2.

4組の優とは別れ、6組の教室に入るとキラキラとした朝日が窓から差し込んでいた。千歌が自分の席に向かうと、後ろの席から声がかかる。



「あれ?楠見さん髪型変えた?かわいいね」



振り返ると、クラスメイトの高科美鈴たかしな みすずが、机に肘をついて千歌の髪をじっと見つめていた。美鈴は美術部で、休み時間になるとよくスケッチブックに何かを描いている。



「おはよう。まだ慣れないけどね、ありがとう」

「今までは無難な女子高生って感じだったけど、スポーティーでいいね。部活なんかやってるんだっけ?」



美鈴の澄んだ瞳に見つめられ、千歌は少しはにかんで答えた。



「やってるよ。陸上」

「運動できるのかっこいいなぁ。私なんか地味に美術部だよ。羨ましー」



美鈴が言う「地味」という言葉に、千歌は首を傾げた。休み時間に見える美鈴のスケッチブックは、いつも素敵な絵で溢れているのに。



「高科さんみたいに絵とかできる方が、私的にはかっこいいけどね」



「...そう言われると照れるね」美鈴は頬を染めながら、ふと思い出したように付け加えた。



「そういえば他クラスの男子に似た髪型の人いるよね。背も高くて目立つ、......えーっと名前が...」

「椋くん?」



口をついて出た名前は朝のやりとりでよく覚えていた。



「あ、そうそう!知ってるの?」

「朝、友達におんなじこと言われてさ...。そんなに目立つ人なのに知らずに真似しちゃってごめんって感じ」



苦笑いを浮かべたその時、教室の扉が勢いよく開いた。



「おぉ?!何、楠見さん髪切ってかわいーじゃん!」



6組のムードメーカー的存在である三波北斗みなみ ほくとが、その友達の小笠原奏多おがさわら かなたを連れて入ってきた。三波の声は、いつもの朝の教室の空気を一変させる。



「あはは、軽いなー。三波くん、小笠原くんおはよう」

「はよーっす。高科さんも」



「おはよう」美鈴が静かに挨拶を返す。



「はよー。ほんとスポーツ女子いいわぁ。オガもそう思わん?」



三波が小笠原の肩を軽く叩く。

女子からの人気が高い小笠原は、少し面倒くさそうな表情を浮かべながらも答える。



「...北斗、お前が言うとなんかチャラい。いいと思うよ。俺は少しムックを思い出すけどね」

「恭介ね!確かに、どっかで見覚えがと思ったらそう言うことか」



近づいてきた美鈴が千歌に囁いた。



「みんな同じこと思ってるんだね」

「はは、...なんか悪いことしたかな」

「そんな気にすることないよ」



朝のホームルームが始まろうとしている教室で、千歌は窓の外を見つめた。椋恭介。たった今朝、初めて存在を認識したばかりの人なのに、その名前が心に深く刻まれていくような気がした。


窓から見える校庭の桜の木が、春の風を教室まで仰いでいるみたいだった。



昼休み、いつもの校舎裏のベンチで千歌は優とお弁当を広げていた。暖かな日差しが心地よい。


「優、聞いてよ」千歌は箸を置いて溜息をつく。



「クラスの人達にさ、髪型のこと褒められるのはいいんだけど、全員が全員椋くんを思い出してるの。私、話したこともないのにさ」



優はおにぎりを頬張りながら、意味ありげな笑みを浮かべた。



「あっはは、千歌はこれを機に椋くんと仲良くなるしかないんじゃない?」



彼女は空を見上げながら言う。



「今日先輩達がトラック使いたいって言ってたし、自主練の隙間かどっかで軽音部覗こうよ」

「いいよ、そんな向こうに知ってもらわなくても」



千歌は慌てて手を振る。膝に乗せていたお弁当箱が、落ちそうになる。



「イヤ。面白そうだから行くの!」



優の目が輝いた。



「それにこのまま似てるなーって言われ続けたらいつか認識されるでしょ。遅かれ早かれだヨ!」

「優って頑固だよね...」




 ***




放課後、千歌は半ば強引に軽音部の前まで連れてこられていた。練習室からは、ギター、ドラムとベースのセッション音が漏れている。



「ヤッホー椋くん、久しぶり!」



優は音が止んだ瞬間に、何の躊躇もなく部室のドアを開け、中を覗き込んだ。悪戯な笑みを浮かべている優にグッと腕を引かれたかと思うと、盾のように前に突き出される。



「望月、さん…?」

「今日はきみに紹介したい人がいてね、はい、この子、楠見千歌ちゃんです!」

「え」



椋恭介は手にしていたベースを抱えたまま、困惑した表情を浮かべている。その顔を見た千歌は、地面に穴があれば入りたい気分だった。



「あのさ、この子を見て何を思う?」



優の声が意地悪そうに響く。



「え?」


「優さん!?」千歌は小声で制止しようとする。


「むっふふふふ...」



部室の空気が一瞬凍りつく。椋は千歌をまじまじと見つめ、それから少し考え込むような仕草を見せた。



「え、何コレ...なんだろ。...かわいい、とか?」

「は」



千歌の頬が一気に熱くなる。



「正解なんだけど、展開させすぎ!違くて、髪型が同じってことだろうが!」



優の突っ込みに、部屋全体が笑いに包まれる。けれど千歌の心臓は、まだ激しく鼓動を打ち続けていた。



「......」



目を白黒させる椋と、その場の空気に耐えられなくなり、千歌は身を翻した。



「優!!もう無理っ!!」



その後、走って運動場に戻った千歌は、いつもの調子が全く出ない。当たり前だ。集中できるわけがない。短距離の自主練習で、やはり何度走っても記録は伸びない。



「調子悪いなー。楠見今日タイム悪すぎ。どったん?」



部の先輩が心配そうに声をかけてくる。千歌は走り終わった後のトラックに座り込んだまま、地面を見つめた。



「メンタル不良です…」



夕暮れの運動場に、千歌の小さな溜息が消えていった。

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