解放された。ありがたい。


 それでも、私はエラの魔法が少し羨ましかった。私も、歌うだけで魔法を使えるようになりたい…。


 そんな願いはついぞ叶わなかったが、めまぐるしく過ぎてゆく日々の中で、私たちは次第に新しい生活に慣れていった。エラの笑顔が増えていくのを見るたびに、私はこの選択が間違っていなかったことを確信した。




 そんなある日——




「見つけたぞ!」




 突然、小屋の扉が勢いよく開かれた。驚いて振り向くと、そこには息を荒くした王子が立っていた。




「……は?」




 私もエラも師匠も、全員が固まった。


 王子はかつてのように従者を連れておらず、たった一人だった。泥だらけの靴に、乱れた髪。貴族らしさのかけらもないその姿は、かつての王子の面影を微塵も残していなかった。


 私はエラを背中に隠し、王子を睨みつけた。




「……あんた、しつこいわね。今度は何? 復讐でもしに来たの?」




 私の冷たい声にも関わらず、王子は少し息を整えると、突然——




「……すみませんでした!!」




 土下座した。




「はぁぁ?!」




 あまりの展開に、私たちは声を揃えて驚いた。師匠なんて、持っていたカップを落としそうになっている。


 王子は額を地面に擦り付けながら、懸命に謝罪を続けた。




「俺が悪かった! エラにひどいことをしてしまった! 全部俺の未熟さが原因だったんだ! 許してくれ!」




 その姿は、かつての高慢な王子とは別人のようだった。泥まみれのその顔は、本気で悔いているように見える。……たぶん、だけど。


 私は王子の額が地面にめり込む勢いを見ながら、どう対応するべきか悩んでいたけれど——


 エラはそっと私の背中から顔を覗かせ、しばらく黙って王子を見つめていた。


 その瞳の中に怒りはなく、代わりに静かな達観が宿っていた。


 やがて、エラは柔らかく微笑んだ。




「……もう、いいの」




その声は驚くほど穏やかだった。




「もちろん、王宮でのことは辛かったわ。でも……私も世間知らずだった。何も知らずに夢見ていたのは私自身だし、それに……」




 エラは私を一瞬見上げ、再び王子に視線を戻す。




「もう、今はお義姉様と暮らして幸せだから。王家のやったことも世間に知られたし、もう十分よ」




 その言葉に、王子は顔を上げ、目を見開いた。




「よかった……それなら……」




 安堵の表情を浮かべた王子は、次の瞬間、私に向き直り——




「ステラシア様、僕と結婚してください!!!」




「……はぁ?!」




 思わず私は二度見した。エラも師匠も、全員が固まった。




「……今、なんて……」




「ステラシア様、僕と結婚してください!!!」




 今度はしっかり聞こえた。いや、何言ってんの、この人?!




 どうやら王子は、あの時私にぶっ叩かれて、何かに目覚めたらしい。自分の非を認め、謝罪の旅に出るどころか、私の強さに惚れたとのこと。あれから国中を探し回り、ついに私たちの小屋を突き止めたらしい。




「いやいやいや、無理だわ。あんたのことなんて知らないし、第一、あんた王子でしょ?」




 私が冷たく突っぱねると、王子は胸を張って宣言した。




「王子は辞めてきた!」


「……は?」




王子は誇らしげに続けた。




「どうせ、もう誰も嫁いでくれないし、王子でいるのも面倒だった。だから責任取って辞任した! 王位は弟が継ぐ!」




「……あんた、弟なんていたの?」




 私の呆れた声に、王子は照れくさそうに頷いた。自分勝手なところは、まだ全然直っていないみたいね…。




 そんな王子に、今度は師匠が前に出た。




「こいつは私の弟子だ。誰にも渡さない」




師匠の低く冷たい声が、小屋の中に響いた。


王子は師匠に対しても臆することなく反論する。




「ステラシア様は、僕の運命の人です!」




 師匠は一歩前に出て、王子を冷たく睨みつける。




「お前に彼女の何がわかる? お前が気軽に口説いていい人間じゃない。私だってまだく口説けていないんだそ」




 王子はムッとしながらも、一歩も引かない。




「恋は早い者勝ちです!これだけ一緒にいて口説くことすらできなかった腑抜けに僕は負けません!僕は、 ステラシア様のためなら、何だってします!」




 師匠の目が一瞬だけ鋭く光る。


 その視線に、王子も少し気圧されたようだったが、それでも引き下がらなかった。




「……もう!!!」




その瞬間、エラが怒鳴った。




「黙ってれば、勝手なことばかり!!」




 私も師匠も王子も、エラの突然の怒声にビクッと身を硬直させた。


 エラは私の前にズカズカと歩み寄り、ズバッと言い放つ。




「お義姉様は誰とも結婚しませんわ!!!」




 その言葉に、王子と師匠が同時に「え?」と声を揃える。




「お義姉様は!!!私と!!!ずぅーーっと一緒に暮らすんですの!!!!」




 真っ赤な顔をしながら、エラは私の腕にしがみついて叫ぶ。




「……いや、エラ?」




 私はエラの肩を軽く叩きながら苦笑した。どこからそんな展開に……?


 でも、王子も師匠もエラも、真剣な顔で私を見つめている。


 その時、私は悟った。


 ……あ、これ、ヤバい奴だ。


 エラなんて、目からハイライトが消え去ってる。シンデレラって、ヤンデレルートとかあったっけ?




「……あー、そうだ、そろそろ市場に行く時間だったわね!」




 私は無理やり笑顔を作りながら、後ろに一歩下がった。




「ほら、薬草も切れてたし、急がないと……!」




 しかし、3人の視線は逃さなかった。




「ステラシア様、どこへ?」


「どこに行くつもりですか?」


「お義姉様、私を置いていくおつもりですか?」




 ヤバい。


 私は全速力で逃げ出した。




 後ろから聞こえるのは、王子の声、師匠の声、そしてエラの叫び声。




「ステラシア様ー!!!」


「おい、弟子、戻ってこい!!!」


「お義姉様、待ってくださいましー!!!!」




 ……こうして私の逃走劇は、新しい章を迎えた。


 人生は思い通りにいかないってよく言うけど、まさかこんな形で実感することになるとは思わなかったわ。


 私は魔法使いとして成長するために森に来たんじゃなかったの? 静かな生活を送るつもりだったのに、気づけば王子と師匠と妹に囲まれて、逃げ回る羽目になってる。


 でも、まぁ……。


 悪くないかも。


 だって、こんなに賑やかで、面倒で、でもちょっと楽しい日々なんて、そうそうないから。


 そして、私たちの物語は、まだまだ続くのだった——。




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”シンデレラ” のその後の話 〜あの子に王妃は荷が重すぎない?!〜 @baudayo

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