目標を定めて仕事をした。

島尾

記録

 本日の仕事は、二人一組での作業だった。普通は生産量を増やし且つ一つ一つを高品質なものにすることが目的になるだろう。そのための標は多量に用意されるものだろう。目的に達するために到達しなければならないフェーズを目標または目標地点と呼ぶならば、今日の私の目標は目的を度外視していたかもしれない。

 どういうわけかは知らないが、自分のミスを嘆いて泣き出してしまうIさんという名のスタッフがいる。私はその人を泣かせないという一大目標を立てた。それは生産量や高品質といった経済的な金銭価値には直接結びつかない。また、その目的を達成するための目標でもない。実際のところ本日の私の目的は、他人とのコミュニケーションをいかにうまくやるのかという実験をし、Iさんの思考回路を変化させて悲観を軽減させ泣くことを減らすことを成功させることだった。しかしそれは失敗に終わった。Iさんは「すみません全然できなくて」と自責し、同じミスを2度した時点でとうとう泣き崩れた。

 他人が自責的になっていると、自分は涼しい顔をすることが多い。私だけに当てはまるものとは思えない、ある種の法則だろう。Iさんは「ゴム管を穴に通す順番を2度間違えた」という理由で泣いた。それがなぜ泣くほど絶望的だったのか想像してみた。結果、「私はこんな簡単なことを2度も間違ってしまった、きっと3回目も4回目も……n回目も間違えるだろう(n→∞)」という悲観的推測をし、さらにそれを心の中で断定したのだという一つの可能性を見出した。一方、俯瞰している私の目には「それだけのことで……」という、まるで何も考えていない猫のような目をし、何かよく分からない「風情」を感じていた。燃え盛る物体を遠くから見たときの光景は、例えば「満天の星空」や「偉大な○○岳」というようなものであり、それらに価値を感じる人々は多く、それを金銭価値と等価にしようとする者もいる。一方、Iさんはそんな呑気な状況ではなかっただろう。呑気に泣く人間を見たことはない。


 生産量を増やして金銭をより多く得ることは、常に良いこととは言えない。ある一定の量よりも多く生産すれば、人々がそれらを消費しきれずに、ただただ廃棄され産業廃棄物にされ、無意味なリサイクルが行われるのみだ。

 あまりにも悲観的な人を見つめ、どこかのタイミングで的確な言葉や印象的な動作を与え、その人の脳内に楽観性の欠片を生み出させることは、無駄だろうか。仮に私が楽観性の欠片の生産者になったとすれば、生産数1だとしてもその人にとって大きな価値を与えるのではないか。それは金銭や他の物質との等価交換が不能で、一瞬しか存在し得ない価値なのかもしれない。なぜならば、欠片を得た相手は楽観的になれたのでもはや欠片自体に価値を見出す余地がないからである。言い換えれば、自分が相手に与えたものは一瞬の価値を有した直後に無価値となるということである。科学的根拠はない。


 最終的に生産量を100に上げたとして、仕事の後に残るのは心身の疲労だろう。一方、後に述べたほうの生産量は1から変わることがない。さらに別の見方をすれば、自分の価値感が相手のほうに移動しただけと考えることもできる。ただそれだけならば、仕事の後に疲労は残らず、私も相手も清涼な心持ちで帰ることができるだろう。

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目標を定めて仕事をした。 島尾 @shimaoshimao

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